水晶腕時計の興亡(2)
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やがて水晶腕時計対機械式腕時計の生存を賭けた一戦の火蓋がきられる。
私がここでこの話を書いているのは、水晶腕時計が女性用も開発され、なおかつ精度別にしたいろいろな価格帯の水晶腕時計の出現した時代の出来事を仮定して書いているのである。その時代は私の考えでは遅くとも数年後に到来するものと思っている。
ここで水晶腕時計と機械式腕時計の特色、利点、欠点、商品化への歴史的背景およびその意義を列記してみたいと思う。14世紀に機械時計の発端があり、16世紀初頭にドイツ人ピータ・ヘンラインの動力ゼンマイの発明により機械式携帯時計が実現した。
何と機械式腕時計の歴史は非常に長い。
その途中には1675年にオランダ人ホイヘンスによってヒゲ・ゼンマイとテンプが発明され、1775年にはイギリス人ジョン・アーノルドが提灯ヒゲの終末曲線を発案した。この理論はヒゲ・ゼンマイが振動中、その重心が振り角に応じて不安定に移動することによって発生する等時性誤差と重力誤差を少なくすることであった。
この理論は現在でさえスイス製高級携帯時計に用いられている息の長い理論である。その理論を完全に紙上にまとめたのがフランス人フィリップスであり、それは1861年の事であった。
1913年にはフランス人ギョーム博士により温度変化によっても弾性に影響を受けないエリンバー金属が発明され、ヒゲゼンマイに活用されている。1926年にはロレックス社が完全防水ケース、オイスターを発明、1931年には同社がパーペチュアル完全自動巻機構を世界に先がけて開発した。
その後機械式腕時計の技術開発は高振動化へと流れ世界の有力メーカーがその完成へと急ぎ今や機械式腕時計のムーブメントは頂点を極めるまでに改良改善が加えられている。いや頂点に達したと結論を下しても言い過ぎではない。
それほど機械式腕時計は時計使用者に安定した信頼と誇るべき精度をもたらした。その信頼は長い歴史を通じてやっと勝ち得たものであった。その間に世界の有名な時計技術家達と多数の無名の時計技術家達のたゆまぬ努力と研究と実績があった。その人達の時計、もちろん機械式腕時計に対する芸術的な情熱ははかりしれない程大きかったに違いない。
現在の機械式腕時計はそういった芸術家の汗と努力の結晶が散りまかれており、それらのどの廉価なムーブメントであろうと芸術品と言うべき代物だ・
芸術は永遠なりと言う意味から言っても機械式腕時計には永遠の生命が与えられるはずであるが、水晶式腕時計の出現によってその運命は危機にさらされている。長い苦労をしてやっと得た頂点の座を現代電子工学の産物である水晶腕時計にさらわれそうな機械式腕時計の運命は何と残酷な事であろう。
中高精度を有する機械式腕時計は今や量産されており現在まででは水晶腕時計の生産量とは比較にならないほど多数だ。しかし今後メーカーの研究開発の結果いかんによって廉価な水晶腕時計が市場に顔を出した時、おそらく合理的な生産過程も研究しつくされ、現在の機械式腕時計の生産量の何10倍もの水晶腕時計が生産される可能性は強い。
なぜなら高精度の機械式腕時計を生産するには熟練した調整者の数が絶対必要とされる反面、水晶腕時計の生産には一部の優秀な技術員を除いて、経験を必要としない人々でさえ組立ができることであろう。
超高精度をもつとともにここに最大の強みが水晶腕時計にあると言える。機械式腕時計の意義は、それの広範囲に渡る知識と歴史があって、その母体から派生的にテンプ式電子腕時計から音叉式腕時計、水晶腕時計は生まれ出てきたと言える。
ようするに機械式腕時計が水晶腕時計を生み出した。処世訓に、“老いては子に従え”とあるがそのような事態に機械式腕時計は甘んじなければいけないのだろうか。
これから水晶腕時計の事を書いてみよう。
1930年にアメリカのベル研究所が世界で始めて水晶時計を完成した。この超高精度ゆえに、それまで天文台時計として利用されていたリーフラ標準時計、自由振子式標準時計に取って替った。
でもその水晶時計ですらアメリカ国立標準局が完成した原子時計によって天文時計の座を奪われてしまった。
原子時計の件はさておき、それから水晶時計の小型化、標準化へのめざましい発達をわずか半世紀たらずのうちにやってのけた。1967年に行われたニューシャテル天文台クロノメーターコンクールに諏訪セイコーとスイスのCEHが同時に水晶腕時計を出品した事である。
それからわずか2年経った1969年末に諏訪セイコーが水晶腕時計の商品化に成功しセイコークォーツ35SQを発売した。この世界に先んじて時計市場に出たセイコークォーツ35SQは平均日差±0.2秒、月差±5秒、振動数8192Hz(ヘルツ)という性能であった。それはまさしく未来の時計の名にふさわしい貫禄と性能をそなえもっていた。
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セイコークォーツ35SQが世に出て、一年も経たないうちに、こんどは第二精工舎が1970年10月にセイコークォーツ36SQCの商品化に成功して発売を開始した。
この頃になると世界の有力時計メーカーが独自で研究開発した水晶腕時計やCEH開発の水晶腕時計B-21を内蔵した時計を自社のブランドで売り出した。メーカーの名を上げれば、ロンジン、オメガ、ゼニス、ラドー、ロレックス、ユニバーサル、ブローバ、ピアジェ、ジラール・ペルゴー、その他であり今後この数はますます増加してゆくだろう。ちなみにセイコークォーツ36SQCの性能を云えば平均日差±0.2秒、月差±5秒、水晶振動数16384Hzと言うものであった。
このように水晶腕時計の歴史は機械式腕時計と比較して余りにも短く、それは突発的、爆発的ともいえる。不思議な事に水晶腕時計を他社に先がけて商品化に成功したこれら先発メーカーの名がどれも、機械式腕時計の有力なメーカーであることだ。
おそらく高精度機械式腕時計を研究開発して養われた精密加工技術と、エレクトロニクス技術とがうまく調和した結果このように実用的な水晶腕時計が早く実現したのであろう。しかしいかに多くのメーカーが売出したにしろ、まだまだ価格の点で機械式腕時計と太刀打ちできないであろう。
だが現在テンプ式電子腕時計や音叉式腕時計を使用している人達はおそらく3〜4年後の買い換え時期がきたら、その頃は廉価水晶腕時計が出ているだろうから文句なしに、それを選択して買い求めるだろう。
その時からさらに4〜5年後が戦いの時期と想像される。
その頃は必ず非常に廉価な水晶腕時計が生まれていると思う。1980年初頭だろう。
メーカーや小売時計店は華々しく水晶腕時計を歌い上げ、派手に宣伝しまくるだろうと思われる。
その時は電子腕時計の腕時計全生産量に対するシェアは半分近くにまで肉迫するのではないだろうか。
スイス時計産業はもっと低いだろうと予想しているが。1985年になっても10%位だろうと。
もしその通りにスイス時計産業が電子腕時計だけに関して伸び悩んだら、世界時計市場で一方的にセイコー、ブローバに押しまくられると思う。少し話が脱線したが小売時計店のウィンド陳列が機械式腕時計が半分、水晶腕時計が半分となればどんな状態が起きうるだろうか。
テレビ、ラジオ、その他、ありとあらゆる宣伝方法を利用してメーカーは廉価水晶腕時計の優秀性と便利さを時計購買者に訴えつづけ、全国の時計小売店もメーカーの宣伝に便乗して水晶腕時計の販売に本腰を入れることだろう。
その頃、現在から八年後には電池時計の支持率も上がっており、かなり安定した需要があると思われる。廉価水晶腕時計と言ってもその精度は最高級音叉式腕時計の精度とほぼ同じ位であるという利点から考えても必ずよく売れるだろう。
ましてや日本人特有の心理からこの珍しい腕時計に飛びつくに違いない。人間にはだれにも強弱は別にして虚栄心が潜んでいる。あの人が持っているのだから私も持とう、とか又買った人はおそらく隣人か友人か親戚にその腕時計を自慢したりする。人間は他人が所有していない物を手に入れる事に満足感と優越感をいだくものだ。そういう心理が人間にあるからこそ、ファッションとかニューカーのブームがある。
そのようなブームに水晶腕時計が乗る公算は大いに考えられる。
あの高価格の自動車やカラーテレビでさえ、本当にアッという間に日本の家庭に浸透していった事を思うと、それよりも安価な水晶腕時計が普及しないとは考えられないし、なおもっと条件が有利なことに、その頃はもっと所得額が向上しているからだ。そのような素因から廉価水晶腕時計はみるみるうちに普及しつくし、機械式腕時計はほとんど売れなくなるのではないだろうか。
おそらく廉価水晶腕時計と中高精度の機械式腕時計は共存共栄できる間柄ではないだろう。結局、そのような機械式腕時計は世界の時計市場からしめ出され、まったく抹殺されてしまうだろうと思う。
水晶腕時計は普及したその時点で水晶腕時計の存在をおびやかすいろいろなマイナス因が必然的に生じてくると思う。
その第一の問題点はアフター・サービス関係である。
現在、セイコークォーツのアフター・サービスを例に上げれば、メーカーが一手に引き受けている。なぜなら時刻表示機能を除いた他の内部構造には機械パーツがなく、そのほとんどがエレクトロニック関係の機構であるからだ。
水晶振動子、水晶発振回路、集積回路MOS-IC、ステップモーター、駆動回路等それらを修理調整するには特殊な工具あるいは高度な電子工学の検査設備とが必要とされるから当然と言える。
各時計小売店がこれらの高度な設備をもつのはまったく不可能だからメーカーに頼らざるをえないのは理に合っていると思うのだが。
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これからセイコーの水晶腕時計のアフターサービスに関連しての問題点を追求してみようと思う。セイコークォーツ36SQCが1970年末に発売された時、当面月産300個だったと聞く。それがその1年後には3,000〜5,000個生産予定されていたと記憶している。
さらに現在ではセイコークォーツ38SQWも発売しているから今年前半には月産8,000個前後ではないだろうか。昨年のセイコーウォッチの全生産量は約1,500万個として、水晶腕時計の生産シェアは百分の一にも満たないと思うが、セイコー時計会社はマスプロ、マスセールを持ち前とする会社だから、これから8年後にはかなりの廉価水晶時計が生産されよう。
セイコーは今まで、ことウォッチに関して80万個から100万個、毎年生産量が安定して増加してきた。このペースを維持すれば1980年は2,500万個近く生産されるのではないだろうか。
セイコー社の方針がつかめにくくて判断しにくいが、おそらくその頃は廉価水晶腕時計を大量に生産し国内市場でも大量に販売していることと思う。とすればその全ウォッチ生産量に対する割合が30%と計算しても約800万個の廉価水晶腕時計が生産されることになる。
その半分が輸出向けとして、その半分が国内市場向けとしても約400万個が日本人の腕に携帯されることになるだろう。そうなればその大量の廉価水晶腕時計のアフター・サービスをセイコーはどのように解決してゆくつもりだろうか。
現在電池交換でさえメーカー管理になっているのだから毎月お客からセイコーへ修理に行く水晶腕時計は40〜50万個になると推測できる。そのような数多くの水晶腕時計を修理する完全なアフター・サービス網を、これから8年後までにはたしてセイコーが建設できるだろうかと思うと疑問だ。
資金では調達できたにしても、それだけの数量を修理できる専門技術員を育成するだけでも不可能に違いないし、それだけの優秀な人材を獲得するだけでも無理と言える。たとえアフター・サービス網を完備し専門技術員の絶対必要数を得たにしても、はたして迅速な活動ができるだろうか。修理預り期間が長ければそれはアフター・サービスの名にあたいしない。迅速であってこそアフター・サービスと言えるのだ。
遅くなってもかまわない、その頃はみんな時計を3〜4個ぐらい持っているから余っている時計を水晶腕時計修理期間中持てばいいと反論がでるかも知れないが、私は遅ければ必ず苦情が四方八方から出てくると思う。
確かにその時代になればみんなが3〜4個腕時計をもっていることだろう。しかしそのころの人々は時計の性能に合せて使用方法を考えるだろう。水晶腕時計は仕事時にし、奇抜なデザインのピンレバーウォッチはT・P・Oに適応したアクセサリーとして腕に付ける。
一人が2個も水晶腕時計を購入するとは考えられない。
水晶腕時計は仕事用、ピンレバーウォッチは休日などの遊び用として普及する。
そうなれば絶対に迅速なアフター・サービスが要求される。類のない迅速なアフター・サービスが成功したタイメックスと比較考察してみよう。
山口隆二先生のお話によるとタイメックス時計企業内で最大の修理サービス部のあるフランスのブザンソン工場でさえ一日に2,500個しか出来ない。それなのにタイメックスとはおよそ性能面で比較できない廉価水晶腕時計の性能を失うことなくして月に40〜50万個、修理するには数字から判断しても不可能と言える。
たとえアフター・サービス網が可能になったとしてもいろんな問題をはらんでくる。というのは日本全国にある、およそ三万軒の時計小売店の三分の二以上は修理を大切な収入源と考えていることだ。
普及した廉価水晶腕時計の修理をメーカーに一任することは、それらの零細時計小売店にとって修理からの収入が半減するか絶たれることを意味する。今でさえ大型時計店から圧迫を受け、時計市場から後退せざるを得ないこれらの零細時計店の死活問題にならないとも限らない。
これら時計小売店の大多数を占めるマーケティング力の弱い閉鎖的な零細小売に店は徐々に整理されつつはあるが、まったく消え去ることは考えられない。これらの時計店は水晶腕時計を売ることに力を入れなくなり従来通り自分の技術で修理できる機械式腕時計を積極的に売り込むのではないだろうか。
おそらくこれらの資本力のない零細時計小売店は販売からの収入は伸び悩みか、それとも沈滞気味であるゆえに片意地までに修理からの収入に固執するだろう。そうなればこれらの小売店は何かにつけ水晶腕時計の不便さを自分勝手にでっち上げ、お客に機械式腕時計をすすめまくるだろうと想像するのは容易だ。
大型時計店はメーカーがアフターサービスをやってくれれば、大喜びだろう。なぜなら現在でさえ修理はそれら大型店にとってお荷物だから。しかし時計小売店全体に支持されないメーカーの姿勢は必ず伸びない。
よって時計メーカーがアフターサービスを一手にすることは、二つの原因から考え入れても、まったく不可能と断言できる。
→水晶腕時計の興亡(3)へつづく(3回連載)