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●続・時計の小話 第61話((株)ユーロパッションの展示会)●6月19日に弊店取引先のスイス・時計輸入商社(株)ユーロパッションの、2007年新作発表展示会が名古屋のホテル・キャッスルプラザ3F孔雀の間で行われました。(東京・大阪・名古屋・福岡の順で開催されました) 孔雀の間には(株)ユーロパッションが取り扱っている、オリス、ペルレ、エポス、ミューレ、ジャッケエトアール、ボーグリ、アクアノウティック等24種類のブランドの時計が所狭しと大量に陳列されていました。 弊店がこの展示会に参加したのは4回目ですが、年毎に取扱いブランドが増えていき、内容が充実している事にいつも驚かされています。(株)ユーロパッションは、まだ創業12年の新興と言える時計輸入商社ですが、今では、日本で押しも押されぬ時計輸入商社に成長しています。 これは、ひとえに従業員一同の頑張りもあるのでしょうが、大上社長、古川専務の先見力のある戦略的経営力によるところが大である、と思っています。 時計雑誌、週刊誌、各大手新聞等に広告宣伝を積極果敢に載せている事は、他社の輸入時計商社を圧倒するもので、追随を許しておりません。 (株)ユーロパッションが、日本で大きく育てあげたスイス・時計ブランドは数社以上に昇っています。今では、(株)ユーロパッションの営業力、販売力をあてにして、スイス時計各社が(株)ユーロパッション社にコンタクトをもっていると、小生は思っています。 弊店と(株)ユーロパッションとは、不思議なご縁があり、(株)ユーロパッションが創業当時から弊店とのお付き合いがあります。平成7年にイタリア 製の『パラッツオ・ブルジョッティー』というルネサンス文化独特のエスプリが効いたデザインの腕時計を、十数個仕入れて販売したのが、最初のご縁でした。 その当時は、(株)ユーロパッションには3名の社員しかおられなかったのですが、今では、取扱い品や売上高が増大して、従業員数も大幅に増えています。 メカ式腕時計の拡販と共に、日本のスイス時計輸入業者は大きく成長したものと、依然として苦戦に追いやられているスイス時計輸入業者とに大きく格差が出来てしまったものと思います。経営の舵を握るCEOの決断力、判断力の差が出ているのでしょう。 展示会の帰りに、T百貨店の時計売場を見てきましたら、既に垂直クラッチ方式のセイコー・スプリングドライブクロノグラフ(税込み定価 787,500円)が陳列してありました。販売員さんにお願いして、その時計を見せて貰いました。さすがに高価格ですので仕上げは見事に尽きるほど綺麗で した。 まだその時計は見本品との事で、受註後、生産するそうですが、セイコー社は百貨店や大店を以前として優遇している姿勢に疑問が生じました。セイ コー・スプリングドライブは、グランドセイコー・マスタ-ショップしか仕入れ出来ない腕時計が多くあり、中小の時計店に注文が受けてもお客様に納品出来な いスプリングドライブがあり、その販売システムに疑問を持っております。 ●続・時計の小話 第62話(『千の風になって』を聞いて)●昨年に大きな話題となり、ヒットした曲に秋山雅史さんが歌っておられる『千の風になって』があります。 メロディも美しく、歌詞がなんとも言えない心を慰める言葉で、歌っておられる秋山雅史さんの音量のある艶やかな声に、時を忘れて聞き惚れてしまいま した。それから、何度と無くこの歌を聴くにつれ、何故ゆえこれほどまでに現在の日本人の心の琴線に響き、慰撫されるのか?と考えるようになりました。 当然ながら、目まぐるしい索漠とした社会の中で、過酷な労働条件や人間関係に疲れ果てた人々がこの歌声を聞いて心がどれほど癒されていたか、は想像 は出来ます。また不慮の事故や事件により肉親の方の命を奪われたご遺族の方々の心をどれほど励まし、心の支えになった事も充分思いはかれます。 そして、大きく魅了された原因の一つが、遠くの長い祖先より受け継がれてきた仏教思想の遺伝子が現代の日本人の心の中に無意識のうちに残っていたのではないか?と思われてなりません。 『千の風になって』の原詩は、アメリカ発祥と言われていますが、意訳された新井満さんが日本人の心の原風景を見事に捉えた詩であったからではないでしょうか?おそらく直訳されていたらこれほどまでの反響は無かったものと思われます。 仏教思想に亡くなられた方が、仏様として、この世に還相回向(げんそうえこう)して残された人々の周りにいて見守るという、事がありますが、『千の風になって』の詩はまさしく、仏教の還相回向を詠っていると、思います。 弊店も、ホームページを立ち上げて7年半の、年月が過ぎ去りましたが、今日まで数多くの時計の修理をしてきました。その中には祖父の大事な形見や、両親の大切にされていた形見の腕時計の修理を何十個としてきました。 修理依頼主の方から祖父や、父親が蘇ってきたようで大変嬉しいという、手紙やメールを沢山頂きました。また奇特な方は直った腕時計をお仏壇の前で供養したという方もおられました。 祖父や親の形見の腕時計を再生させてまた自分の腕につけるという事は、『千の風になって』と同じ様な温かい懐かしい心境に浸って、心が癒されていくのでないか?と思われてなりません。 アンティークウォッチを蒐集するのとは全く違った思い入れがある、心証風景だと思われます。 ●続・時計の小話 第63話(鎖引き機構)●懐中時計では、鎖引き機構(チェーン・ヒュージ)を採用した時計は、過去には存在しましたが、腕時計にこの鎖引き機構を採用したのは、ドイツのランゲ&ゾーネが1995年に、初めて開発し発売しました。 今年、五月にランゲ&ゾーネの鎖引き機構を採用した腕時計の、二作目が日本初登場しました。 この『トゥールボグラフ・プール・ル・メリット』と名づけられた鎖引き機構採用の腕時計には、トゥールビヨンとスプリットクロノグラフ機能を併せ持 つ複雑腕時計です。完全自社開発のCal.903.0は、43石 21600振動で、プラチナケースでは世界51個の限定生産で定価は、なんと5,150万円もするそうです。 部品総数が600個にも及ぶそうなので、大変な手間がかかりそれだけの価格がするのでしょう。次回の日本入荷が3年後だそうで、組立調整に一流の時計職人が念入りに携わっているからに違いありません。 鎖引き機構とは、ゼンマイのトルクを一定化する為に考案されたものです。 香箱車と円錐形をしたヒュージの間を、チェーンで繋いでいる為に、輪列車にゼンマイのトルクを一定化して、繋げる事が出来る優れた機能です。(自転車の多段式変速ギアの効果を連想していただければ少し判って頂けるのではないか?と思います。) ゼンマイのトルクが一定化する、という事は、テンプの振り角が全巻き状態と、ゼンマイ巻き上げ残量が少ない時と、さほど差がないという事になります。テンプの振り角が安定化するという事は、ひいては歩度の精度が良くなり乱れもなくなり、姿勢差も起きにくくなります。 今から30年以上前の国産腕時計では、ゼンマイ全巻きの時に、テンプの振り角が300度あったものが、24時間すぎるとテンプの振り角が180度以 下に急激に落ちたのが当たり前でありました。テンプ振り角の大幅の減少により、歩度が大きく乱れる原因になり、その為に全巻き状態ではヒゲ棒、ヒゲ受けの ヒゲゼンマイのアソビを両アタリにし、ゼンマイが解けるに従って、ヒゲ棒、ヒゲ受けの間のヒゲゼンマイを片アタリにして遅れの発生を是正する様に調整した ものです。 現在では、部品の加工精度が著しく進歩した為に、このような事は起こりにくくなってきましたが、それでもこの鎖引き機構を搭載し、トゥールビヨンを 併せ持つこのランゲ&ゾーネの腕時計の精度は、恐らく推察するに日差-1〜+1前後の超高精度が出ているものと思われ、機械式腕時計では、世界最高度の精 度が出ているものと推察しています。 如何せん価格が天文学的な数字なので、購入する人は限られ、中近東の石油産出国の王侯貴族か、欧米及び日中の、IT関連長者が買うのではないか?と思われます。(5,150万円と言えば、中小時計店の年商の売上高に匹敵する金額ですからビックリします) 先日、テレビを見ていましたら、ロシアのサンクトペテルブルグのエルミタージュ美術館に、エカテリーナ女帝(1744-1810)が、イギリスの時計職人ジェームス・コックに命じて作らせた、豪華壮大な『孔雀のカラクリ時計』が展示されているそうです。 この時計は、にわとりと梟が時刻を告げ、孔雀が綺麗に羽根を広げるという複雑な機能を持ったカラクリ時計です。この時計も恐らくエカテリーナが、金の糸目をつけずに注文した時計と思われ、金額も恐らく当時としては天文学的な数字になった事でしょう。 小生の知人夫婦が、二組、サンクトペテルブルグに旅行してこられてお話を聞きましたが、言葉で表現出来ないほど美しい街で、料理も美味しく、日本人旅行客に対してもとても友好的であったそうです。 小生もいつの日か、この『孔雀のカラクリ時計』を拝見しに、また若い頃愛読したロシアの文豪ドストエフスキーが住んでいた、サンクトペテルブルグに訪れてみたい、と思います。 ●続・時計の小話 第64話(最近のロンジン社の動向)●今年、創業175周年を迎えた、ロンジン社が新スポーツコレクションを発表し、大きく変容を遂げようとしています。 1832年スイスのサンティミエで創業した歴史ある名門のロンジン社は、1960年代後半のの機械式時計が頂点を極めた頃、ロレックス社、オメガ社、IWC社、ジャガールクルト社と並び賞されるほどの機械式腕時計の名門時計会社でした。 クロノグラフムーブメントを世界最初に製作したのはロンジン社ですし、1896年開催された第一回アテネ近代オリンピックでも、ロンジン社の 1/50秒計のクロノグラフが採用されているほどの技術力に優れた時計会社でした。ロンジン社の歩んできた歴史は、天文台コンクールでいつも上位の常連で したし、冒険とスポーツに限りなく挑戦してきた時計会社と言えます。 皆さんがよくご存じなのは、1927年5月、チャールズ・A・リンドバーグがニューヨーク〜パリを33時間30分かけて大西洋無着陸横断飛行に携帯 した腕時計はロンジンの腕時計でした。1899年のルイジ・アマデオ氏の北極海探検、1904年のJ・E・バーニー氏による北極探検、1928年の南北極 探検をしたリチャード・E・ハート氏等はいづれもロンジンの時計を持参して、快挙を成し遂げたのです。 36,000振動のハイビートの高精度腕時計ロンジン・ウルトラクロンや、ロンジン・コンクェスト・エレクトリックや、1969年に発売された年差 60秒という当時としては、超高精度のロンジン・ウルトラ・クォーツ等も自社開発し、発売するほどの高度な技術力を持った、他社を圧倒する時計会社であり ました。 この数年、量販店のチラシを見ると必ずと言っていいほど、ロンジンのクォーツ腕時計が60〜70%OFFで売り出されている事を目にしてかっての栄光あるロンジン社がこれほどまでに値引きしないと売れない、とは寂しく情けない感じがしたものでした。 なんとか昔の栄光と名声を取り戻して欲しい、と思っていたのはロンジン・ファンの方なら誰でもそう思われていたのではないか?と思います。 今年になって、スウォッチグループの一員であるロンジン社に対して、スウォッチグループ親会社が、本気になってバックアップし、かっての名声を取り戻そうと懸命に力を注いでいるのがハッキリ解ります。 今年発売されたロンジン・スポーツコレクションはどれも見事な出来映えで、デザインも秀逸で価格もこの造りでは、想像だに出来ない低価格に抑えていて、今後ロンジン社は多くの機械式時計愛好家から温かい応援の眼差しを受けるに違いありません。 その代表的な機種にロンジン・レジェンドダイバー(税込み定価241,500円)、ロンジン・グランヴィテス(税込み定価288,750円)、ロン ジン・ハイドロコンクェスト(税込み定価288,750円)、等々の素晴らしい魅力のある出来映えの良い時計が沢山新作として発表されています。 最近、スイス時計メーカーがスイスフランの高騰により、値上がりしている事を思うにつけ、よくぞここまで価格を抑えられたものと感心しています。 ロンジン社は、今後マニュファクチュール化を目指さないで、スウォッチグループの一員であるムーブメントメーカーETA社から、優秀な汎用ムーブメントを安定して供給される事の裏付けがあるからこそ、この様な思い切った価格設定が出来たものと思います。 ちょっと名前の売れたスイス腕時計が100万円を超す時代になった今、その一方でスウォッチグループが取り扱っているロンジン、ハミルトン、ティソ等、小売価格の設定が他社と比較して如何に良心的かいつも驚かされます。 ●続・時計の小話 第65話(オーデマ・ピゲ社の日本人・青年時計師)●先日、衛星放送を見ていましたら、スイス・ジュウ渓谷で、1875年創業の名門時計会社、スイスのオーデマ・ピゲ社で、複雑時計を開発設計している日本人の青年時計師、T・H君(30才)が紹介されていました。 時計師として、ズバ抜けた才能を開花させたH君は、潜在的な時計師としての資質が十分にあったものと思われますが、それ以上に彼の日々の努力が今日の彼の地位を築き上げたに他なりません。 彼は高校時代に時計雑誌に啓蒙され、高校卒業後、スイス・ニューシャテルのフランス語専門学校に2年間通い、フランス語をマスターするや、ヴァレ・ ド・ジュウ時計学校(1901年創立の名門時計学校)に3年間学び、そこを優秀な成績で卒業するや、ル・ロックルの時計専門学校で、レストア(修復)コー スを卒業し、オーデマ・ピゲ社に就職された経歴の人です。 オーデマ社の複雑腕時計の開発の段取りは、CADで設計し、プラスチックのプロトタイプを作製して、作動等を確認し、次に更に三次元のCADで設計仕直して、再度プロトタイプを作って作動等を再確認して、 彼は複雑時計の時計設計師として、スイス時計業界に名を轟かせているジウリオ・パビ氏の元で研鑽を積み、今では複雑時計設計のグループのリーダーとして、活躍されています。 今後、彼の様に夢と希望を持った、日本の青年達が単身スイスに渡り、スイス・ニューシャテルのWOSTEP時計学校(1966年創立)で学び、時計 師として身を立てていく青年達が、多く現れると思いますが、H君の様に不屈の精神を持っていろんな困難に立ち向かっていけば、必ずや道は自ずと開けてい く、と思います。 夢を持って頑張って欲しいと思います。 小生が1971年度のCMW試験に合格した時、同じ名字の青年のH君がおられ、今オーデマ・ピゲ社で活躍しているH君は、なんらかの彼と縁のある人 ではないか?と想像したりしています。そうでないと、18才の青年が、全く未知の国のスイスへ単身留学に行くという、勇気は沸いてこないのではないか?と 思ったりしています。 ●続・時計の小話 第66話(日本人好みの裏スケルトン)● 弊店の一番人気の舶来機械式腕時計は、エポスとノモス社、ハミルトン、オリスの腕時計です。 時計好きな日本人は、未知への旺盛な探求心の為か、機械の中がどのような仕組みであるのか?知りたくて裏スケタイプを購入されるのではないかと思われます。(もしくは機械の美しさに魅了されていると言った方が適切かも知れませんが) この日本人の裏スケを好む傾向は、今に始まったのではなく、明治時代に輸入された『商館時計』の懐中時計は、内蓋がガラス式で、中の機械が見える、 という工夫がなされていました。横浜や、神戸にあったシイベル商会(昭和40年代のオメガの日本総代理店シイベル時計の前身、現在はシイベルヘグナー 社)、ファーブル商会等の輸入商会は、日本人の性質、嗜好傾向を十分研究しつくして、日本人向けには、裏スケタイプの懐中時計を製作し輸入して販売したものでした。 江戸から、明治にかけて、東洋には清という大きな国が存在しましたが、中国の清の皇帝向けには、自鳴鐘等のからくり時計を輸出しましたが、日本人向けの様な裏スケタイプの懐中時計を輸出した数は少なかったに違いありません。 日本人が、明治時代から裏スケタイプを好む原因は、日本人の特殊な民族性によるものと私は思っています。元来、日本人は、手先が器用で几帳面で繊細で、緻密な美術工芸品を造り続けてきましたし、その美しい工芸品を日常的に使い、生活に溶け込ませてきました。 その生活的習慣によって見知らぬ懐中時計の構造まで知り尽くしたいという欲求があったとしても不思議ではありません。 先月、石川県立美術館で『浮世絵名品展』が開催され観てきましたが、鳥居清峰の江都堺町大芝居狂言之図(遠近法を取り入れた細部まで手抜きのない構図)や、歌川広重の両国月之景の細やかな繊細なタッチの図法に驚嘆してきました。 美術館の係員に尋ねましたら一枚、数千万円の値打ちがあるそうで余計の驚きました。その当時から、日本人の浮世絵師の秀でた才能の卓抜さに、驚かざるを得ません。天才的画家ヴィンセント・ヴァン・ゴッホも浮世絵を参考にして絵を描いているのも事実です。 幕末に日本に来た、タウンゼント・ハリスや、M・C・ペリー、C・P・ツュンベリー、オールコックは、日本人の職人技術の優秀性を認め、日本の漆 器、蒔絵、絹織物、陶器、冶金、金属の彫刻技術、木材・竹材加工等に欧米の最高傑作品にも勝るとも劣らないのと絶賛しています。また日本人は喜望峰以東の いかなる民族よりも優秀であると断言しています。 そういう将来を見据える事が出来る江戸末期から明治時代の日本人が教育や、鉄道、軍事に必要となる時計製造に手を染めるのは時間の問題だったと言えるでしょう。 セイコーの創業者の服部金太郎翁が、輸入された商館懐中時計を見て、日本人でも技術の研鑽を積み上げれば、この程度の物は日本でも十分造り上げる事が出来る、と確信して、精工舎を立ち上げたに違い無いでしょう。 以前に日本製品は、猿真似だと欧米諸国から揶揄されましたが、模倣品を正確に造り上げていく段階で見本の本物以上の完全な物を作ってしまうという、頭脳明晰で潔癖な民族性によると思っております。 大げさに言えば、明治時代の日本人が舶来の懐中時計の裏スケタイプが好きであったからこそ、今日、日本の時計メーカーが誕生し大躍進が遂げた原因の一つと確信しています。 ●続・時計の小話 第67話(T老時計師からの贈り物)●先日、千葉県市川市のK・T様より時計工具類(ヤットコ13本、ヤスリ7本、四つ割4個、目打ち台3個、キズミ3個、刷毛3本、精密ドライバー、精密天秤等多数)が送られてきました。 これらの工具は、T氏が長年に渡り、時計職人としてお使いになられてきた物で、非常に年期の入った工具類でした。修理家業を既に辞められてから長い年月が過ぎていたために錆びていたのが残念でしたが、小生に今後役立てて欲しい、という事で送られてきたものでした。 T氏は大正2年のお生まれで、御年94歳のご高齢の方ですが、今でも健康に過ごされているそうで、とてもお目出度い事であります。 一年半ほど前に、T氏からメールを頂き、小生が書いている『時計の小話』を愛読している、という嬉しいお言葉を頂きました。後日、T氏よりいろんな資料が送られてきて、私の父親と生まれた時代が同じ頃なので、懐かしく想いながらT氏の資料を拝見させて頂きました。 T氏は、若い頃より時計店を経営する事に大志を抱き、昭和8年に東京時計商工同業組合(組合長・野村菊次郎、副組合長・千野善之助)が主催した、時計修理技術試験に合格して、時計職人として、第一歩を踏み出されました。 その時の試験は、学科と実技があり、旋盤で天真を作り、巻き真は四つ割にスチール棒を挟んでヤスリがけして作ったそうです。当時としては、恐らくかなりの難度の高い試験だったのではないか?と思われます。東京で30名の方が受験され、20名の方が合格されたそうです。 氏はその後、中国・満州国に渡り、昭和10年〜昭和21年まで満州国におられたそうです。 満州国の奉天大和区江ノ島町3番地『千日通り』にT時計店を設立され、5人の時計職人を雇う程、大きな店へと発展なされ、一日に、時計修理が30個 ほど来た繁盛店であったそうです。店内にはボーレ旋盤機、洗浄機もあったそうで、当時としては最先端の修理設備を持つ店であった事が伺いしれます。 お店の写真も送られてきましたが、今でも通用するような立派な店構えで、T氏の頑張りと営業努力が良く理解できました。終戦後、この店を閉じて日本に帰る時は、恐らく断腸の思いで涙を流されたに違いありません。 人に言えないほど辛い思いをされたに違いなく、帰国後立ち直るまで長い時間がかかったのではないかと痛ましく思われます。日本に帰ってからは、その後時計商よりも宝石商として、事業内容を変更なされ今日到ったそうです。 工具類と共に送られてきた中に、氏が長年に渡り時計学を学んできた事が推測出来る、分厚いノートも送られてきました。一部読まさせて頂きましたが、几帳面な字でビッシリと時計修理作業の事が書かれていました。 恐らく、氏が大望を抱いてから、一生懸命に時計学の勉強に励んでこられた事が容易に想像出来るほどの濃い内容でありました。T氏の様に、一生懸命に なって生きてこられた方々が、この世には沢山おられるのではないか?と思い、頂いた資料と工具は大事に保管して、時計技術通信講座を再開した時に、受講生 に見せたいと思います。 ●続・時計の小話 第68話(2006年度のスイス・クロノメーター総数)●スイス時計協会(FH)の資料によりますと、2006年度にスイス・クロノメーター検定協会(COSC)が認定した、クロノメーター証明書発行総数は、約130万枚でした。 前年対比10.7%の増加でした。 この数字から推察するに、世界中のスイス腕時計を求めるお客様の機械式腕時計の精度に対する要求が、次第に強くなっていったものと思われます。そし てクロノメーターを取得することで付加価値を高めているのでしょうか?証明書発行数の内訳は、メカ式が約124万件、クォーツが約5万6千件でありまし た。 メーカー別にクロノメーター証明書、取得上位3社には、ロレックス社、オメガ社、ブライトリング社が顔を並べています。 その3社の内で、ロレックス社が約72万件もの多くを占め、シェアは、55%にものぼります。ロレックス社の代表的なキャリバー、メンズ用 Cal.3135、レディス用Cal.2235は、設計上、非常に優れている為に必然的にクロノメーター級の精度を獲得するのは簡単な事かもしれません。 推察するにロレックス社に1000人の時計技能者がいて年200日工場が稼働するとして、日産3,600個近くのクロノメーター腕時計を生産している事になります。これは、一人の時計技能者が一日3個のクロノメーター生産を担当している事になるでしょう。 組立調整作業は一部はオートメーション化され、各作業が専門職によって特化され効率よく生産されているに違いありません。常日頃からロレックスの腕 時計をオーバーホールする時に、思う事があります。香箱車、二番、三番、四番、ガンギ車、等の輪列車の地板への組み込みが非常に容易で、弊店の時計修理通 信講座の修了生の皆さんでも簡単に組立出来るほどの易しさであります。 二位には、オメガ社が約26万件、三位にはブライトリング社が18万件のクロノメーター証明書を取得しています。オメガ社もブライトリング社も、内 蔵しているムーブメントの90%以上はETA社のムーブメントを採用しています。その事を考えますれば、ETA社のムーブメントが如何に優秀な機械である か、解っていただけるのではないか?と思います。 一部の精通しているかのごとく思われている時計マニアから、ETA社のムーブメントが軽んじられていますが、それは大いなる誤りと言っても間違いあ りません。ETA社のリーズナブルな汎用ムーブメントが大量に生産されているからこそ、世界中のスイス時計を愛する人々が手頃な価格でスイス腕時計を身に つける事が出来るという喜びがあるのです。 オリス、エポス、ハミルトン、フォルティス等のスイス時計のムーブメントは皆ETA社のムーブメントを搭載しており、少し手を加えればどれも糸も容易くクロノメーター級の精度は出るのです。 またクォーツのクロノメーターの殆どをブライトリング社のクォーツ腕時計が占め約5万件以上の数に上っておりますが果たしてクォーツにクロノメーター証明書を取得する意味が有るのでしょうか?小生は少し疑問に思ってしまいます。 ●続・時計の小話 第69話(後継者が育って)●弊店の時計技術通信講座の2003年度の修了生の静岡県のK君から、とても嬉しいメールが先日届きました。 真面目で手先が器用なK君は、2005年には長野県の信州・匠の2級時計修理士に合格しましたが、その後も時計技術の研鑽を積み上げ、今年の秋に2 回目の『信州・匠の1級時計修理士』試験に臨み、その結果、栄えある合格をしたとの知らせを受け、昨今の暗いニュースが続く中、小生にとって、とても嬉し いニュースでした。 K君が、異業種に従事しながら休日に時計修理の勉強を励んで、限られた時間しかないというハンデキャップを背負いながら、1級時計修理士試験に合格したという事は素晴らしいの一語に尽きます。 彼の話によると、修理する時に集中力を高める為に、妻と子供を実家に預けて、静かな環境を作って、勉強されたそうで、その姿勢・熱意には頭が下がる 思いであります。今後も合格に甘んじる事なく、さらに上を目指して腕を磨き立派な時計師として、世間から認められる人になって欲しいと、思っております。 昨年度の最後の修了生で優秀な成績で卒業した神奈川県のN君は、K君と同等の能力を持った青年であり小生も何かと期待していましたが、この度、来春の国家検定2級時計修理技能士試験を受けたいとの連絡を受け、彼のやる気に喜んでいます。 一度で合格するのも大変良いことではありますがK君のように、2度目で合格するように、少し気持ちにゆとりを持って試験に臨むようにアドバイスしています。 国家検定2級時計修理技能士試験は、試験教材がクォーツである為、彼はオークションで旧型のセイコー・クォーツを2個手に入れる程の情熱があり、そのセイコー・クォーツキャリバー0923の技術解説書が弊店にあったので、コピーして彼の元にお送りしました。 N君もK君に続いて、資格を獲得して欲しいと願っています。時計技術通信講座をしたおかげで、K君やN君の様な能力ある青年と知り合え、時計技術の後継者が育っていくことに万感の思いがあります。 一昨日(11/15)より、静岡県の沼津市で『2007年第39回ユニバーサル技能五輪国際大会』が開催されました。 46ヶ国約2,800人の予選を勝ち抜いて選ばれた優秀な若人・職人が集まり、48種の職種(溶接・タイル張り・建築大工・家具・建具・自動車工など)で技術を競い合う大会が行われています。 彼等は、将来的には、各国の産業の生産現場でリーダー・屋台骨になる人達です。 株式投資や、為替相場等の金融相場で一攫千金で何億、何十億と儲ける仕事もありますが、コツコツと地道な仕事をこなし、製品を造り上げていくとい う、腕の良い職人が沢山いて繁栄していく産業こそ、国のしっかりとした基礎を築き国を発展させる何物にも替えがたいものです。競技課題に時計修理技術が今 回無くなったのは、残念であります。 今まで時計メーカーに勤める日本の若き時計技術者がこの大会に参加して、金メダルを沢山取ってきた過去の実績もあり、今後は是非、時計修理技術を競技課題に復活して欲しい、と願って止みません。 ●続・時計の小話 第70話(ETA社の気になる動向)●2002年夏に、スイス及びドイツの腕時計メーカーに恐怖のニュースで震撼させた出来事がありました。 それは、スウォッチグループのムーブメント担当製造メーカーである、ETA社がスウォッチグループ以外の、スイス及びドイツの腕時計メーカーにETA社のムーブメント・キット(エボーシュ・パーツ)を近年中に供給しない、と宣言した事でした。 その後、スイス公正取引委員会の綿密な調査が終了し、2008年まで現状のままムーブメントパーツを供給し続ける事が内定しましたが、2010年で ETA社が自社のムーブメントのエボーシュを、スウォッチグループ以外の時計メーカーに供給をストップ出来るという、許認可を貰う事が出来ました。 その決定により、スイスの95%以上のほとんどの腕時計ブランドメーカーにとって、大きな宿題を課せられた事になった訳です。 ETA社がスウォッチグループ以外の腕時計メーカーにエボーシュを供給しなくなる2010年以降は、自社ムーブメントを所有していない時計メーカー にとって死活問題であり、会社の存続する事すら不可能になる可能性が大になる為に、ETA社は、なんとか生き延びる妥協する逃げ道を作ってくれました。 それは、ETA社製ムーブメントの各パーツ(仕上げ加工を施していない半完成品・エボーシュ)は供給しない代わりに、ETA社の完成・コンプリート ムーブメントは2010年以降も供給する、という穏和な決定をした事です。その事により、自社ムーブメントを持っていないスイスおよびドイツの時計メー カーは、胸をなで下ろしたに違いありません。 しかし、その決定を受けるにあたり、スイスの大多数の時計メーカーの生産コストは大幅に上がらざるをえなくなり、今年小売上代がほとんどのスイス時計メーカーが値上がりした率以上に、大幅な価格改定が2010年以降に続々と起こりえるのは必定であります。 今般の機械時計式腕時計の隆盛と共に、ユーザーの方々から、大きな支持を得てきたスイス各腕時計メーカーの消費に冷や水を浴びせさせ、人気が大きく 落ち込むのは目に見えて解ります。そういう事が近々に起こりえると予知したスイス時計メーカーのCEO達が自社ムーブメント製造へと大きく舵をとってきた のは皆さん承知の事実であります。 パネライに代表される様に弊店で取り扱っているノモス社、フレデリックコンスタント社も自社開発ムーブメントを完成させてきました。その一方、自社 開発ムーブメントを完成させていない多くのスイス腕時計の価格は2010年以降大幅に値上がりをせざるを得ない状況に追いやられ、日本の時計愛好家の人達 もその点に関して大きな危惧を抱かれているものと思います。 今から30年〜40年前では、セイコー社、シチズン社も毎年何種類かの新型機械式ムーブメントを製造し続けてきましたが、それはなんの不思議さを抱く事さえ感じる事なく、新型機械式ムーブメントを開発するのが当たり前の様に捉えられてきました。 一方、最近のスイス時計や日本の時計メーカーの新型機械式ムーブメントを生産するブランドの小売価格の推移を見てみますと、新ムーブメントを開発す るに人的および、資金的に莫大な費用がかかるのは必然ではありますが、予想を大幅に超える価格設定をしているためにユーザーにとっては、商品が魅力では あってもなかなか手が出せないという、事実があると思われます。 以前のセイコー社やシチズン社が新開発機械式ムーブメントを開発したからといって、小売価格に全く上乗せをしない、という良心的な企業姿勢を見習ってスイス及び日本の時計メーカーもこの方向で、進んで頂けたらと、小生は思っております。●続・時計の小話 第71話(あのブローバ社が) ●シチズン時計は、先月(2007年11月)アメリカの著名な時計会社BULOVA社(本社アメリカ・ニューヨーク州、1875年ジョセフ・ブローバがニューヨークに宝石店を開業したのがブローバの歴史の出発です。)の、発行株式数を全て取得して、完全な子会社にすると、発表しました。 10月4日に株式譲渡契約書を締結して、来年1月10日に、全株式が引き渡されるそうです。買収金額は288億円になるそうです。(非常に大きな投 資と言えるでしょう。一方のセイコー社は子会社のセイコージュエリー社を最近解散いたしました。宝飾事業は今は難しい時代です) シチズン社がブローバ社を買収した原因は、巷間色々取りざたされていますが、セイコーにALBAがあるように、シチズンには第二ブランドの普及版に 弱く、以前にセイコーALBAに対抗して、廉価版のジャンクションや、Q&Qが上手く市場に浸透しなかった苦い経験があったからなのかもしれませ ん。 また、世界的に名前が知れ渡っているブローバのブランド名に惚れ込んだのかも知れません。何れにしてもシチズン製ムーブメントを搭載したブローバ高級腕時計が来年度には市場を賑わすものと思います。 現在のブローバ社は、アメリカ、カナダ、スイス、香港に事業所を展開して、年間売り上げ規模は約240億円程度の時計会社になっています。ブローバ社と言えば、音叉腕時計アキュトロンを開発・発売した有名な時計会社で以前から、シチズン社とは、深い関係がありました。 1969年にセイコー社がセイコー・クォーツ・アストロンを他社に先駆けて発売した為に、水晶腕時計の開発の遅れを取り戻すべく1970年、シチズ ン時計(株)は、米国ブローバ・ウォッチ社との合弁会社、(株)ブローバ・シチズン(資本金9,000万円)を設立し、音叉腕時計の技術供与を受け、 1971年音叉式腕時計(シチズンハイソニック、)の販売した経緯がありました。 その後の推移は 『水晶腕時計の興亡』に詳しく書きましたがセイコー・クォーツに無惨にも敗れ去った過去を持っています。 ブローバ社は、ウォルサム時計会社、タイメックス社と共に、アメリカを発祥とした、世界的に有名な時計会社です。日本のシチズン時計の小会社として、果たして世界中の人々から支持され、認知されていくかどうか?幾ばくかの不安があります。 ごく最近、日本を代表とする松下電器がアメリカの魂と言って過言では無い、アメリカの映画会社(ユニバーサル映画)を買収しましたが、なんら業績を上げる事無く、大きな赤字を作って撤退した事は皆さんご存じだと思います。 杞憂に終わらなければいいのですが、シチズン社も松下電器の様な、同じ苦い蹉跌を踏むのではないか、思われて仕方ありません。何とか大きな投資に見合う成功を成し遂げて欲しいと願っております。 ●続・時計の小話 第72話(スイス時計の日本輸入代理店の運命や如何に)●個性的な文字板・顔で人気のあるアラン・シルベスタインの日本輸入総代理店である、モントレソルマーレ社が4年前からアメリカ発祥のボール・ウォッチを初めて手がけて、日本での拡販に営業努力をされてきました。 当初は日本でのボール・ウォッチ取扱い時計店は少なく、知名度も余りありませんでしたので、今ひとつ人気がパッとしませんでした。時計雑誌や、時計 専門誌に広告宣伝攻勢を積極的にかける事により、知名度も少しづつ上昇し、取扱い店も当初より倍以上も増えていき、日本の舶来時計愛好家の人達から、少し づつ支持を得てきたかと、思われていました。 弊店にもモントレソルマーレ社の営業セールスの幹部の方が、2回ほど訪れて、取扱いをしてほしい旨の訪問を受けましたが、未だその時期では無い、と 判断してボール・ウォッチの取扱いを見合わせておりました。何時の日にか、弊店でもボール・ウォッチを取扱いをしてもいいのでないか?と思っておりました 所、今年いっぱいで、ボール・ウォッチの日本輸入代理店である、モントレソルマーレ社がボール・ウォッチの取扱いを中止せざるをえない状況に追いやられた そうです。 理由は、ボール・ウォッチ本社が、モントレソルマーレ社の日本での営業実績に満足せず、来年度の契約更新に到らなかった、という事です。来年度からは、ボール・ウォッチ・ジャパン(株)が設立され、直営方式に方向転換されるそうです。 4年間のモントレソルマーレ社の、やっと育て上げた営業努力は、全く無に帰し、水泡になってしまいました。 それにしても外国人のビジネスは、とてもシビアだと思わざるをえません。そう言えば、パテック・フィリップも日本輸入代理店であった、一新時計(株)から手を放れ、パテック・フィリップ・ジャパン(株)の直営に移行しました。 今では有名になりましたがパテック・フィリップを日本で広めるためにどれ程、一新時計(株)が努力をされたか長年の苦労が偲ばれて気の毒に思われま す。ジャガールクルトは、日本デスコ(株)から、リシュモン・ジャパン(株)に移行してしまいましたし、過去に於いてはロレックスは、リーベルマン社から 直営の日本ロレックス社に移行したりしました。 『卸商・無用論』なるものが蔓延り、セイコーや、シチズンの数多くの卸商は、世の中から淘汰され自然消滅していきました。セイコーや、シチズン、リズム、オリエント等全てメーカー直営方式に移行しました。 スイス腕時計の、日本の輸入総代理店も近い将来は、恐らくスイス本社は、総代理店方式を見直し、直営方式のジャパン子会社を設立していくものと思わ れます。3〜40年前、ラドーの日本総輸入代理店であった酒田時計貿易社は当時は飛ぶ鳥を落とす勢いがあったにも関わらず、ラドーの日本販売権利を失い、 スウォッチグループジャパンに移行したが為に、倒産の憂き目にあいました。 日本にある、30社以上にのぼる、舶来時計の日本輸入代理店の社長は、取扱いのスイス時計の契約をいつ打ち切られてしまうのではないか?という不安に怯え、戦々恐々としているのではないか?と思われて仕方ありません。 そう言えば、弊店と懇意にしている、ある日本輸入代理店の社長も、取扱いスイス腕時計ブランドを増やして日本での販売の柱に多くを育てて行かなけれ ば、今まで安穏として供給されていた人気のあるブランドがいつ契約を断ち切られてしまうのではないか?という、漠とした、不安感を持っているという話しを 聞いた覚えがあります。 現在、よく売れていれば売れているほど、また売れなかったら売れなかったにせよ、どちらに転んでも契約更新が断絶されてしまうのではないか?という、懸念を日本輸入代理店の社長はいつも抱きながら、 ●続・時計の小話 第73話(クォーツの逆襲なるか?)●昨年(2007)の秋以降、スイス製腕時計の高級品クラス(50万円〜100万円前後)の売れ行きが悪くとても苦戦している、という話をスイス輸入元商社の営業マンの人からよく再三に渡り聞きました。 R社、J社、Z社、I社等のスイス有名ブランドの腕時計も歳末商戦では、期待を裏切り、一昨年度よりも、売上高が減少したのではないか?と囁かれて います。原因はいろいろ考えられますが、年初以来のユーロ高騰により輸入価格が昨年4月より軒並み上がり、それがひいては日本での販売価格への転嫁で、値 上がりしたのが大きく影響したと言えるかも知れません。 またアメリカのサブプライム住宅ローンの焦げ付き信用不安で世界中に金融破綻の連鎖が起こるのではないかという消費者心理に大きな暗い影を落とした 事も、影響があったと思われます。また昨年末、日経平均株価が年初より大きく値下がりした事も先々日本の経済の将来に対しての、漠とした不安感があったか もしれません。 また、昨秋以来マスコミ等で大きく取りあげられてきた、ワーキングプアの切実な問題、低賃金に抑えられている320万人以上に昇る派遣社員の方々の報われない問題等が、舶来高級腕時計を購入予定の人々になんらかのマイナス要因が強く働いたのかもしれません。 一方で、ハミルトンやルイエラール、エポス等のスイス普及品クラスの腕時計には、世界中から注文が殺到し、納品が裁ききれないという、ジレンマに襲 われました。特にハミルトンの日本の輸入代理店であるスウォッチグループジャパンにも売れ筋のハミルトンの在庫が売り切れてほとんど無く、注文受けた日本 の時計店は納品できずに大いに悩んだ事でした。 元々、ハミルトンやルイエラール、エポスは日本での小売価格を目一杯に押さえ込んであり、昨年の秋の値上がり率も他社のブランドと比較して、非常に 低く抑えていた為に、シビアになってきた腕時計購入予定者の方々から大いなる賛同を得たものでした。悲しいかな注文が殺到しても輸入元に在庫が無かったと いう残念な結果になった店が多かったと思います。 ハミルトンの営業マンの人に聞いた所によりますと、ETA社のムーブメントが予定どうりに入荷してこない為に大幅にスイスで生産予定が狂っている、 という話しをされていました。恐らく、スイス本社のスウォッチグループの統括部門では、ETA社のムーブメントを高価格で売れる他のブランドの高級腕時計 に優先的に納入している為と思われて仕方ありません。 日本のスイス高級機械式腕時計を愛好してこられた人々も、度重なるスイス腕時計の値上がりに業を煮やして再度購入するのを躊躇った気配があると、思 います。日本のスイス腕時計の輸入商社の経営者の方々には、スイス高級品腕時計が今まで嘘のようによく売れたからといって、傲慢にならず安易な値上がりは 出来うる限り避けていただきたい、と思わざるをえません。そうでないと、これだけ機械式腕時計が売れてきた今、その熱い消費に冷や水を浴びせかねません。 日本のトップクラスの売り上げを誇る有名時計卸商のセールスマンから聞きましたが、歳末商戦で大手百貨店の時計売場に応援に行った所、やはりスイス 腕時計の高級品は軒並み売れ行きが悪く対前年度かなり落ち込んだそうです。その一方で、1〜3万円クラスのスイスやイタリア製のデザインが秀逸な廉価 クォーツ腕時計がよく売れたそうです。弊店でもキャサリンハムネットのクロノグラフ、カルバンクライン、トラサルディのクォーツが歳末によく売れました。 この現象が一時的な傾向だったのかそれとも、これから大きく育っていくのか暫く見守るほかありません。これらの魅力的なデザインのクォーツは、 6〜7年で使い捨てしても十分元が取れる腕時計で、今後機械式腕時計に対して、大きな脅威に育っていくのではないか?と思われて仕方ありません。 ●続・時計の小話 第74話(『時の仕掛け人』出演依頼)●昨年(2007年)の9月12日に、テレビ東京系列BSジャパン『時の仕掛け人』構成作家Y氏より、テレビ出演の依頼が小生にありました。 全13週に渡り、2008年1月上旬よりより、毎週30分放送予定で、毎回5〜7分小生に,時計に関わるいろんな話しをして欲しいという、ご依頼で した。大きく三つに分けて、13の有名時計メーカーの紹介、時計の小話、時計の修理物語に分けてお話をして欲しい、というお願いでした。 放送の詳細内容は CMW(時計職人)とはどんなものか。クロノメーターとは? その他、マニュファクチュールのメーカーの話や、その凄さを解説。 ムーブメントの構造。色んなムーブメントがあるということを紹介。名機など。 弊店ホームページの小話200話「時計店店頭の今昔」のような話 等々について語って欲しいとの事でした。 Y氏からご依頼があった頃は、体調も良くお受けする旨を伝えましたが、取材予定の11月中頃になると、風邪を引き体調を少し崩し、細かい仕事の連続 のせいか眼精疲労の蓄積が頂点に達していて眼科に通う日々でした。また、『時計の小話365話』出版にかけて原稿を改めて推敲しなければならないという雑 用もあり、丸一日かけての取材はとても受けられそうになく、快諾の返事を延ばしておりました。 以前にNHKや、地元の石川テレビ、北陸放送等に取材を受けた時、丸一日がかりの撮影等で時間が拘束され、慣れない為に非常に疲れて、取材後、2、3日仕事が出来ない状態になるなど、取材は大変骨が折れるものと理解していました。 今度の依頼も体力的に自信が無く、今回の取材はお断りしようかな、と思っておりました。 以前にも外資系のクレジットカード会社より7ヶ月に渡り、カード会員に送る月刊誌『SIGNATURE』に時計に関して面白い記事を執筆して欲しい旨の依頼が有りましたが時間的余裕がないために丁重にお断りした経緯が有りました。 今月上旬より、第一回の『時の仕掛け人』が放送されました。 構成作家Y氏は、電話でお話しましたが、穏やかな紳士的な口調の人で、時計に関して情熱的な気持ちを持っておられる人と察しましたので、優れた時計番組が出来ていると、思います。 ぜひ、この『時の仕掛け人』の番組を読者の方々にも見ていただけたら、と思っています。 ●続・時計の小話 第75話(大阪府時計高等職業訓練校について)●昨年の、秋頃より弊店の時計技術通信講座を『何時頃になったら再開されるのですか?』というメールや、電話を頂きます。小生の体調が万全になり、やる気が起こりましたら、受講生をお受けして再開したいと思っております。 また、時計技術を身につけるには、どの様な方法・段取りをすればいいのですか?とか、時計職人として、身を立てるにはどのような道を選べば早く独立 できるのですか?とか、小さいながらも時計店を将来経営したいので、どのような計画で、また方策を採ればいいのですか?とか、色んな相談や質問がメールで 送られてきます。 時計技術を身につけるには、現在では、 但し、何れも授業料が高額ですので生徒の皆さんにはかなりの負担を強いることになります。昔の様な、時計技術を習得した時計店・店主の家に住み込み で働いて教えを請うという、徒弟制度が崩壊した今、なかなか、時計学校を入学しないで時計技術を独学で身につけるのは難しい時代だと、言わざるをえませ ん。 でも、本人の持って生まれた器用な才能に恵まれ、初志貫徹する強い意志があれば、独学でも時計技術は身に付くものです。実際、弊店の4回の時計技術通信講座を修了した人でも長野県の匠の時計職人一級試験を合格した、青年もいます。 大阪府には、大阪府知事認定『大阪府時計高等職業訓練校』 働きながら、1年間に渡って、時計技術を基本から徹底的に教えを受けられるという高等職業訓練校です。時計技術の講師陣には、日本時計師会の理事で おられました、岩崎吉博先生(CMW)、飯田弘先生(CMW・著書・『時計師のための天文学』がある高名な時計師)、また日本時計師会・会長を長年に渡り 務められた飯田茂先生の直弟子である有隅武正先生(現代の名工・褒章受賞者・CMW)等の日本の時計技術界においては名だたる先生方が講師陣を務めておら れます。 1週間に2日、訓練校に通い講義を受けます。他の3校の時計学校と違って、授業料がとても格安で設定されている為に、金銭的に余裕の無い若い人でも、通うことが出来ると思います。 入学金は20,000円、授業料は230,000円(年間 教材費、管外研修費含む)です。 1年間、講義を無事に修了したあかつきには、国家検定二級時計修理技能士の学科試験が免除され、修了後6年間の実務経験で、職業訓練指導員免許の受 検資格が取得できます。大阪府在住の人で将来、時計技術で身を立てたい、と希望される人は、このような道もある事を選択枝の一つにしていただけたら、と思 います。 ●続・時計の小話 第76話(革バンドの手入れ)●全国各地から修理依頼で送られてくる腕時計の中で、革バンドのタイプでそんなに長い年数を使用していないと思われる革バンドでゴワゴワになって硬化したものや、腐敗臭の悪臭を放つ革バンドがあります。 時計本体は高価なので、それなりに皆さん汚れが付いた時はセルベット等で綺麗に拭かれているのですが、革バンドまで、いつもかかさず手入れをされている方は少ないのではないか?と思います。 革バンドの寿命は、2〜3年と言われていますが、常日頃から手入れをしていれば本革の場合、5〜6年の耐久性があります。スイス腕時計の純正革バン ドを輸入元から取り寄せ致しますと、普通品で8,000〜15,000円ぐらいするのが当たり前で高価な物ですと30,000円以上もするものも有りま す。高価なものですので汗を盛んにかいたときは手入れをしていただきたい、と思います。 時計の純正革バンドは最高級品の革を使っている場合が殆どですので時計革バンドも汚れた場合当然手入れは必要かと思います。靴やバック等の場合、汚 れた時は皆さんはブラッシングをしたり、クリームを塗って手入れをされていると思います。時計革バンドもそのように手間暇かけてして欲しいと思います。 革バンドの一番の大敵は、人間の油や垢や汗です。特に汗の中に含まれる塩分が一番の邪魔者です。革バンドに、汗がしみ込み、塩分が残留すると革バンド自体に含まれている水分を吸収してしまい、硬くなって革バンドが持っている本来のしなやかさが喪失してしまいます。 修理依頼で預かった時計の中に革バンドが金属の様に硬くなったものがあり、吃驚する時もあります。夏場は、特に汗が出ますので、指一本入るぐらいに 緩めに腕に取り付け通風性を良くして、それでも汗をかいてバンドが湿ってしまった場合には、布に水分を含ませて、革バンドの表裏を拭いてやる事が肝要で す。そして乾いたタオルの上に置いて陰干しをしてやると良いと思います。 仕上げに表裏面にごく薄くハンドクリームを塗ってやるとしなやかさが出てきます。汗がしみ込んで革バンドの色ムラが出来る前に、必ずしてほしいメン テです。鮮明な赤、緑、黄色の染色した高級革バンドの場合、濡れた布でゴシゴシと擦ると色落ちをしてしまう危険もありますので、細心の注意を払いながらし てください。 時計革バンドは、腰の革ベルトと違って、直に肌に触れますので革バンドに人間の汗や垢等の老廃物が付着するものです。放っておくとバネ棒までも完全 に錆びてしまい、最悪の場合はバネ棒の先端がレグのバネ棒の入る穴に、完全に一体となって錆び付いてしまい、バンドを外せない場合があります。 無理して外すと錆びたバネ棒の先端の部分が折れてしまい、レグの穴に埋め込んだままの状態で外れてしまいます。そうなるとキリを作って穴をとりくりださなければならない為、厄介な作業になります。 時折、革バンドの汗や汚れを取り除き、バネ棒を新品に交換するのも時計の寿命を長く保てる一因になる、と思います。 ●続・時計の小話 第77話(スウォッチ・グループの展示会)●先週の2月15日(金)に、東京港区六本木のグランドハイアット東京ホテル3F『グランドボール・ルーム』で、スウォッチグループの『スウォッチグループ・セールス・コンベンション2008』が開催されました。 当日、石川県は早朝、目覚めてみると15cm程の降雪があり雪がしんしんと降っていて、東京に行くのに少し躊躇をしましたが、やはり一度、スウォッチグループの展示会を見てみたく、思い切ってJR「はくたか一号」に乗って出かけました。 新潟に向かうにつれ、車窓から見える雪景色も次第にひどくなっていくようで、新幹線に乗り換える、越後湯沢駅では、降雪量がゆうに1mを越していま した。大清水トンネルを抜けると今までの景色が一変するように変わり、晴天の上天気になり、裏日本と表日本の天候の歴然とした違いに驚かされます。川端康 成の『雪国』冒頭部分がいつもなつかしく思い出されます。 小生は今まで小松空港から羽田へ飛行機で東京出張していましたが、上越新幹線が出来たおかげで、それからは汽車で行く様になりました。以前、苦い思 い出があり、二月に東京に行く用事が急に出来て、雪の降雪が止まず小松空港の飛行機の中で一日中、閉じこめられ、結局フライト出来ずに東京へ行けなかった 事があり、それ以降、冬の時期は出来るだけ汽車で行く様になりました。 今後北陸新幹線が出来ると、ますます東京が身近な都市になっていき、北陸の人の消費行動も激変するのではないか?と思われてなりません。 小生がグランドボール・ルームに、着いた頃には、日本各地の時計店の人々が大変多く集まっておられ、大盛況の感がありました。入り口手前には、スウォッチが並べられ、ホールの手前左から、ハミルトン、カルバンクライン、ティソ等のショーケースがあり、 左側コーナーにはラドー、右側コーナーにはロンジンが沢山並べられ、 奥のコーナーにはスウォッチグループが取り扱っている高級ブランド、 ブレゲ、ジャケドロー、グラスヒュッテオリジナル、ブランパン、レオン・アト等の高級腕時計やトゥールビヨン、その他コンプリケーションが沢山陳列されていました。 中央の大きなスペースを割いて、スウォッチグループが今後も一番力を入れていくだろうと思われる、オメガが大きく陣取っていました。 さすが、世界一の時計グループであるスウォッチグループ社の底力を垣間見た思いのした一日でした。 ●続・時計の小話 第78話(ロレックス婦人用手巻き Cal.1400)●弊店をよくご利用していただいている、神奈川県M様からお母様が愛用されている腕時計の修理依頼をお受けしました。 送られてきた時計は 『ロレックス婦人用手巻き REF.2649 Cal.1400 18石』 で、大凡35年程前の高級腕時計でした。(当時でおそらく8万円前後した高級婦人用腕時計でした。) ロレックス社の紳士用腕時計は防水性能も高く、時計愛好家の人達からケースが堅牢で高い精度を持っている時計として、その当時から広く認知されてい ました。また紳士用のムーブメントCAL、1570は、名機で時計職人にとって精度が絞りやすく、組立安いムーブメントとして高い評価を受けてきました。 ロレックス社の各婦人用ムーブメントも、これに優る精度の出る機械に出くわした事がありません。 3-40年前の国産の腕時計の日ノ裏押バネは、よく頻繁に折れ、針合わせの時に不都合が生じたものでした。弊店は3-40年前の国産のムーブメント のパーツをある程度は持っているので、時折アンティークのセイコーやシチズンの修理が来ても対応出来ますが日ノ裏押バネはよく交換しますので無くなりつつ あります。 ロレックス社のムーブメントのオーバーホールを今まで何百回としてきましたが、未だかつて日ノ裏押バネが折れていた、という記憶は極わずかしかありません。それほど、ロレックス社のパーツの素材や厚みは簡単には破損しないように造られています。 ロレックス社のCal.1400に、対抗してその頃、オメガ婦人用手巻き腕時計のCal.650 17石(φ12.70mm厚さ2.85mm アン クルはサイドレバーと呼ばれる形を採用していました。ドテピンは無く地板を切削した空間がドテピンが代わってアンクルを拘束するという方式です。セイコー 婦人用手巻きにもこの方式がありました。)がありました。 このオメガ・Cal.650もロレックス社のCal.1400に、優るとも劣らない精緻極まる美しいムーブメントで、地板にはピンクゴールドの波形 模様付き厚メッキ仕上げが施されていて、目映い程の宝石の煌めきの様なムーブメントでした。時計職人の好みによって、Cal.1400、ΩCal.650 は、賛否が別れると思いますが、小生にとってはどちらも忘れられないムーブメントです。 オメガ・Cal.650の姉妹ムーブメントにCal.640がありました。この機械はケースの裏側に防水リューズを取り付けた手巻き時計で、なかな か面白い仕組みになっていました。当時から、ロレックス社とオメガ社はライバルとして覇権を争い凌ぎあってきましたが、一時期オメガ社がロレックス社に水 を開けられた時期も有りましたが、今後は再度ロレックス社の最大のライバルとして、大きな強い存在になっていくだろうと、推測しています。 先月のスウォッチグループの展示会の中で、オメガ社が社運を賭けたと思われる新機構の新製品が一杯陳列されていました。その中で特に目を引いたの は、オメガ・ブースの中央に陣取っていた、『オメガ・センタートゥールビヨン』でした。金無垢のケースに納められていた『オメガ・センタートゥールビヨ ン』は、他を圧倒して大きな光芒を放っていました。 このオメガ・センタートゥールビヨンはオメガ複雑時計専門の優秀な時計師僅か5人が組み立て調整を担当しているそうです。1個のオメガ・センタートゥールビヨンを完成させるのに、一人の時計職人が一ヶ月という日数がかかるそうで驚かされてしまいます。 ●続・時計の小話 第79話(ジャッケS.A.について)●エポスの3327SL及び、3327BKに搭載されているムーブメントは、旧ジャッケS.A.(現ラ・ジュ・ペレ社)製のダブルブリッジ Cal.7361 ・19石のトノー型のクラシカルな機械です。 世界限定各300個なので将来、希少価値の出る腕時計と思われ、注目されています。エポス社ならではのコストパフォーマンスで、パワーリザーブ機能が付いたこの機械を搭載して、30万円を切る価格で発売している事は、エポス社の独壇場と言えるでしょう。 旧名ジャッケ社から2001年に、ラ・ジュ・ペレ社に変更になり会社が大きく変貌し、現在では、社員150名で機械式ムーブメントを年間10万個製造する、大きな時計ムーブメント製造メーカーに成長致しました。 ラ・ジュ・ペレ社の経営方針は、ETA社製ムーブメントのモディファイ(改造)を主眼においていますが、ラ・ジュ・ペレ社が開発した独自の機械式ムーブメントを6種類持っている点からも、ラ・ジュ・ペレ社の技術力の高さが伺いしれます。 クロノグラフの愛好者から、垂涎の的になっているアンティーク手巻きクロノグラフ、ヴィーナスCal.175を最近忠実に完全に復刻させたのは、 ラ・ジュ・ペレ社です。今後、この復刻されたラ・ジュ・ペレ社製のヴィーナスCal.175のムーブメントを搭載した、手巻きクロノグラフが発売されてい く事は、容易に想像出来ます。 特にラ・ジュ・ペレ社が、得意としている分野はヴァルジュー7750を改造して、沢山のバリエーションのクロノグラフ・ムーブメントを開発している 事です。特にカム式からコラムホイール式に改造した、ムーブメントは操作性の信頼度も増し、高級腕時計メーカー『ウブロ』や『グラハム』等に採用されてい て、付加価値を上げる役目を十分に果たしています。 ヴァルジュー7750を改造して、フライバック機能、ビッグデイト機能、スプリットセコンド機能、GMT機能等のクロノグラフを生産し、スイス有名 時計メーカーにムーブメントを供給している事からも、ラ・ジュ・ペレ社はスイス時計業界に大きな影響力を持った時計メーカーだと言えます。 7日巻きのロングパワーリザーブを誇るラ・ジュ・ペレ社製Cal.7060のムーブメントは、『アーノルド&サン』に供給している事も、皆さん承知の事実です。 小生が以前オーバーホールをした、アラーム付きア・シールドCal.5008を改造して、GMT機能を付けて販売したり、スイス高級腕時計メーカー からトゥールビヨンの生産依頼を受け、受註先の時計メーカーのみ納品するオリジナルのトゥールビヨンも生産するという、優れたムーブメントメーカーで、今 後のラ・ジュ・ペレ社の動向には目を離せません。 唯一不安要素と言えば、2010年以降にスウォッチグループがETA社製ムーブメントをパーツのままの状態では、出荷しない事への気がかりです。でも、この問題も開発力に秀でたラ・ジュ・ペレ社は簡単に克服していくものと思われます。 ●続・時計の小話 第80話(ジャッケ・ドローについて)●先週の土曜日、3/22にBSジャパンで『機械式時計の故郷、スイスの職人達』という2時間の番組が放映されていました。とても密度の濃い、見応えのある番組で、見終わった後、心地よい満足感がありました。読者の方々も観ておられたのではないでしょうか? この番組の中では、近代時計史の巨人、アブラアン・ルイ・ブレゲと共に、大きく評価されているもう片方の巨星、ピエール・ジャッケ・ドローの事が大 きく取りあげられていました。ブレゲの事は、過去において書きましたので、今回はピエール・ジャッケ・ドローについてお話します。 ピエール・ジャッケ・ドローは、1721年、スイスのラショード・フォンで生を受けました。1735年、バーゼル大学で高名な数学・物理学者ダニエル・ベルヌーイの授業を受け、時計への関心を深め、1738年、自身初の時計工房を開設しました。 時計職人ジョスエ・ロベールの元で各種時計製作に没頭し、富裕層の顧客から、絶大なる賛辞を受ける様になり、1759年、スイス・マドリットで当時の国王、フェルナンド六世によって、温かく迎えられ、複雑なオートマトン等を完売したそうです。 ピエール・ジャッケ・ドローの『オートマトン(オートマトン又は、オートマターとも言います。カラクリ人形、自動装置、という意味です。カラクリの 仕掛けで動く機械を総称してオートマトンと呼んでいます)』と言えば代表作に、三品あります。テレビでも放映されていましたが、『文筆家、6000個の パーツから成り立っています』・『音楽家』・『画家』です。 中でも、『画家君』では、右手に鉛筆を持って、マリーアントワネットの横顔を端正に描ききる様子がテレビで映されていました。その繊細な指の動きに驚嘆せざるをえませんでした。フランス国王ルイ16世、マリー・アントワネットの前で実演したそうです。 日本のカラクリ人形では、『寿』等のいろんな字を書く物を観た記憶がありますが、全くその比では無い精工な動きにジャッケ・ドローの天賦の才能が開 花した事が解るというものです。まさしく近代のコンピューターを製作したと言っても過言ではありません。その難しさは現在のグランド・コンプリケーション と言えどもお側に寄れません。 天才的な才能を開花させたジャッケ・ドローは、1780年代には、名声を博して絶頂期を迎えましたが、1790年スイスのビエンヌで死去しました。 現在のジャッケ・ドローの腕時計のデザインで、特に有名なのが文字板の中にインダイヤルが二つ重なった、雪だるまの様なデザインの腕時計で、一見してジャッケ・ドローの腕時計と解る物です。 スウォッチグループの中で、ブレゲと共に高級腕時計の一翼を担っています。搭載されているムーブメントは、フレデリック・ピゲ社から供給を受け、世の中にシンプルながらも高雅な雰囲気を持った腕時計として、時計マニアの人達から根強い人気を持っています。 今後の動向として、ブレゲ、ブランパン、グラスヒュッテ・オリジナルと共に、王道を歩んでいく腕時計になっていくでしょう。 |
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