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●時計の小話 第61話(最近のスイス時計メーカーの動向について)●約30〜40年前の掛時計・置き時計と言えば、1週間巻き・2週間巻、長くて30日巻のゼンマイ仕掛けで動く機械式ばかりでした。
止まったら踏み台・ハシゴを持ち出して柱時計のゼンマイを巻くのが世帯主の仕事であり、面倒くさく(30日巻ですとゼンマイを巻くのが女性の人ですとかなり疲れるものです)でもあり又、手のかかるのが楽しみでもありました (軽い地震などで柱時計が傾くと方振り現象で止まったり誤差がでたりする事もありました)。 腕時計では手巻きか自動巻がメインで、ごく一部に電池を動力源にした電気腕時計がありました。 自動巻腕時計の場合、はずしたら約40時間で止まってしまい、月曜日の朝に時間を合わせるのが日課となり、誰もが苦もなく習慣として何の煩わしさもなくやっておりました。 又、メカ式はメンテナンスをしっかりやらないとすぐ故障し、止まったり壊れてしまうとても繊細な機械だと暗黙の内にみんなが解っておりました。 3〜5年に一度の分解掃除はやって当たり前で、維持費がそれなりにかかるものだと解っておられました。 時間の緩急針調整にお客様はよくご来店されたもので、店とお客様との交流は一杯あった のです。 その頃の時計店はそういうお客様で終日中、本当によく賑わっておりました。 しかし、約25年前から正確なクォーツの時代になり、使用者にとって腕時計は全く手のかからないものになり、針を合わせたりゼンマイを巻いたりする手間が殆どなくなって しまいました。 その為にお客様の時計店への出入りが電池交換・バンド取替以外は無くなってしまったのです。 時計店の1日の来店客数は昔と比較して、どの店も大幅に減少しているのが現実だと思います(私がこの業界に入った頃、日本には4万軒の時計店がありましたが、今では1万軒まで減っていると聞き及んでおります。私が育った長浜市(人口5万人)では約30年前には20店舗の時計店が盛業中でしたが、今では数店舗まで減っています。父の店よりも立派だった長浜一のI店、Y店も現在では存在しません。私が住んでいる人口7万人弱の松任市内にも僅か時計店は5軒しかありません。寂しいなー)。 クォーツに慣れきってしまった若い消費者の方々が、人気が沸騰してきた機械式を初めて持たれますと、いろいろと戸惑いを感じれられるようです。 弊店でもロレックス等のメカ式を売りますと、あらかじめよく説明しておいても、殆どの方から下記の同じ様なクレームが舞い込みます。 一番多いのが時間が狂う・すぐ止まってしまうというものです。 使用状態を聞いてみますと、腕につけている時間が短かったり、腕を動かすことが極めて少ない事務系の仕事がメインの方に多いみたいです。 テニス・ゴルフ・野球等の激しいスポーツをされますと、一時的にテンプの振り当たり現象(振り座がアンクルクワガタに当たる)が起き、歩度が急に進む事になったりします。 また、クォーツに慣れているので日差が3〜5秒狂う(機械時計としては優秀な方ですが)と大金を出したのに何でこんなに狂うのかと大騒ぎになってしまうのです。 後でよく、こんこんと説明すると解っていただけるのですが、もっとメカ式についてメーカー・時計店は啓蒙しなくてはならないと思う今日この頃です。 最近、8日巻以上のロングパワーリザーブの腕時計がスイスの各時計メーカーから発売され ビックリしております。 ショパールでは香箱を2個内蔵した9日巻手巻腕時計を開発し売り出しました(217万円)。 パテック・フィリップも香箱を2個内蔵した10日巻手巻腕時計を開発し売り出しました(370万円から)。 IWCも8日間駆動する自動巻腕時計ポルトギーゼを出しております。 これは、従来通り1個しか香箱がないかわりに、長いゼンマイと輪列に1個歯車を余計に使っております(125万円から)。 エベラール(49万円)、パルミジャーニ・フルーリエ(328万円)も8日巻手巻き腕時計を開発し売り出しております (ゼンマイ全巻のトルク最大時、どういう仕組みでテンプの振り切り・振り当たり現象が起きないのか中のムーブメントを検証してみたいです)。 スイス時計メーカーの機械式腕時計にかける意気込みには驚嘆させられます。 こんな時計ですと、メカ式であれ、金曜日に腕からはずしていても月曜日には動いている ことになります。 お客様の苦情もきっと減るでしょう。 しかしながら何と云っても値段が張るのが唯一の難点でしょう。 私もこれらの時計がせめて30万円前後で購入できたら1個は所有したいのですが、何とかならないものでしょうか。 30万円でも決して安くはないと思うのですが。 スイスの最近のメカ時計は素晴らしいの一語につきますが、0が一個多いのが残念です。 ●時計の小話 第62話(スイス時計 オーデマ・ピゲについて)●世界4大宝飾時計メーカーの一つ、オーデマ・ピゲ(ジュウ渓谷きっての名門老舗)についてお話し致します。
創業は今から125年前の1875年、スイス・ルブラシュにおいて複雑時計を専門に製作していたJ・LオーデマとE・Aピゲの二人によって興されました。 年間製作本数は現在15000本前後ですが、どれもが機能的で薄型で魅力のある物ばかりです。 マイスターと呼ばれる熟練した時計職人の手作業によって一個一個丁寧に作られています。 オーデマ・ピゲは超複雑時計分野に於いて、他のメーカーを圧倒する品々を昔から開発発売しております。 特に有名なものは、1889年パリ万国博覧会で発表された超複雑懐中時計 「グラン・コンプリカシオン」で、クロノグラフ・ムーンフェイス・ミニッツリピーター・永久カレンダーを搭載しており、今日までずっと作り続けています。 このタイプの自動巻腕時計リスト・ウォッチ・グラン・コンプリカシオン(超複雑にもかかわらずムーブメントの厚さは8,55mm)も開発しております。 その他代表的な物に、ロイヤル・オーク パーペチュアル・スケルトン腕時計(780万円・SS/PTケース)、グラン・ゾネリ ミニッツリピーター腕時計 (1800万円)、永久カレンダー腕時計(360万円K18ケース)、オーデマ・ピゲオートマティック・トゥールビヨン(990万円・K18ケース)等があります。 キャリバー2003のウルトラ・スリム(極薄手巻き腕時計)は傑作中の傑作で、直径20mm厚さ1,64mmしかありません。 このタイプはスケルトンで出ている機種もあります。 また、忘れてはならない超高額複雑腕時計にジュール・オーデマ均時差表示付きサンライズ&サンセット永久カレンダー腕時計があります。 最近では自社開発したムーブ3090を搭載したリーズナブルな手巻き腕時計を発売しております。 正規輸入品ですと定価90万円前後しますが、並行輸入品ですとほぼ半額の50万円前後で購入出来ます。 こういった高額腕時計をお求めになる方は正規輸入品を買う方よりも並行輸入品やスイスに旅行した時(チューリッヒ・ブッヘラー時計店等で)に買われる方の方が多いのではないでしょうか。 オーデマ・ピゲと言えば、パティック・フイリップとともに世界最高峰の双璧である事には誰もが異論をはさむ余地はないでしょう。 私も名を聞いただけで痺れるような身震いがする孤高の時計メーカーです。 ●時計の小話 第63話(テンプ(天府・人間の心臓部分)について)●ヒゲゼンマイには、平ヒゲ(殆どの時計はこれです)・巻き上げヒゲ(またの名はブレゲヒゲ。ロレックス・IWC等の高級腕時計・懐中時計が使用)・提灯ヒゲ(マリンクロノメーターに使用)等があるように、テンプにもいろんな形状のものがあります。
チラネジ無しテンプ(またの名を丸テンプ)・チラネジ(またの名をミィーンタイム スクリュウ・マイクロステラとも言う)付きテンプ(高級腕時計用。片重り検査の時、チラ座を入れたりネジ頭を極細ヤスリで削ったりして調整します)・切りテンプ(天文台コンクール等に使用。天輪が二ヶ所切れています)などがあります。 高級腕時計に使用されていた切りテンプは、自己補正ヒゲゼンマイの登場により姿を殆ど消しました。 テンプのアーム(腕)には2本の物が殆どですが、4本の物もあります。 以前にはスイス・ウィラー腕時計のテンプのように渦巻き状のものがあり、アーム自体が耐震性能を備えているものがありました。 機械式が全盛の頃、腕時計に衝撃を与えたり固い所に落下させたりすると、天真ホゾ(直径0,06〜0,08mm)折れ・曲がりの為に天真入れ替え作業・及び旋盤にての天真別作作業が頻繁にありました。 国産の安価な腕時計は摩擦式が多く、ポンス台で天真をテンプに打ち込むだけで留めるものでしたが、スイスの高級時計は天真にカシメ部(ツバ)があり、旋盤で取り除いてからテンプにはめ込んでカシメるという面倒な作業がありました。 下手で横着な時計職人はカシメ部を旋盤で取り除かないで、いきなりポンス台で打ち抜くために天輪の横ブレが起きてしまい、そのような難物を預かると時間が余計にかかったものです。 天真入れ替え後には横ブレ・縦ブレをテンプ振れ見器で完全に除去しなければなりませんでした。 また、それと同時に片重り器でテンプのバランスを完璧に取らないと姿勢差が大きく出たものです。 今では殆ど天真入れ替え作業はアンティーク(耐震装置が付いていないため)以外はなくなり、テンプ一式(ヒゲゼンマイ・天輪・振り座・振り石付き)取替になってしまいました。 時計店の技術者の技量を信じていないものなのかどうか解りませんが、その方がメーカーにとって部品の単価アップになり、メーカーのエゴが強く出ていると感じます(良心的なIWCなどはヒゲゼンマイのみでも売ってくれますが、とても高価なものです。しかしながら完全に調整してあるのにビックリ致します。何ら手を加える必要がありません)。 脱進機(ガンギ車・アンクル)調速機(テンプ・ヒゲゼンマイ)の微調整が出来れば、もう一人前の時計師と言えるでしょう。 ●時計の小話 第64話(スイス時計 バセロン・コンスタンチンについて)●日本にはセイコー・シチズン・オリエント・リコー等の時計メーカーしかありませんが、スイスには夜空に燦然と輝く綺羅星の如く多数の素晴らしい時計メーカーがあります。
ブランパンと並び、世界最古の歴史を持つバセロン・コンスタンチンもその一つです。 創業は1755年で、ジャンマルク・バセロンがスイス・ジュネーブに興しました。 その後、フランソワ・コンスタンチンが共同経営者に加わって現在の社名になり、今日まで世界有数の宝飾芸術時計メーカーとして発展しております。 現在の年間生産本数は15000本前後でしょう。 高精度機械時計のレッテルとして最高の名誉を与えられているジュネーブ・シールを、パティックとともに与えられている二つのメーカーの一つです。 マルタ十字を紋章としたバセロン・コンスタンチンは、時計ファンなら誰もが憧れる数少ない時計メーカーの一つでしょう。 トゥールビヨン等の複雑時計を製作出来る技術を当然持ち合わせておりますが、奇異を衒うより、それよりもクラシカルでスタンダードな手巻き腕時計・自動巻腕時計等に優れた時計をいくつも輩出しております。 殆どK18YGかK18WGの貴金属ケースで、手巻きでも100万円位はします。 一つ一つをマイスター時計職人(キャビノチェ)が手作りで製作しており、非の打ち所のない完璧な仕上げをしています。 1932年に1,2mmの手巻きのムーブを開発し、ケースに入れて総厚さ2,2mmの超極薄腕時計を発売致しております。 こういった育まれた技術の伝統は長い時を経てこそ出来るもので、歴史の浅い日本の時計メーカーにこれを求めるのはどだい無理な相談でしょう。 有名な商品群には、手巻きヒストリカル・トップワインダー 155万円、自動巻ヒストリカル・トゥールドイル 150万円、自動巻パワーリザーブラウンド 185万円、手巻きキャビノチェ 145万円等があります。 時計師として身を立てた以上、一生涯に一度は自分の腕につけたい腕時計の一つには違いありません。 余裕があれば買いたいスイス時計は一杯あるのですが、なかなかそうたやすく問屋は卸しません。 ここ数年、猫も杓子も(言葉が悪くてすみません)ロレックス、ロレックスでいろんな時計雑誌もロレックスの特集ばかりで、少し食傷気味の私にとって、バセロン・コンスタンチン、オーデマ・ピゲ、パティック・フィリップ にもっと日が当たって欲しいと願うのは私のみでしょうか。 いつの日にか仕事をリタイヤした時、妻と二人でノンビリとスイス時計工房巡りの旅行をして、上記の時計を購入する事が私の夢であります。 ●時計の小話 第65話(日本時計技術の恩人・山口隆二先生について)●山口隆二先生は一橋大学で長年教鞭をとられ、時計産業史を専門に研究されてました経済学者です。
その先生が昭和20年代の戦後混乱期に所有していた2〜3個のスイス高級腕時計を時計店で修理してもらったところ、滅茶苦茶に壊されてしまいました。 イイ意味で口の悪かった先生は、その頃の時計店を「くそったれ屋」とまで誹謗中傷 されていたのです。 そう言われても仕方がないほど、当時の時計店の修理技術は悲惨だったのです(理論は全くなく経験とカンが頼りの時代)。 時計が好きであった先生が、自分の大事にしていた時計を修理するどころか壊されて しまったら、怒り心頭になってしまうのは仕方がないでしょう。 とても立腹された先生は、何とか日本の時計店の修理技術レベルを上げたいとあれこれと苦慮されたわけです。 海外の文献を調べ上げ、当時米国で何十年に渡り行われていた時計師技術試験(初級と上級CMWの2つがある)の導入をはかられたわけです。 そういう経緯で日本で初めて時計師試験が行われたのが、米国時計学会(HIA)日本支部主催のCMW(公認高級時計師)試験だったのです。 それは昭和28年の事です。 その時の日本支部長になられたのが井上信夫先生(服部セイコー修理部部長・後日トップ合格者に井上賞)でした。 それから毎年数名のCMW合格者を生み、日本の時計店・及び時計メーカーサイドの技術レベルも格段に進歩し、一時は日本の時計メーカーよりもCMWの技術の方が上を行く時代があったのです。 CMWが日本時計産業のレベルのかさ上げをしたといっても過言ではないのです。 その理論的中核におられた先生が、第1回CMW合格者の、末 和海先生(時計店経営からロレックスサービス部長そして東証第2部上場ジェコー時計役員までのぼり極められた人)と小野 茂先生(オリエント時計設計技師長)です。 その後CMW試験は発展し32回まで続いたのです。 山口隆二先生は全国各地に出向いて沢山の講演をされ、スイス時計産業の話とか時計師の心構えとかを熱心にお話されていました。 (株)村木時計(現(株)ムラキ)が菅波錦平先生を中心として行っていた時計技術通信教育の最高顧問になられた山口先生は、通信生に対していろんな薫陶を授けられました。 私もその時の受講生の一人です。 日本時計技術を語るとき、忘れてはならない恩人が一杯おられるのです。 次回またこういうお話をしたいと思います。 ●時計の小話 第66話(スイス時計 ピアジェについて)●4大宝飾芸術時計メーカーの最後の一つ、ピアジェについてお話しします。
ピアジェは1874年、スイス・ラコートオフェにて創業しました。 機械時計ムーブメントでは自社開発一貫生産のマニュファクチュールです。 年間生産本数は2万本前後ですが、全ての腕時計のケースがK18YG・K18WG・PT等の貴金属を使用している宝飾高級時計メーカーです。 1946年には、厚さ1,34mmのムーブの手巻き時計を発売し、世界中の人を驚かせました。 1960年には、厚さ2,30mmの極薄自動巻腕時計を発表し、世界で最も美しいムーブとして絶賛を浴び記録を残しました(上記の時計はK24金のローターを採用し、30石の類い希な腕時計でした)。 外装ばかりではなく、ムーブメントも独自の素晴らしい物を製作し、他社時計メーカーにムーブを供給しております。 ミニッツリピーター、スプリッドセコンドクロノグラフ等の複雑腕時計シリーズ(グベナー)は1996年ジュネーブ・サロンで発表され人気を博しました。 特にグランド・ゾネリ・ミニッツリピーターは、文字板上にハンマーが見えるという独特のデザインで、しかも厚さが6,8mmいう史上最薄の自社開発手巻き機械でした。 その他にも自社開発の見事な手巻きムーブや、超薄型自動巻腕時計を開発している、技術力の優れた誉れ高きメーカーです。 エンペラドール(150万円)、プロトコール(90万円)、アルティプラノ(75万円) 等が近年喝采をあびております。 また、ヴァンドーム・グループの一員として、自社のムーブメントをグループの時計メーカーに供給し続けております。 日本の輸入代理店は平和堂貿易で、いろんな大会の副賞として提供されていることで有名です。 日本では知名度がもう少しと言うところですが、ヨーロッパの富裕層やハイグレードな人々には、ゴージャスさや、ラグジュアリーさで絶大なる人気があります。 最近、文字板・ブレスバンドにキュービック・ジルコニアをみっしり埋め込んだ、ピアジェの贋作品を弊店のお客様が知人とやらの紹介で購入された人が二人おられました。 真贋鑑定の為にご来店なされ、よく見てみましたがなかなか精巧に作られてました。 おそらく香港製だと思われますが、ムーブはシチズン・ミヨタのクォーツが入っていて吃驚しました。 いくらで買われたのですかと聞いてみましたら、30万円以上出されてるので 二度ビックリしました(本物なら1000万円以上するでしょうが、しかし30万円でも 偽物なら勿体ないですね)。 ●時計の小話 第67話(時の流れとともに腕時計の人気も浮沈)●ここ数年のロレックスの人気はすさまじいものです。
ロレックスに非ずばスイス時計ではない感があります。 私がこの業界に入った頃は(約30年前)、ラドーとテクノスが圧倒的に人気がありました。 どの時計店にもラドーとテクノスは店頭に飾ってありました。 利益率(50%)が良かった為もあるでしょうが、デザインがその頃の日本人の好みにピッタリはまっていたのだと思います。 日本におけるスイス時計シェアの50%は、この2社で独占していたでしょう。 そして、金銭に余裕のある、少し通の人がオメガ・ロンジンを買ってました。 ロレックス・IWC・ナルダン等は、ごく一部の限られた裕福なマニアの人しか知らなかったのが現実でした。 パティック・オーディマ・バセロン・ピアジェ等の4大宝飾時計は、過去の華族・貴族 ぐらいの高貴な人々か、成金趣味の人しかおそらく持っていなかったでしょう。 その事を思うと、日本人も財布の中身が随分、豊かになったとつくづく思います。 日本でラドーを大きく育て上げた酒田時計貿易は、独占販売権をスウォッチグループに譲らなければならない立場に置かれた為、看板・売上げカシラを失い、業績を悪化させ昨年倒産してしまいました。 ラドーを日本で育てた酒田時計貿易の経営者は残念至極だったでしょう。 もう一方のテクノスも今では吹かず飛ばずで、往年の元気は見受けられません。 ここ30年間で日本時計市場からほぼ消えていった懐かしいスイス時計メーカーを 列挙したいと思います。 名前を見て懐かしく思われる中・高年の人は沢山おられると感じます。 ・ホーガ…ベンラス両社の長短針のない数字で時刻を表示する時計 ・チャンドラ…指輪時計にペンダント時計 ・グルーエン社…アラスカ腕時計 ビューレン、キャミー、ミリオン、モンディア、チャンドラー、コロネーション、ハフィス、ハロックス、レオベ、パーロン、ビューシェ・ジロー、ドクサ、フレコ、イメージ、インビクタ、ジュベニア(エニカ、シーマは普及品の御三家と言われました)、ローヤル(過去には相当人気があったものです)、モットー、モバード(最近人気急上昇中)、チトニー、ウイラー、バルカン、エレクション、マルビン、モーリス、サンドーズ、フローラ、ヘルブロス、チタス、フォーチス(機械式リバイバルで最近人気が出てきました)等がありました。 本当に時計も栄枯盛衰ですね。 読者の方は、どのくらい知っておられるでしょうか。 ●時計の小話 第68話(難物時計の修理について)●当店には、全国各地から時計修理の依頼が宅急便や郵便書留で送られてきます。
時計職人として自分の腕を信用していただき、これほど光栄な事はありません (この場をお借りして御礼申し上げます)。 ましてや、どこへ持っていっても修理を断られた難しい超難物時計の修理依頼の場合、出来うる限り命をあたえて、再度動くようにする事は、お客様にも大変喜ばれ、時計技術者として冥利に尽きます。 しかしながらどんなに悪戦苦闘して努力しても正常に駆動しない時計が、私のケースで1〜2割はあります。 時間と、おまかせ料金を頂ければ殆ど90%以上直せる自信はありますが、限られた時間とお客様にとって大切なお金であるために、予定外の請求も出来ず、やむを得ず返却する時も時々あります。 御依頼者の期待に添えるためにも、何とか昔のように元気に動くようにするため研鑽・研究する今日この頃です。 CMWの大先輩でおられる有名なM・K氏(氏の所にも全国より超々・難物時計が送られてきています。送られてきた10個の内8個は修理不能だと言うことです)は、修理不可能 な難物を預かったときは依頼者にこのように言って断るそうです。 『何十年にもわたって動いてきたのだから、もうそろそろ休ませてあげたらどうですか。 もう、充分この時計は使命を果たしたとおもいます。 よく長い間動いてくれたと褒めてあげて、ながめて感謝してあげたら』と。 どんなに愛情を持って大切に使用した代々伝わる腕時計でも、寿命は必ずやってきます。 時計として正常に動くように再現するには50〜60年前の物が限界でしょう。 高額な家電製品でも約10年で壊れたらもうおしまいです。 我が家の11年前に購入した、ナショナルのSVHSビデオ・マックロードNVーDS1(当時としては高級機種で定価 25万円位しました)が最近故障して、メーカーに尋ねたらもう部品もないし諦めた方がイイと言う返事でした。 その事を思うと時計は何て長持ちする機械なんでしょうか。 家電製品の5〜6倍の寿命がありますものね。 こんなに長く持つ長寿命の機械は他には存在するでしょうか。 最近、隣町T町のK・Nさんからロンジン・クォーツ腕時計の簡単な修理依頼を受けました。 金沢市内の大きな時計店を数軒回っても修理受付を断られた時計で(ある店では電池交換も断られたとのこと)何とか直して欲しいとのことでした (止まって、長短の針回しがうまく出来ない状態)。 当店には友人の紹介でご来店頂きました。 いわれをお聞きすると、海外旅行を行った記念に夫婦ペアウォツチで買った品で、思い出として大事に使いたいとのことでした。 中のムーブを見てみますと、ETA社のCal255411が入っておりました (先月、修理したテクノス・クォーツ腕時計のムーブメントもETA社製でした)。 スウォッチ・グループに入ったロンジンは自前のムーブを最早入れられないのかなと少し残念に思いました。 故障の原因は日の裏車の中心穴に入る地板の心棒(T字型で寸法は長さ 0,97mm・直径0,50/0,245mm)が折れている為に、筒カナ車と深く噛み合ったのが止まりの原因でした。 旋盤で別作して、すぐ直しました。 こんな簡単な修理も最早、他の時計店では出来ないのかと思うと愕然?としました。 これからは弊店で時計を買わせて貰うと言っていただきとても感謝されました。 やっぱり時計店である以上、販売力も重要ですが、自前で修理出来ることは大変大切な事であると実感した次第です。 ●時計の小話 第69話(時計の形而上学的な思考)●人それぞれの人生は約25億秒のカウントダウンによって生から死へと終わります。
その間には幾多もの多種多様の泣き笑い喜び悲しみの繰り返しの連続でしょう。 人は約25億秒間の長いようで短い旅に出かける孤独な旅人でもあるとともに、不安な道のり に葛藤しながら旅立つのではないでしょうか。 その人生という旅に、良き伴侶や友人、仕事、健康に恵まれたらどんなに楽しい旅になるか。 それをつくづく感じるからこそ、人間は生ある限り、それを永遠に追い求めるのでしょう。 約25億秒間という旅の間に巡り会う、ごく限られた人を、一緒に時を過ごす旅仲間と思えば、いろんな摩擦・障害も少なくなるのではないでしょうか。 家庭を顧みないで名誉・地位・お金にのめり込む人もいれば、仕事・趣味・スポーツに人生の限られた時間をかける人もおられると思います。 どれが最良の選択かは、各人各人の価値観や人生観によって異なるものと思います。 病に倒れて人の思いやりや温かい心配りに身にしみる方もおられるでしょうし、健康が故にその有り難みが解らない人もおられるでしょう。 イギリスの文豪シェークスピアは、人生を喩えて舞台の滑稽な喜劇俳優そのもので、いろんな役割のある喜劇役者であると名言しました。 人生における大切な瞬間瞬間を刻み続けて、その時を知らせる役目を持ったのが時計 かもしれません。 あの時はこんな嬉しい事があったとか、あの時はこんな素晴らしい人に出逢ったとか、人生のいろんな大切な時刻を正確に記憶してくれるのが時計でしょう。 いろんな人生の出来事をしっかり思い出させてくれるのも時計があればこそでしょう (悲しい時を刻む時計であってはほしくないですね)。 その貴重な時を刻み続ける時計を販売したり修理したりする時計屋は、ある一面で恵まれた誇りある仕事と言えるではないかと私は自負しております。 1秒1秒、死というゴールに向かって歩み続けている事を認識できる唯一の形而上学的な生物である人間にとって、まさしく時は金なりと言えるでしょう。 そういう運命的な人であるからこそ、時々止まったり、時間が狂ったりする機械時計に郷愁を覚えたり共感したりするのではないでしょうか。 毎日1秒も誤差がでないクォーツ腕時計なんて、なんだか肩肘張っているようで疲れますものね。 時折脱線するメカ式腕時計の方が、人間のようで愛らしくて可愛いじゃありませんか。 著名な哲学者・カントは正確な時計のように毎日のスケジュールをこなしていたとか。 カントの散歩時間は何時何分だと近隣の人々はよく知っていたようです。 毎日毎日、几帳面な正確な生活なんて疲れて味気ないと思うのは私一人でしょうか。 ●時計の小話 第70話(時計の覇者・ロレックスについて)●ロレックスについては情報が巷に氾濫していて、読者の人の方がある一面では私より詳しい かもしれませんが、一部の方より是非にというリクエストがあり述べてみます (私がこの業界に入った頃はローレックスと呼びました)。
今日のスイス時計メーカーの機械時計に関しての見事な復興の根本的な原因の一つは、 1970年代のクォーツ・クラッシュに打ちのめされた多くのスイス時計メーカーの中で、ロレックス社のみがクォーツ化に走らず、何知らず顔で黙々と高精度の機械式時計を作り続けた結果、世界中の時計愛好家からその企業姿勢が高く評価されたものでしょう。 腕時計にとって精度は非常に大切な要素だけれども全てではなく、普遍性のある高級ステータス性・実用性・ファッション性・伝統・技術力等の総合力に優れたメーカーが、メカ式オンリーでも生き残れることを実証したのです。 均一化された優れた品質の高価格戦略の徹底したマーケティングにより、圧倒的な人気と支持を世界中の人々から獲得したのです。 年間数十万個というとてつもない数のクロノメーターを何十年間にも渡り生産できる技術力はたいしたものです。 確立したマニュアルとオートメーション化された生産工程は、きっと目を見張るものがあるのでしょう。 ロレックス社が完全秘密主義に覆われているのも納得できるというものです。 ロレックス社の人気にあやかろうとしたわけではないでしょうが、ここ数年のスイスの他社時計メーカーの動きを見ていると、ロレックス社を反面教師にしているような感じです。 ロレックス社の歴史は以外と浅く、1905年にハンス・ウィルスドフによって英国ロンドンに開業しました。 現在の生産量は年間推定80万個位でしょうか。 ハンス・ウィルスドフの、時代を読む先見性・上手な販売企画力によって、後発メーカーにも かかわらず名実共に大きく発展したのです。 資本の統廃合の再編化がすすむ現代にも、何らの影響を受けることもなく孤高の道を堂々と歩いております。 ロレックスと言えば、爆発的にヒットしたものを沢山創造輩出しております。 コスモグラフ・デイトナ、GMTマスター、エクスプローラー、サブマリーナー、シードウェラー、ヨットマスター等のスポーツ系。 デイトジャスト、デイデイト等の実用本位の腕時計があります。 不思議なことにロレックスはコンプリケーションを一度も手に染めたことはありません。 あくまでも実用本位の腕時計を作る事に使命感を持っているようです。 弟分にチュードル腕時計がありますが、日本には残念ながら正規輸入代理店はありません。 これも日本ロレックス社の戦略でしょうか(日本人は高級グレード指向が強いことを良く知っているようです)。 アンティーク市場でチュードル腕時計(デカバラ・コバラ)はとても人気があるようなのですが。 技術的にも、1926年にオイスター(完全防水機構・ロックリューズ式)の開発、1931年にはパーペチュアル(自動巻機構)の開発をしております。 最近ではエルプリメロ(キャリバー4030)を採用していたデイトナがうち切られ、独自開発のキャリバー4130(28800ビート・72時間パワーリザーブ・ハック機能)を搭載したデイトナを発売して話題を独占しました。 旧型とどちらが優れたムーブメントであるかは5〜7年後には結論が出るでしょうが、私の推測では4030の方がおそらく上を行くのではないかと思っております。 そうなれば火に油を注ぐように余計プレミアムが付いて、ビックリするような値が付くのではないでしょうか。 ロレックスは私の大好きな時計の一つで、IWC・GPのように高精度がでるムーブですが、カレンダー付き自動巻としては部品数がグランドセイコー等に比べてかなり多いのが唯一の難点と言えば難点でしょうか。 その点、贔屓目で見てしまうのかもしれませんが、セイコーGS は簡潔で高精度のでる組み立てやすいムーブメントです。 ●時計の小話 第71話(難物時計の修理について その2)●東京の読者の方より珍しい修理依頼が先月舞い込みました。
オメガ?懐中時計のムーブメント(8551734・15石Cal38、5LT1・切りテンプ・ブレゲヒゲ・50〜60年程前の品か?) が内蔵の両面スケルトンの球形の置き時計というものです。 初めて見るタイプで、こんなオメガがあるのかとビックリしました。 お預かりして見てみますと、ガジガジという音がしてゼンマイが巻けない状態で、丸穴車の歯が 1枚欠けておりました。 天真も折れており、天輪がガタガタで短針も折れていました。 OHと天真別作入れ替え・丸穴車の入歯でおそらく直るものと思い分解掃除して、天真を旋盤で別作しました。 輪列のザラ回しも良く、直る物と高をくっていましたが、なんとキチ車と噛み合う丸穴車の見えないところのウォーム歯が連続して3個欠けているではありませんか。 これじゃあリューズでいくら巻いても丸穴車が空回りして、ゼンマイは巻けないはずです。 まさかこのウォーム歯が欠けているとは、分解する時にうっかりしたのです。 別作出来るパーツではないために、あっちこっちの時計材料店に在庫があるか問い合わせ ましたが入手出来るはずもなく、やむを得ずギブアップ宣言になってしまいました。 分解・洗浄・組立・注油・天真入れ替え・短針合わせ等の延べ10時間の作業が全く無駄に終わってしまったのです。 アンティークの修理の場合、このような時が時々あります。 直っていないのでお客様に1円も請求出来るわけではなく、全くの徒労に終わってしまうのです。 これも一つの勉強かなと思い慰めています。 それにしても残念だなー(お客様も直るのが大変楽しみにしておられたのにご期待に添えなくて申し訳ない気持ちです)。 もう一歩という所なのに。 ●時計の小話 第72話(機械式クロノグラフのメカについて)●最近、浜松の読者の方より30〜40年位前?のホイヤー手巻きクロノグラフの修理依頼を受けました(HPに掲載中)。
ベトナムのアンティーク・ショップで購入された品で、中の機械は未熟な技術者にいじられ、相当ひどく壊されておりました。 そう言えば、前回お話ししました贋作のオーディマ・ピゲの懐中時計もベトナムのアンティーク・ショップで買われたものでした。 浜松のS・Iさんと直に電話でお話しした所、ベトナムにはウォッチのアンティーク・ショップが一杯あるとの事で、それもビックリするような低価格で売り出されているそうです。 ファンの方にとっては意外な穴場かもしれません。 イイ品を低価格で購入すれば、旅費など簡単に浮くどころか、お釣りがでるでしょう。 条件として真贋を見極める目があればの話ですが(最近の日本でのアンティーク・ウォッチの価格は異常と言えるほど高いですものね。 私は何十万も出されるのでしたら新品を買われることをお薦めしますが。数百万もするトヨタ・セルシオも、15年も乗ればほとんど価値は無いも同然です。そのことを比較すれば、アンティーク・ウォッチの価格はつり上がり過ぎではないでしょうか。誰かが儲け過ぎているのに違い有りません)。 そのホイヤー分解修理後、時計としてはかなり調子が戻り、精度も準クロノメータークラス(日差15秒前後)にまで復活しましたが、クロノの機能が結局回復しませんでした。 カム式のために摩耗が著しく、調整したと思っても何度も操作を繰り返したら誤作動が起き、時計も止まってしまうという事で、残念ながら元通りには戻りませんでした。 ピラー・ホィール式のアンティーク・クロノは何回となく修理しましたが、殆どがもとに復帰して正常に動くようになりました。 やはり、ピラー・ホィール式の方が上を行くのでしょうか。 機械式クロノは大きく分けてカム式とピラー・ホィール式のムーブメントに分かれます。 有名なゼニスのエルプリメロはピラー・ホィール式の代表的な時計です。 ランゲ・アンド・ゾーネCal951.1(現時点での最強のムーブと言われている)、ロレックス・デイトナの新型キャリバー4130、ジラールペルゴーの新開発のCal3080、セイコーが昨年新開発したCal6S77(セイコーは昔からピラー・ホィール式を採用。やっぱり良心的だなぁ)、かってスイス時計の名門がこぞって供給を受けたバルジュー社の名機Cal23ムーブ、1960年代のブライトリング・クロノナット・ナビタイマーに搭載されたヴィーナス社の175・178ムーブ(現在はETA社に吸収合併されカム式のキャリバー188に変更)、1940年代に開発されたレマニア社のキャリバー321(当時のオメガのスピードマスター に採用・NASAに公式採用された当時の最強ムーブ、現在はカム式のCal861に変更され、オメガのスピードマスター・プロフェショナルに搭載)、過去においてのロンジン・クロノ等はピラー・ホィール式の機構を採用した代表的なものです。 他方のカム式はパーツ数を減らすことにより簡素化され、量産向きに改良されたものです。 主なものには現在のブライトリング腕時計のムーブ、オメガ・スピードマスター各種Cal1861、モーリスラクロア等はカム式です。 どちらが優秀なムーブメントであるかは評価が分かれるところですが、独断と偏見の私見では、歴史的な実績のあるピラー・ホィール式の方が耐久性・正確性・操作性で一歩優るのではないかと思っております(なんと言ってもピラー・ホィール式の方が動きに無理が無く奇麗ですものね)。 消費者の方の好みも分かれるところかもしれませんが、自分のクロノがどっちの方式を採用しているのか知っているのも悪くないかもしれません。 どちらかといえば高級志向がピラー・ホィール式、普及品タイプがカム式と言えるでしょうか? 時計業界ではクロノグラフのことをカラフと言っておりますが皆さんご存じでしたか。 アンティーク・ショップで『昔のカラフ見せて下さい。』と店員さんに言えば、目を 白黒なされるに違い有りません。 余談になりますが、ベトナムと言えば、南北ベトナム合併する前の南ベトナムのある大統領が北ベトナム戦争で敗れ、米国に亡命する時に、大量の金塊・米ドルを入国臨検の時に持ち出せないと知って、数個の良質の大粒ダイヤモンドルース(裸石)に交換し、それを飲み込んで亡命しました。 そしてそのダイヤを排出して(汚い話ですみません)米国のユダヤ・ダイヤ商人に売却して資金を作り、スーパーマーケットを経営、今では成功者として有名になっているという話を以前あるマスコミから聞きました。 その頃亡命出来なかった資産階級の人々が、生活が困窮してノミ市に高級スイス時計を手放している為に、ベトナムに多くのアンティーク・ウォッチがあるのでしょうか?(私も一度行ってみたい国です。そして、懐中時計やIWC・GP・ナルダンのアンティーク・ウォッチをたくさん買ってきたいです。私の友人もこの間ベトナムに行き、純銀製の何重にも重なるお盆を買ってきてくれました。みやげを貰って値を聞くのは失礼とは思いましたが、余りにも高価に思えたので聞いてみたところ、 ビックリするような安さでした。何万円もすると思ったのでしたが、その何十分の一ぐらいでした。アンティーク・ウォッチ・ファンの読者の方で一緒にベトナムにツアーを組んで行きませんか。日本で1個しか買えないお金でベトナムでは数個買えるのではないでしょうか。私が目利きしてアドバイスすれば読者の方も安心だと思います。実際のところ共産国ですので私1人で行くには少し不安なのです・・・。時計好きの人々と10人程で一緒にアンティーク・ウォッチ・ショッピング・ツアー旅行できたらこんなに楽しいことはありませんから)。 世界中で普遍性のある価値ある物と言えば、金塊かダイヤか米ドルのみなのでしょうか。 その中にアンティーク・ウォッチは入らないのかなぁ。 ●時計の小話 第73話(アンティーク・ウォッチの取り扱い開始について)●読者の方からアンティーク・ウォッチを買いたいので、安心して買える良心的な店を紹介して欲しいというメールが頻繁に届きます。
そして、当店でもアンティーク・ウォッチの取り扱いをして欲しい・当店でアンティーク・ウォッチを買いたいという要望が最近とても多くなりました (アンティーク・ウォッチってこんなにまで人気があるとは知りませんでした)。 大枚なお金を出したのに調子の悪い品を掴まされたという苦情もよく聞きます(購入失敗例が多いためでしょうか?)。 当店ではアンティーク・ウォッチには手を出さないと言う方針でしたが(売価の基準が曖昧でハッキリしないため)、余りにも皆様のご要望が多いために、弊店でも取り扱いをこれからしようということになりました。 極力、価格を抑えて、私が全て分解掃除・調整したのみの自信のあるアンティーク・ウォッチをお客様に買って頂こうという趣旨です。 最近のアンティーク・ウォッチ・ショップの価格の動向をみておりますと、根拠がなく余りにも値段が高いのではないかと思います。 アンティーク・ウォッチを手放したいという人からその時計を委託して貰い、私がムーブを点検してOH・調整した物のみを売ると言うことです。 売価の透明性をスッキリさせるために、売却希望価格を聞いて(それが適正であるかどうか充分調べますが)、それに10%の手数料とOH代を上乗せしてお客様に売るというものです。 事情で手放したいアンティーク・ウォッチをお持ちの読者の方、ふるって弊店に委託して頂きますよう、お待ち致しております。 私も地方の旅に出かけたときは、質屋・古い時計屋・骨董屋をのぞいて良い品を仕入れてこようかなと思っております。 お気軽にお問い合わせ下さい。 では、今後の弊店のアンティーク・ウォッチにかける動向にご期待下さい。 ●時計の小話 第74話(キング・セイコーについて)●この間、三重県のT・Mさんより修理依頼を受けた、1971年製造のキング・セイコーについてお話しします。
この時計はCal4500A・25石の手巻きムーブでハイビートです。 この45系はセイコー腕時計の名機中の名機で、時計の小話第23話でお話致しました「天文台クロノメーター」のベースになった機械です。 45系で準高級グレードがキング・セイコー、高級がグランドセイコー、最高級品が 「天文台クロノメーター」合格品腕時計として売り出されたのです。 今見ても非常に堅牢に作られてあり、機械を見ているだけで言いしれぬ喜びが沸き上がってまいります。 普通より多い5番車まであり、ガンギ車が秒カナ車を回すという設計がなされています。 30年前に、こんなに素晴らしいムーブをセイコー舎が作っていたことに、今更ながら 感動を覚えます。 現行品のクレドール手巻きCal4S79Aよりも数段優っているのではないかと、私見ですが思ってしまいます。 OH・ゼンマイ切れ・香箱車の歯こぼれの依頼ですが、もうゼンマイに関しては純正パーツがないために、酷似したトルクを持つ代用品による修理になる予定です。 この時計(KS)は記憶では10回位しかOHしていませんが、とてもよい精度が出た思い出があります。 読者の方で、もしお持ちの方は大事にお使いになって欲しい時計だと思います。 45系かどうかは裏蓋の番号を見れば確認できます。 もしあれば家のお宝になるに違い有りません。 最近修理したオメガ・コンステレーションCal 564、同じくオメガ・ジュネーブ Cal 1012も素晴らしいムーブメントで、現行のオメガの機械よりもイイのではないかと思ってしまいます。 アンティークが人気があるのも、30年前のメカ式腕時計のムーブが頂点を極めたものであった事を素人の皆さんがよく知っておられるからでしょうか(もしそうだとしたら凄いことですよね)。 例えは悪いかもしれませんが、家族経営で代々やってこられたとてもおいしいパン屋さんが、過当競争でやる気をなくし、大手資本のY崎パン・S島パンを仕入れて自店のパンのように売っているのが一部のスイス時計メーカーの実体なのかもしれません。 ●時計の小話 第75話(今週のアンティーク時計について)●先週の時計の小話に、アンティーク時計募集という記事を載せてスゴイ反響がありました。
1番の収穫は、ビックリするような時計が入手出来たことです。 それは、1964年の東京オリンピックに公式計時を担当したセイコー舎の計時機器と全く同じストップウォッチを4個(五分の一秒計・十分の一秒計各2個ずつ)手に入れられた ことです。 私はそれまで、日本でオリンピックが開催されるのだから、セイコー舎が選ばれたものと思っておりましたがそれは大いなる誤りでした。 この新開発したセイコー・スプリットセコンド・ストップウォッチが、国際陸連理事のポーレン氏から当時として最高の評価を受けたからなのです。 氏の激賞によりセイコー・スプリットセコンド・ストップウォッチが東京オリンピックに公式計時として栄えある名誉を獲得したのです。 この度手に入れた物は、第二精工舎の技術陣(井上三郎氏・石原達也氏)が苦心惨憺の末、計時誤差を補正(それまでのストップウォッチはスタートするときレバーで引っかけるようにスタートするために、若干の進みの誤差を生じさせたもの。私も何回となく修理したストップウォッチは全てそういうスタート装置でした)する機能を搭載した、世界初のスプリットセコンド・ストップウォッチを開発し、それが東京オリンピックに採用されたものと同じ品なのです。 そのストップウォッチが今、私の手元にあります。 裏蓋を開けてムーブを見ましたがとても美しく、芸術品を見ているような感動を覚えます。 地板は金メッキされ、高級時計にある波状模様が施され、テンプ受けがブリッジ式になっており、文字盤も装着誤差をなくすためにネジ止めを採用しています。 こんな美しい贅沢なストップウォッチをいまだかって見たことがありません(当然、巻き上げヒゲを使用しており、テンプにはミーンタイムスクリューが取り付けてあります。極めて誤差が出にくい構造です)。 セイコーの資料博物館に問い合わせてみたところ、当時の価格で五分の一秒計が24000円・十分の一秒計が25000円もしたということです (その頃の大卒の初任給が2万円の時代で)。 今の価格で行くと20万円前後するでしょうか? セイコー東京本社のF原さんのお話では非常に珍しいお宝物です、とのことです。 中のムーブは極めて良好で手を入れる必要が全くないほどで、ケースとリューズが少しくたびれている程度でしょうか。 この記念すべき時計を7万円でお売りしたいと思います(各2本のみ)。 希望する方には裏スケルトン(透明のプラスチックで貼り付け)にします。 このセイコー・スプリットセコンド・ストップウォッチは、8年後の1972年札幌冬季 オリンピックにも公式計時として採用されたほど安定した精度を維持しておりました(実際には電気計測に取って代わられ、札幌では幻の公式計時メカ式ストップウォッチになりました) ●時計の小話 第76話(スイス・ETA社について)●セイコー・シチズンと共に世界最大級の時計ムーブメント供給会社の一つにETA社が あります。
セイコー・シチズンの日本2大メーカーに対抗する為に、エボーシュ・グループの集合体として1984年に成立しました。 1970年代のセイコー・クォーツ・クラッシュにより、1600社余りあったスイス時計関連業界は大激震を起こし、何回となく統廃合を繰り返し、今では500社余りに減少しております。 それでも日本のセイコー・シチズン・オリエント・リコーの4社に比べて断然多いですね。 ETA社の成立は、おそらくスイス国家の国策的な会社と言っても差し支えないかも しれません。 現在、時計ムーブメントの生産数は軽く1億個を越えています。 その1割弱がメカ式でしょうか。 最近その比率が高まっていると聞いております。 ETA社の中には過去の有名なエボーシュ・メーカーが参画しております。 代表的なものに、バルジュー、ヴィーナス、ユニタス、アシールド等があります。 工場は世界各地にあり、スイス・ドイツ・フランス・タイ・マレーシア等が主な工場です。 メカ式はスイス本国のみで生産していると聞き及んでおります(やはりメカ式には熟練の技術者が必要なのでしょうか?)。 メイドイン・スイス時計の50%以上は、ETA社のムーブが入っていると断言しても過言ではないほど寡占しています。 あなたがもし、スイス時計を持っておられるのでしたら半分の確率でETA社製でしょう。 最近人気隆盛のU・N社、I社・タグホイヤー等や、ラドー・オリス・オメガ・モーリスラクロア・ロンジン等もETA社のムーブを採用しております。 クロノグラフ・Cal、7750(私はこのムーブが余り好きではないですが)は特に有名で、スイス時計のクロノのほぼ過半数を大きくこえる割合で使われております。 自動巻Cal、2893系も頻繁に採用されております。 有名なU・N社、I社の20〜40万クラスの腕時計には、Cal、2893系が金メッキが施されて使われています。 タグホイヤーの10万円台の時計には金メッキしないでそのままの地板のまま使われています。 ここ最近若い女性に人気の出てきたノモス手巻き腕時計の機械は、ETA社手巻きCal、7001が金メッキして使用されています。 Cal、2846は普及型自動巻キャリバー(リーズナブルで高精度の出る安定したムーブ メント・ETA社の代表的ムーブ)として有名で、私は何十回以上もOHしたか解らないほど多くの数にのぼります。 極端にいえば目を閉じていても組立ができるほど慣れた好きなムーブです。 ETA社の機械式のキャリバーは、大小(男持ち/女持ち)合わせて20種類以上あるでしょうか。 スイス時計をお持ちの皆さんは、自分の時計の機械がどこ製か知っておくのも悪くないかも しれません。 ロレックス・ゼニス・GP・ジャガールクルト等のマニュフャクチュールは殆ど100%近く自前の機械ですが、他のスイス時計メーカーは自前のムーブを入れたり、一部をETA社からムーブを供給して入れたり、全てETA社の機械を入れたりしているメーカー等があります。 高額スイス時計を購入される人は、メーカーブランドで買うのか、機械ムーブメントメーカーで買うのか、デザインで買うのかしっかり見極めてから購入された方が失敗は無いでしょう。 技術力があって人気のある有名なスイス時計メーカーは、やっぱり自前の機械を入れて売り出して欲しいなと私は願っております。 高級スイス時計の裏蓋を開けてETA社製が入っていると少しガッカリしてしまいます(決してETA社製が悪いと言うことではありませんから誤解の無いようにお願い致します)。 ETA社はセイコーと同じように良心的で信頼の出来る世界有数の時計メーカーです。 ●時計の小話 第77話(グランドセイコーの歴史について その2)●三重県のM氏よりKS(キングセイコー)に引き続きグランドセイコーの修理依頼を受けました。
この時計は、M氏のお父様が勤続25年の褒賞として有名総合電器会社から貰われた記念品です(同期の1000名の方が頂いたという事です。すごい数ですね。その1000個のGSの行方はその後どうなったのでしょうか。このGSはアンティーク市場で25万円〜30万円で売買されています。と言うことは、3億円の価値あるGSがどこかで眠っているわけですね。時計の小話を読んで気が付いてくれたらいいのですが)。 送られてきたGSは1965年製ですが、1960年に初めて売り出されたGS(この時は25000円で売り出され当時の大卒初任給が14000円の時代です)と同じ機械のCal、5722Aが入っておりました。 このムーブは手巻きで25石入りで大型テンプを採用し、平均日差−3〜+12秒に調整され、発売されていました。 このGSは諏訪セイコー(セイコーエプソン)で製造されたのもので、それからは第2精工舎(セイコー電子工業・現セイコーインスツルメンツ)が競争しあって交互に新作のGSを発表していきました。 1960年から12年間メカ式のGSは生産・発売され、それ以降の1975年よりGSクォーツに完全に変わられてしまいました。 1998年にメカ式のGSが復活するまで、25年間以上のメカ式GSのブランクがあったのです。 今までに発売されたメカ式GSは男性用で7機種のムーブが開発され、婦人用は1機種(19系・非常に珍しい高精度のメカ式)のみでした。 セイコーエプソンが5機種で、第2精工舎(セイコー電子工業)が3機種を開発しました。 全国のGSファンの方で全部をお持ちの方がおられるかもしれません。 もしおられるとしたらビックリものです。 セイコー内の2つの優秀な子会社が切磋琢磨して競合しあい、素晴らしいGSのメカ式時計を市場に送りだし続けたのです。 その中では1968年9月に発売された45系(セイコー電子工業)と、1969年6月に発売された6185系(セイコーエプソン)が断然他を圧するムーブメントでしょうか。 6185系(セイコーエプソン)のGS・VFA(Very−Fine−Adjustedの略)は、平均日差−3〜+3秒に調整された品が合格品でした。 この2機種はおそらくスイス天文台コンクールで素晴らしい成績をおさめた技術調整者・小池健一氏、中山きよ子氏、稲垣篤一氏らの手によって世に送り出されたのものでしょう。 この後どんなにイイ機械がセイコー舎から発売されても、この2機種を追い越すものは生まれてこないものと私は思います。 1970年大阪にて開催された万国博のタイムカプセルEXPOー70に、我らのセイコーGS・61GAWが入っております。 果たして5000年後の西暦6970年の人々は、このGSをどのような目でながめるのでしょうか。 おそらく5000年前の人間がこれほどまでによく合う時計を作っていたことを知って腰を抜かすでしょうか。 この修理したGSはHPに掲載致します。 ●時計の小話 第78話(諏訪セイコーと第二精工舎と精工舎について)●天文台コンクールについてもっと詳しく知りたいという読者の方が多いので、さらに述べてみます。
諏訪セイコーと第二精工舎は、1963年から1968年までスイス天文台コンクールに参加しました。 天文台コンクールは純粋に時計の精度を競う時計メーカー同士の激しい争いでした。 その常連はオメガ・ゼニス・ロンジンで、いつもトップを競っておりました(ロレックス・IWCは参加しませんでした)。 日本の時計メーカーでは唯1社、セイコーのみが敢えて挑戦したのです。 そのチャレンジ精神は見事と言うほかありません。 それほどまでに、その頃はスイスと日本では時計技術の差が歴然とあると思われていたからなのです。 腕時計クロノメーターと言えば、スイス高級時計の代名詞みたいなものでした。 その時代の日本の時計マニアは、大枚なお金を出してスイス製高級腕時計クロノメーターを買っていたのです。 その精度競争の場は、ニューシャテル、ジュネーブ両天文台で行われました。 セイコーは最初の頃は余り芳しい成績ではなかったのですが、テンプの振動を6から10振動にすることにより、目覚ましい精度を発揮するようになったのです。 当初はオメガ・ロンジン・ゼニスに太刀打ち出来なかったのが、参加して2〜3年で追いつき、そして追い越すほどにセイコー技術陣は頑張ったのです。 その設計陣の中心におられた方が小牧昭一郎氏(現ヒコミズノ学校の講師、私は20代の若いとき、東京であったCMW大会に参加してダンディな氏にお会いしました。私にとっては憧憬の対象となる先生です)・久保田浩司氏(この先生にお会いしようと思われたらセイコー資料博物館にいかれたらいいでしょう。今そこの館長をしておられます。時計史に関しては造詣の深い先生です)・依田和博氏であり技術調整者が、かの有名な小池健一氏・中山きよ子氏・稲垣篤一氏・野村荘八郎氏・井比司氏(この5名の方々は日本が世界の誇る技術調整者でしょう)なのです。 歴史を誇ったニューシャテル天文台コンクールは1967年が最後になりましたが、中止になった大きな原因は東洋の国の日本のセイコーが短期間に目覚ましい精度の躍進を遂げ、コンクールで有名スイス時計メーカーを駆逐したからに違い有りません。 ジュネーブ天文台コンクールは1968年が最後になりましたが、実質メカ時計分野では1位から7位まで諏訪セイコーが独占し、圧倒的な勝利を収めたのです。 歴史の浅い日本の一企業のセイコーが、何百年と連綿と続くスイス有名時計メーカー連合に打ち勝ったという快挙なのです。 その為にジュネーブ天文台コンクールも1968年にうち切られてしまいました。 その当時の諏訪セイコーと第二精工舎の時計精度の関する技術力は、まぎれもなく世界最高峰であったと断言しても差し支えないでしょう。 その時代の技術の象徴の申し子として、天文台クロノメーター合格品の市販があるのです。 そのCal(キャリバー)が第二精工舎45系の手巻き腕時計なのです。 1969年に73個発売され、1971年までに延べ226個市場に出ました。 市販された天文台クロノメーター合格品は平均日差が1秒も狂わないと言う、メカ式では想像でき得ない超高精度でした。 もう一つの子会社の雄、精工舎はクロック専門工場として大いに発展しましたが、人件費等の高騰により国際競争力が低下し、今では生産拠点を中国に移転しております。 亀戸にあった工場は閉鎖されたと聞き及んでおります。 これも一種の産業の空洞化でしょうか。 私は最近NHKのドキュメンタリー番組「プロジェクトX」をよく見ますが、この天文台コンクールに挑戦したセイコーの若き技術者達の話を取り上げて特集を組んで欲しいと願っております。 その時活躍された生き証人の技術者の方々が元気で現役で活動されている内に放送をして欲しいなと思っております。 この番組を見ていますと、日本人の職人・技術者魂が見事に描かれていて、毎回大きな感動を覚えます。 日本の科学・技術力の低下が叫ばれている今、先人達の燃えたぎるような熱意・情熱に学びたいと思います。 ●時計の小話 第79話(ROLEXアンティークについて)●先日、石川県の地元のお客様が当店のHPをご覧になり、ROLEXアンティークをお持ちになって修理依頼のためにご来店いただきました。
その時計はカレンダー付き手巻き17石Cal、1225の非常に状態のイイ腕時計でした (止まりの原因は油ぎれにために調子がかなり落ち込んで、数時間で止まるというもの)。 ローマン数字の文字板には、オイスターデイトPRECISIONと書かれ、ムーブの地板にはMONTRES・ROLEX・SAと刻印されていました。 4〜50年ほど前の代物ですが、分解掃除・精密調整の結果素晴らしい精度が復元しました。 軽くクロノメーター規格に合格するような精度がいとも簡単に蘇りました。 ロレックス社が4〜50年ほど前にもかかわらずこのような素晴らしい時計を作っていたのかと思うと、今の隆盛が当然だと思うようになりました。 4〜50年間のロレックスの企業姿勢の蓄積が、今の絶大な信用を勝ち得ているのに違い有りません。 私はどうしても国産びいき(特にセイコー)になり、ロレックスには少し辛い点を付けたようで、ここでランク付けを見直したいと思います。 余りにも人気があるために、嫉妬?と羨望?からでしょうか、関脇にしましたが、やっぱり東横綱クラスなのですね。 こんなムーブを眼前に見せつけられてしまうと、何の反論・異議申し立ても出来ません。 さすがロレックスだなーと。 アンティーク腕時計を修理するとき、気分が2通りに大きく分かれます。 難物で時間ばっかりくって修復出来ずに疲れ果ててしまう場合と、ムーブメントを見ただけでゾクゾクするような興奮を覚える場合があります。 このロレックス時計はまさしくこれで、修理時間中、職人として至福の時間でした。 この感動を読者の方に上手く伝えられないのが残念です。 お客様から話を聞いてみると、金沢の質屋で68000円で買ったというのです。 余りにも安い購入価格を聞いてビックリ致しました。 いろんな雑誌・資料を調べてみますと。ゆうに20万円〜25万円位でアンティークショップで売られている物なのです。 まだまだ場末の情報の乏しい質屋さんには、とてもお買い得な良品のアンティーク・ ウォッチがごろごろ眠っているのですね。 以外と穴場はそういう所かもしれません(それにしても質屋さんの親爺さんは何も知らないとはいえ、68000円で手放すとは勿体ないなー。この機械の状態を知っていたら私なら 25万円で買うと言われても手放しません。最近のA・Pの5〜60万円の手巻き腕時計のムーブと比較しても何ら遜色がありません)。 アンティーク・ウォッチ・ファンの方々は大枚なお金を出す前にいろんな質屋巡り(特に古い場末の所)をすると、こんな価値ある時計に出逢うかもしれません。 このROLEXはHPに掲載致していますからご覧下さい。 ●時計の小話 第80話(セイコー極薄時計、Cal.6810について)●3月18日〜23日かけて、ある読者の方より通算8回電話がありました (後日、写真までお送りいただきました。よっぽど手に入れたのが嬉しかったのかなー)。 最近手に入れたセイコーCal 6800がどのような時計か調べて欲しいという依頼でした(急に言われても何がなんだかさっぱり解りませんでした)。 近所の時計店(長い間、金庫に眠っていたSS側の中古品です)から4万円で入手したものらしいのです。 足繁く通って店主を粘り抜いて説き伏せて、購入にこぎ着けたらしいのです。 資料で調べてみますと1969年に発売された極薄型手巻き腕時計(19,7×16,9 厚さ1,9mm)であることが解りました。 その時計はセイコー(第二精工舎)が最初に手がけた極薄型手巻き腕時計だったのです(私は今だかって一度もその時計のOHをしたことはありませんから記憶にないはずです)。 その時計店は30年前にセイコーを沢山売り(当時の時計店は本当に沢山どこでもセイコー・ シチズンを売っていたのです)その時計を優先的に仕入れできたらしいのです。 そんな店にとって大切な腕時計を4万円で手放すとは、よっぽどその読者さんの交渉術が上手かったに違い有りません。 1991年にカンバックしたCal 6810のセイコー極薄型ドレスウォッチは、そのCal、6800から派生的に生まれた時計です。 1991年のこの復刻版は当初年産400個足らずと聞いております。 それほど極薄型は大量生産にむかない商品なのです(この商品は現在も継続して発売中です。SSケースで25万円致します)。 ウルトラスリム(超薄型)が最近余り人気がないのは実用的でないためでしょうか。 ドラマチックなデザインが可能ですが、余りの薄さで衝撃に弱く、日常生活では安心して使えないからでしょう(ROLEXが人気があるのはケースが堅牢で安心して使えるのも大きなポイントでしょう)。 以前に時計の小話で書きましたが、ジャガー・ルクルトの極薄手巻き時計をOHしたとき、あまりの薄さに驚きました。 厚さは1,75mmしかなかったのです。 セイコーの6810よりもさらに薄かったのです。 修理中はものしごく神経を使いました。 ちょっと強く地板を押さえると曲がるのではないかという想像を絶する薄さでした(テンプのアームが紙のように薄かった記憶があります)。 そんな薄さにもかかわらず、ちゃんと精度は出たので、さすがジャガー・ルクルトだと感心しきりでした。 人間って本当にスゴイ物を作り出せる能力を持っているのですね。 |
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