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国際時計通信『水晶腕時計の興亡』
時計の小話
続・時計の小話
121話〜140話

●続・時計の小話 第1話   定期的なOHの必要性●

丈夫で堅牢な、ケースで保護されているロレックスのメカ式自動巻の頂点に位置するCal.3135でも、 定期的なオーバーホールを怠ると、いろんな、不具合が生じてきて、故障の原因になります。 最近、修理したロレックスの中で、定期的なオーバーホールをしていない為に起こった修理依頼が2〜3個 続きました。

1つは、手巻きする時に、異常にリューズ回りが重い状態で、ほとんどゼンマイが手巻き出来ない故障でした。 分解して、良く見ると、丸穴車と角穴車の間にある、中間伝え車の地板にある歯車の受けネジ部が、 油切れ状態で、かなりの期間無理に手巻きをしていたために、ネジ受け部が損耗摩耗して、減ってしまい、 歯車とネジ受け部のアガキが大きくなり、各歯車の噛み合いが深く、手巻きが出来ない状態になっていました。

修理する方法としては、香箱・一番車受け地板一式を取り替えるのが一番なのですが、非常に高価な為、交換せず、 摩耗した汚れたネジ受け部を、ハケ手洗い洗浄で綺麗に洗い落とし、グリースを少し多めに注して修理しました。 この様な故障は、3、4年に一回、OHをしていれば絶対起こらないものなのです。

自動巻でよくある故障の1つにOHを定期的にしないと油切れにより ローター真が摩耗してローター受けとのアガキが大きくなり、ガタガタになってしまいローターが、ケースに擦れて充分に自動巻が 出来ない故障が起きてしまいます。 これとて、定期的なOHをしていれば、防げる故障の1つです。 ローター真を人工ルビーにすれば、摩耗が防げて、そういう故障は起きにくいと思われるかもしれませんが、 ロレックス社のCal.3135は、ローターと自動巻受けとを、U字型の楔で留めている為にそれが出来ないものと、 推察しています。(人工ルビーを採用すれば楔留めするときに石が欠けてしまうからでしょう)

セイコー社のCal.61型やCal.62型は、ローターに偏心ピンが取り付けてあり、 蟷螂の手の様な形をしたマジックレバーとの回転摩擦により、偏心ピンが、細くなってしまうという故障がありました。 これとて、定期的なOHをしていれば、完全に防げる故障の1つです。 (精工舎では改良して偏心ピンを人工ルビーで作っているキャリバーがありましたが それが出来たのも楔留め方式ではなく地板でマジックレバーをネジ留めしている方式だったため可能であったのでしょう。)

弊店で、メカ式をお買い上げ頂いた方には、 メカ式は落下・衝撃・磁気・振動に弱いという事を頭に置いて使用して頂きたい旨を、お知らせしていますが、 いかんせん、腕時計は、体の一部につけて使用する為に、いつ何時どんな衝撃が加わるか?解らないものです。 先日、うっかりロレックスを床に落とされた時計の点検依頼を受けましたが、ムーブメントを見てみますと、 ブレゲヒゲゼンマイが、片側に異常に偏心伸縮運動をしている為に、日差20秒の遅れが生じていました。

Cal.3135は、メカ式自動巻腕時計としては、最高度の精度調整が出来る機械だと小生は思っていますが、 やはり、落下・衝撃には弱点があり、その原因の一つにCal.3135は、ヒゲ受け・ヒゲ棒を採用していない為に、 このような故障が起きやすいものと、推察しています。

もし、ヒゲ受けヒゲ棒の緩急針方式を採用していれば、落下によるブレゲ・ヒゲゼンマイの変形、 という事は防げた可能性はあるのですが、歩度の等時性の安定、微細精度調整の意味では、 ヒゲ受け・ヒゲ棒を外した今のマイクロステラ(ミーンタイムスクリュー)方式の方が優れているのではないか、と思われます。

●続・時計の小話 第2話  大切な時●

太古の昔より、人々は時という概念に強い関心を抱き、原始的な日時計、砂時計、水時計等を考案し、使用してきました。 人々にとって、時間というものが生活にとても重要で価値あるからこそ、 正確な時を計る計器として、『時計』の追求を果てしなく求めてきたのでしょう。 人々とって、与えられた時は永遠ではなく、限られた時間でしかありません。

人生とは、その時の瞬間の積み重ねの集積と、言えると思います。 一刻一刻を大切にしていけば、人生の後悔や失望や不安は、 多少は無くなるのではないか?と思います。 順風満帆に人生を過ごせることはほとんど無く、愛別離苦や怨憎会苦、 求不得苦が有るのは当たり前の事だと思われます。 『時は金なり』と言う諺がありますが、時は金では絶対買えないもので、 人生は時という二度と得ることが出来ないものとの執着でもあり 闘いとも言えなくもないでしょう。

一代で財を築き上げたM氏は晩年の死の間際に、後10年生き延ばせてくれる名医が いれば100億円出しても惜しくない、と言われたそうですが、 それ程までに時というものは個人にとって貴重なものなのです。 昨今、若き人々がネットで自殺者を募り、亡くなられていく事を聞くに及び、 また苛酷な労働条件の中、身体・神経が疲れ果てて、死を選択する人々が 多いことを知り、とても悲しい思いにかられます。

成人するまでにご両親が手塩をかけて多くの愛情を注ぎ、 大変な苦労をかけて育て上げたにも関わらず、 自ら命を絶つという事は、とても慚愧の念に耐えません。 人間は、遅かれ早かれ、人知では計り知れない運命より死を迎えるもので、 焦る必要は全くありません。 折角、この世に人として生まれた以上は、天命を全うして欲しいと 願って止みません。

地球が誕生して約50億年という想像を絶する年数が過ぎ去っていますが、 人それぞれの一生は、その長さに比較して、瞬きにも及ばない一瞬だと思います。 その短いとも言える人生を悔いなく生きるには、毎日毎日を精一杯生きる事では ないでしょうか? 人生には、捨てる神もあれば拾う神もあると言います。 明日への夢と希望と情熱を持って、若い人々にはどんな困難なことがあっても 生き抜いていって欲しいとつくづく思います。

この世に人間として生を受けるという事は、大変な事であろうと思います。 地球上には、いろんな数え切れない程の幾多の種類の生物が存在しますが、 その頂点に君臨する人として生まれてくる事は、千載一遇のまたとない機会だと 言わざるを得ません。

日本では、聖徳太子の尽力により古くから仏教が伝播されていますが、 仏教に時の観念として、 『劫(ごう)・・・天女が3年に1回その羽衣で四十里四方の巨石を磨って、 石の形が無くなるまでの途方もない長時間・・』という 時の長さを表す言葉があります。 (現代では時折、未来永劫というふうに使われたりしています)

一度命を失ったら、人々は無量劫に渡って彷徨うという事が言われています。 という事は、再び人間としてこの世に生まれてくる事はほとんど不可能である、 と釈尊は我々に言われているのではないかと思います。 これからの日本を背負う人々には、貴重な時を大事にし、さらに命も大事にして、 生きていって欲しいと心から思っております。

●続・時計の小話 第3話  諸先生の思い出●

昭和55年の弊店開店以来、今日まで時計工具や材料(パーツ)の仕入れは 富山県高岡市にある新谷商店でお世話になってきました。 店主の新谷建三氏は1962年にCMWを取得され、 その後日本時計師会・富山支部の支部長をされていました。 (時計材料店の店主がCMWを取得された事は珍しい快挙と 言えるかもしれません。)

白山市から高岡市まで高速道路が完備し、今では40分足らずで 行き来出来るようになり、今まで新谷商店には何回となく足を運んで 色んな物を仕入れさせて頂きました。 富山県には岡本利夫先生、新谷建三先生、山本信雄先生等の 有名なCMWがおられて、富山県にある時計店の時計修理技術向上を目指して、 後進の指導・教育に熱心にあたられました。 その甲斐があり、富山県は全国有数の高い修理技術を持っている店が多い県に なりました。

延べ40名にも上るCMWが富山県で過去に生まれました。 (富山県の県民性でしょうか、富山県は商売、勉学に懸命に励む風習があり 有名大学にも多数進学している県でもあります) 小生の故郷・滋賀県では、全国的に超有名でいらした行方二郎先生が いらっしゃったにも関わらず、延べ4〜5名しかCMWに合格出来ませんでした。

いかに富山県の時計店主が、過去において時計技術向上の為に 一生懸命に勉強されてきたか窺い知ることが出来ます。 (県により技術レベルの格差が多少はあったものと思われます。) 新谷先生のお宅の居間には、後進の指導に熱心に捧げられた功績により、 日本時計師会から授与された「フェロー会員証」が燦然と輝いていました。

その新谷先生が今月85才で天寿を全うされて、一抹の寂しさを感じています。 今から30〜40年前においては、日本時計師会の幹部でいらした飯田茂先生、 飯田弘先生、小野茂先生、岩崎吉博先生、多田稔先生、岡本清治先生等の 諸先生方が、日本各地からの指導の招聘を受け、 全国各地を駆け回られていられました。。 その献身的なご努力により、日本の時計修理技術は当時、 おそらく世界でトップクラスであった事は疑いのない事実です。

●続・時計の小話 第4話   全時連について●

全国の多数の時計店が加盟している『全日本時計宝飾眼鏡商業協同組合連合会 (略して全時連)』が、ここ数年に渡り、衰微の跡を辿っています。

資料によりますと、昭和51年に19,999店が加盟していましたが、 昨年度では、僅か4,940店まで落ち込んだそうです。 この数字は、資本力のある多店舗化している大店との競争に敗れた、 中小の零細時計店の苦戦を表しています。 中小の時計店では、経営者の高齢化に伴い、跡を継ぐ若い人がこの魅力のない 業界に見切りをつけ、参入していないものと思われます。

日本各地の町々から、小さな時計店が廃業・閉店に追い込まれていく様子が 容易く想像出来ます。 40年程前、どの時計店でも活気が溢れていた頃、全時連は、 団結力やメーカーに対して発言力があり、それ相応の役割を果たしてきました。 乱売をする時計量販店等にも圧力をかけ、 メーカー、卸商にたいして、ある程度の影響力、拘束力を持っていました。 (一番の貢献大なものに、時計技術の啓蒙を行い 一、二級時計修理技能士試験を全国都道府県にて開催したことでしょうか)

長浜市で父と一緒に仕事をしていた35年前頃、長浜市の時計組合 (当時は、20店舗くらいありました)の、組合員(時計店店主)は、 お互いが商売敵にも拘わらず、仲がそれなりに良く、 毎月一回の例会を料亭で開いていました。 酒を全く嗜まなかった父でしたが、毎月喜んで、出掛けておりました。 夜の11時頃、料亭の豪華なご馳走を、ほとんど箸をつけずに折詰めに入れて、 父は帰宅して家に持ち帰ってきていました。

子供5人がいつもその時は、夜遅くまで父の帰宅を待っていて、 持って帰ってくるであろう、ご馳走を楽しく待っているのが、常でした。 (厳しくてこわい反面、子煩悩な父親でもありました) あまり波風が立たない長浜市の時計組合でしたが、彦根市に忽然と安売りする X店がこの業界に新規参入してきて、長浜市の各時計店が、 大慌てした事が昨日の事の様にハッキリ憶えております。

当時の長浜市の一番店は、セイコー、シチズンを定価販売して、 パイロットやセーラー、プラチナの万年筆をサービスするという事を していました。 他の時計店では、セイコー、シチズンを10〜20%引きをして、 何らかのサービス品をつけてお客様に販売していました。 彦根市のX店が、いきなり、セイコー、シチズンを全品30%オフに したものでしたから、長浜市の時計店は、大騒動になり対策を練る為、 緊急の会合を何回も開いていました。 (長浜市を含む湖北地方の人々までが彦根のX店まで足を延ばしたほど 影響がありました)

父は当時、長浜時計組合の副組合長をしていた為に、東西奔走して、 乱売を止めさせるべく、かけずり回っていましたが、 結局、数量を販売する力があるX時計店には敵わず、メーカー、卸商に対して、 なんら効果は無かったのです。

最近では、価格競争を避ける為に、オープン価格の時計商品が 一部出回っていますが、オープン価格の商品は、 ユーザーの方にとって魅力が無いものと思われ、 拡販には至っていないのが現実です。 メカ式腕時計が、ここまで復活して普及してきますと、 中小の零細時計店にとって、時計修理技術をしっかり身につけていれば、 資本力のある大店とて、全く恐れるに足りません。 40年前の様に、各店が時計修理技術を競う様な状況になれば、 腕の良い零細時計店でも充分生き延べられていく手だては、 必ず見つかるのではないかと思います。

●続・時計の小話 第5話  時計専門店のこれからの問題●

この時計・宝飾品・メガネの売上高ランキングや、対前年の 売り上げ増減を資料統計から見てみますと、 今後のこの業界の市場の動向が、少しは解ります。

メガネ専門店の、全国売上高2004年度ベスト5は、三城(644億円 1,041店舗)、 メガネスーパー(351億円 450店舗)、愛眼(258億円 317店舗)、 メガネトップ(211億円 334店舗)、日本オプティカル(154億円 151店舗) になっています。 宝飾品専門店、全国売上高2004年度ベスト5は、ミキモト(304億円 11店舗)、 田崎真珠(278億円 54店舗)、ツツミ(271億円 145店舗)、 あずみ(165億円 177店舗)、ベリテ・オオクボ(161億円 117店舗) になっています。 時計宝飾専門店、全国売上高2004年度ベスト3は、安心堂(50億円 8店舗)、 エバンス(43億円 2店舗)、天賞堂(31億円 2店舗)、になっています。

メガネ、宝飾品の専門店が、対前年伸び率が、『+』になっているにも関わらず、 時計宝飾専門店は、対前年伸び率が、10%前後の『−』になっています。 メガネ専門店が、ここ数年来の不景気にも関わらず、右肩上がりで、 業績が伸びてきた原因の一つに、多店舗化が容易に出来るという事でしょうか?

メガネ店は、時計宝飾品の専門店と比較して、小資本で店舗を開店する事が出来、新人社員教育も短期間で出来るという利点があります。 (米国では、誰もが眼鏡業界に簡単に参加出来る訳ではなく、 公的資格(オプトメトリスト)を取得しなければ、 眼鏡店を開業する事は、許されておりません。

日本では、公的資格制度が完備されていない為に、保健所に、 医療用具販売業届けを出せば、誰もが簡単にメガネ店を開業する事が 許されているという、安易な制度になっています。) 宝飾品専門店は、かつて物品税が15%かかっている為に、 所轄の税務署に物品税・販売業者届けを、 出せば、誰でも簡単に業界に参入する事が出来たのですが、 何せ、宝飾品は仕入れに多額の資金を必要とする為に、 誰もが参入出来るはずもなく、宝石の目利きも、数年に渡る修行が必要な為、 簡単には、開店におぼつかないのが、現実でした。

一方、時計専門店も資本金がかなり必要であるにも関わらず、 粗利がメガネ・宝飾品よりもかなり、少ない為に魅力が無く、 新規参入するのが、非常に難しい状況と言えます。 また、完全な時計店を運営する為には、常駐する時計職人が必要となり、 メンテナンスの設備にも多額な経費が要る為、多店舗化及び開業するのが、 非常に困難な業種と言えます。

3,40年前以上、日本全国のどんな小都市にも何軒かは、あったと思われる 仲間修理業(時計修理専門店)を、今日開業するにも工具設備機器等に最低でも、300万円前後かかる為に、なかなか難しい問題と言えます。

日本では、メガネと同じく、何ら資格を取らなくても開業しても法的束縛を 受ける事は、無いのですが、米国ではメガネと同じく、資格を取得しなければ、 時計修理業として、独立する事は、かなわないのです。 今後、消費者を保護する為にも、時計・メガネ業は米国の様に、 認可された資格取得した者のみに開業を許可する方向にいってもらいたいと、 思っています。

●続・時計の小話 第6話  誤った使用方法●

時計職人は一度、仕事に取りかかると、3時間以上も椅子に座り続ける事が あります。 どうしても運動不足になりがちで、若い頃、太かったふくらはぎも次第に 細くなり、下半身が衰えていくと感じで25年程前から、兄、知人の薦めもあり、 ゴルフをしています。 (この年になってもカートに絶対乗らない主義なので知人から怪訝な顔を されて不思議がられています)

シチズンにおられた時計師・野元輝義先生は、かって時計専門誌に 時計師体操等を発案して、運動不足になりがちな職人に独特の 体操・気分転換方法を、薦めておられました。 最近、よく見かける光景なのですが、ゴルフの最中に機械式時計 (ロレックス、オメガ・シーマスター)を、腕にはめながらプレイを しておられる人を見かけます。

アイアンで地面を叩く衝撃は凄いものと思われ、テンプもその衝撃に 上下左右に激しく振動して吃驚しているに違いありません。 時折、急に止まった腕時計の修理を預かり、裏蓋を開けてみますと、 テンプのテンションバネが外れて、テンプの穴石、受石が機械の中に紛れ込んで、止まった原因を作っている場合があります。

また衝撃でブレゲ巻き上げヒゲの上部が変形しないとも限りません。 おそらく、こういう場合、この時計の所有者はゴルファーが多いものと思います。 テンプ、ガンギ車、4番車等に、たとえ耐震装置がついてあったとしても、 激しいスポーツやゴルフをする時は、必ず外して頂きたいものです。

プレイ後、風呂やサウナに入る場合がありますが、その時でも ロレックスのサブマリーナやシードゥエラーを 腕につけたまま、平気の人を見かけます。 小生はその時ばかりは、余計なお節介なのですが『いい時計ですので、 風呂とかサウナの時は外された方が良いと思います。』と、助言しています。 いくら、防水機能が高くても、サウナの高温で時計油が変質しないとも限らず、 また、風呂につける事により、水垢や、洗剤のカス、人の身体の脂が付着して、 ケースや、時計バンドを劣化させるやもしれません。

先日、わざわざ大阪より、ご夫婦で修理依頼の為にご来店頂いた、 Nさんのロレックス・サブマリーナ・ノンデイトをお預かりしました。 Nさんは、以前にも回転ベゼルが全く動かなくなり、 他店にて交換してもらった事がある、と言っておられましたが、 今回も回転ベゼルは全く動かない状態でした。

回転ベゼルを外してみると、ケースとベゼルの間に、脂、ゴミ、埃等が、 目一杯詰まっていて、ヘの字型のバネも錆びておりました。 おそらく、Nさんもお買い上げ店のアドバイスが無かったものと思われ、 風呂、シャワーに常時ロレックスを付けておられた為に、 脂、垢、埃等がベゼルのスキマから入り込んで、 動かなくなったものではないかと思います。

どんなに防水性能が高い時計と言えども、風呂、シャワー、サウナ、 の時は外す習慣をつけて欲しいと思います。

●続・時計の小話 第7話   ノモス自動巻について●

昨年末から、ドイツ・グラスヒュッテに本社を構えるノモス社が、 新開発の自動巻ムーブメントを完成した、という噂を聞きました。 今春のバーゼルフェアで、その新開発の自動巻ムーブメントが お披露目されました。

『タンジェント・オートマチック(タンゴマチック)』と命名された ムーブメントは、ノモス社の新進気鋭の29才の時計師『ミルコ・ハイネ』氏が 開発した、エプシロンを搭載されています。 (現物はまだ見ていないのですが写真からはシンプルで美しい機械のようで 惚れ惚れします)

ムーブメントの直径は、34.65mm、厚さ4.3mm(ケース径38mm、ケース厚さ8,3mm) の見事な薄型自動巻に設計されています。 2006年春に、249,900円(販売予定価格)で、発売される予定です。 日付無しが125個、カレンダー付きが125個、計250個が既に製造を終え、 一年間の動作テストを終了して、一年後に再度オーバーホールをして 市場に流すという手間のかかる事をするという話を聞きました。 まさにドイツ人気質を如実に表していると思います。

この完璧なまでの拘りと合理主義は、同じドイツから生まれている ランゲ&ゾーネ社も一定期間のテスト試行をしてのち、 再度オーバーホールをしてユーザーに渡すという、 とても手間がかかる事を当たり前のようにしています。 徹底した完璧な合理主義の賜物では無いかと思います。

小生の兄が商社に勤務していたころ、フランス、イタリヤ、ドイツを 毎年訪問していたのですが、聞く所によるとドイツの街は、理路整然として 綺麗で、ゴミもほとんど落ちていなかったと、よく聞かされていました。 昔からドイツ製の工作機械や、飛行機、自動車は、優れたものが多いのですが、 それはドイツ人の妥協を許さない気質が、脈々と引き継がれていたからに 違いありません。

ノモス社はマニュファクチュールを目指して、地板等も自社生産に 切り替えました。 従来の普及品であったプゾーCal.7001が、高精度が保持されているのも、 スイス高級腕時計にしか採用されていない微細精度緩急針機構 (トリオビス・ファイン・アジャストメント)等を採用し、 ノモス社独自で高精度が出るように調整しているからです。 来春の発売がとても楽しみなりました。

一般的に『手巻き』のオーバーホールは簡単な様に、おもわれがちですが ノモス・タンジェント・デイトなどは、分解・組立・調整に 細心の注意を払わなければ大変な事になります。 先日もN市の方から、タンジェント・デイトのオーバーホールの依頼を 受けたのですが、その方は誤ってノモスを水の中につけてしまい、 機械の中に水が入り込み、慌てて近くの時計店に修理依頼をされた所、 輪列地板、テンプ受け地板等に傷を一杯つけられ、 弊店に修理・交換依頼が来ました。

スケルトンの場合、手巻きといえども細心の注意を払って修理作業に 取りくまなければ酷い目に遭う事の顕著な一例です。

●続・時計の小話 第8話  小林敏夫先生について●

日本における、時計技術向上の為に尽力をつくされた大恩人と言えば、 一橋大学の山口隆二先生をまず第一に挙げなければなりませんが、 山口先生と匹敵するほどの、恩人が小林敏夫先生です。

山口先生の努力により昭和28年、米国時計学会(HIA)の日本支部が 誕生しました。 理事長に井上信夫先生が着かれ、いろんな煩雑な業務を小林先生が 一手に引き受けられ、翌年の昭和29年9月に日本時計史に残る第一回、 CMW(公認高級時計師)試験が、挙行されたのです。 学科問題等は英文にて送られてきたため、小林敏夫先生が翻訳して 第一回受験生の角野常三氏、末和海先氏に渡されたのです。

当時は、延べ8日間の試験日程で、1日目が学科試験、 2日目が自動巻腕時計の分解掃除 3日目が旋盤による巻き真製作 4日目が旋盤による天真製作   5〜8日目が懐中時計の分解掃除、修理調整でした。 このCMW第一回試験を受験すべく角野常三先生は、ご自宅を売却されて、 当時としてはビックリするほど高価なビブログラフ(歩度検定器)と 万能投影機を、購入された事は、今日まで時計業界の語り草になっています。

阪大を出られた、小林敏夫先生は、守口公共職業補導所を経て、 日本時計師会会長、大阪府立生野工業高校校長を歴任して、 若手時計技術者の育成、日本時計技術向上の為に一生の間、全力投球で 尽くされたのです。

(府立生野工業高校・時計計器科の設立にも尽力をされました。 今日の機械式の復活を見るにあたり、唯一の公立の時計技術高等科が1986年に 消滅したことは慚愧に耐えません。 時計計器科の卒業生は29年間で延べ1,581名にのぼり現在この時計業界の屋台骨を 背負っていることは紛れもない事実であります。 時計計器科の教諭でおられた杉田昌幸先生は教職の傍ら CMWの試験にも合格された方でありました。)

小林敏夫先生著の基礎時計読本は今なお時計技術者に愛読されている名著であります。 小生が、昭和46年度のCMW試験に合格した時、小林敏夫先生は、 日本時計師会の名誉会長の地位におられ、合格認定式の時に井上信夫先生と共に、 心温まる祝辞を頂きました。

日本にCMW試験導入という大功労者の山口隆二先生と、 小林敏夫先生がおられなかったら、日本がこれほどまでに世界で有名になった、 時計産業はしっかり根付かなかったものと思っています。 両先生の熱情に打たれてシチズンの岩澤央氏や、オリエント時計の加藤政弘氏、 セイコーの遠山正俊氏、久保田浩司氏が、時計技術向上・発展の為に 動かれたのです。

偉大な足跡を残された小林敏夫先生も一昨年82才で逝去されたことは 残念の極まりでありました。

●続・時計の小話 第9話   生野工業高校時計計器科について●

小生が昭和46年、CMW試験を受験した場所は、 大阪府立生野工業高校時計計器科の教室でした。 そのほかにも、受験者数が定員に達していれば、2名のCMW立ち会いの元、 東京、名古屋、鹿児島でもCMW試験が、毎年行われました。

一次試験は、学科と旋盤作業のみでしたので、荷物はさほど多くはなかった のですが、二次試験になると荷物がどっと増え、超音波時計洗浄機、 時計用小型精密旋盤、タイムグラファー、双眼拡大鏡、タガネ等を その頃の小生の愛車であった日産サニーに詰め込んで、大阪へ行きました。

当時は、名神高速道路と言えども、そんなに車の量が多く無くて、 割とスムーズにビュンビュン飛ばして大阪市内まで着いた事を今でも、 覚えております。 (今では名神高速道は一般国道並の混雑さでとても疲れてしまうのですが 当時はガラガラと言った方が適切だったかもしれません)

生野工業高校時計計器科は1957年(昭和32年)に設置され、 電子機械科(現在では)に変更されるまで、 29年間に1800余名の卒業生を排出しました。 卒業生は、多くは時計業界に就職し、愛知時計電機、カシオ計算機、キャノン、 シイベル時計、オリエント時計、松下電器、松下電工、掘場製作所、島津製作所、シチズン、セイコー、シャープ、日立製作所、リズム時計、リコー、 ミノルタカメラ、ロレックスサービス等の有名企業へ、飛び立っていきました。

在学3年間ミッチリ教え込む教授陣には、小林敏夫先生を始めとして、 アメリカ時計学会よりヘイガンス賞を授与された下土居隆三先生、 教諭でありながらCMWを獲得された杉田昌幸先生、 非常勤講師には、CMW取得者の日本時計師会会長・飯田茂先生、 日本時計師会・飯田弘理事、岩崎吉博理事、北山次郎理事先生等の 32名の錚々たるメンバーが揃っておいででした。 (諸先生の熱心な教育指導のお陰で卒業生の中にはCMWの合格者が 少なからず出たのでした。)

公立の高校に時計技術を専門に教える科が出来た要因には、いろんな多種多様な 要望があった訳ですが、一番の原因は当時、大阪の時計眼鏡商業協同組合の 理事長をしておられた、尚美堂社長、江藤順蔵氏 (日本時計師会・顧問の重責も担っておられました)の言葉から、 汲み取る事が出来るのではないか?と思います。

『公平な目で現在の時計修理師を眺める時、正しく時計修理の出来る人は、 誠に微々たるものであり、10人に1人、否100人に1人あるやなしかの様であり、 全国3万と称せられる時計師に、自己の時計を安心して、託しうる事の出来る 人を求めても、100人を探し得ないと、断言してはばからないのであります。 現在、日本で一日数秒以内の誤差に製作された時計を、いつでも必ずその誤差範囲にとどめ得る修理師は、全く数えるほどしか、ありません。』

という、江藤氏の言葉が、発露となって、一橋大学の山口隆二先生、 大阪大学の篠田軍治博士、大阪府立大学の石田道夫教授等が動かれ、 メーカーのセイコー、オメガ、松下電工、アメリカベンラス時計会社等が 教材を無償提供して時計計器科が発足したのです。

現在、近江時計学校、ヒコみずの時計学校、 東京ウォッチ・テクニカム校を 卒業するには、2〜3年間で、400万円もの高額な授業料が必要ですが、 生野工業高校・時計計器科は、当時の超一流の教授陣を配しても、 わずかな授業料で卒業出来るという、公立高校ならではの非常に大きな メリットがあった訳です。

(上記の近江時計学校、ヒコみずの時計学校、 東京ウォッチ・テクニカム学校に 学んでいる恵まれた生徒以外の、素質があっても金銭的に余裕がなく 入学できない将来性ある若人技術者を掘り起こさなくてはいけないと 思っております)

資源の乏しい日本では加工技術特に、精密分野において世界をリードしてきた 自負がありますが、これだけの時計、カメラ等の精密機械産業が隆盛している 現在、公立の時計学校を再度、設置しなければならないと思うのは 小生一人ではないと思います。

スイス時計産業がが、セイコーのクォーツクラッシュによって 大ダメージを受けたにも関わらず不死鳥の様に今日蘇った大きな理由は、 複数の公立の時計学校が継続して存続し、若手の優秀な時計技術者を毎年毎年、 業界に送りだしてきた賜物ではないか?と思っております。 政府(文部科学省)、地方行政機関のトップの人々には 是非考慮していただきたいと願ってやみません。

●続・時計の小話   第10話   ブローバ時計学校●

私が時計技術を身につけようと思いついた時、それこそ繰り返し何度も 読みあさった本があります。 それは末和海先生が翻訳された『標準時計技術読本』という専門書です。 この時計技術叢書の原典は、アメリカのブローバ時計学校の教科書でありました。 時計修理技能士試験や、CMW試験を受験する時に隅から隅まで何回も読み、 自己の技能・理論の研鑽を積み上げる土台になった有り難い教科書でありました。

アメリカにも過去に於いて1945年、ニューヨークにブローバ時計学校が 設立されました。 正式の学校名は、『ジョセフ・ブローバ・スクール・オブ・ウォッチメイキング』であり、ブローバー時計会社の初代創立者の名前『ジョセフ・ブローバ』が つけられた訳です。

ジョセフ・ブローバ氏が、何故時計学校を設立したか?と言えば、 第二次世界大戦終了後、未来ある若人が傷痍退役軍人となり、身体障害者となって生きる術を一時的に見失い、人生に対して落胆している姿を見るに及び、 なんとか社会復帰させるべく思案して、手に技術をつけさせたら良いのでは ないかと思い、私設の時計学校を設立された訳です。

ブローバ時計学校の修業期間は2年間で、全寮制(食事付き)であり、 驚くべく事実は、授業費用等が全て無料であった、という事でした。 ブローバ時計学校の運営費用は、全てブローバ時計会社による利益還元により、 全て賄われていたのでした。 そういう事実があった事に、60年前のアメリカの経営者の人間性豊かな資質に、 賛嘆せざるをえません。

今から40年ほど前、ブローバ音叉腕時計の日本総代理店であった、 『一新時計』の社長西村隆之氏は、このブローバ社の社会事業にいたく感銘を 覚え、日本からも、身障者2名を米国ブローバ時計学校に留学させる事を 思いつき、それを実行されたのでした。

このブローバ時計会社はその後、世界中に門戸を開き、1000人以上の優秀な 時計技術者を卒業させたのです。 日本の時計会社、輸入時計商社の経営者もこの事実をしっかり把握して、 今後の時計技術者育成の為になんらかの努力をしていただければと 願っております。

●続・時計の小話   第11話   チュードル●

ロレックスのディフュージョンブランド(普及セカンドブランド)として有名な 腕時計がチュードルである事は、読者の皆様なら既にご存じの事だと思います。 残念ながら、チュードルの日本総輸入元代理店が存在しないので、 なかなか気に入ったチュードルを入手する事は難しい事だと思います。

チュードルも65年位の歴史があり、ロゴマークはデカバラ、タテバラ、小バラ、 盾と時代と共に変換・推移していきました。 現在のロゴマークの盾のイメージは、王冠をかぶったキングのような 人物に見えないこともありません。ロレックスのロゴマークがクラウン(王冠)のみの事を思えば、 チュードルはロゴマークでアンティーク等の色んな選択肢が楽しめると思います。

弊店にも時折チュードルの修理依頼が来ますが、現在ではETA社ムーブメントを ベースにしてロレックス社がレベルアップのチューイングを施しています。 ETA社はテンプの耐震装置にインカブロックを多く採用していますが、 チュードルではロレックスと同じようにニューKIFを採用しています。 その為にテンプ穴石・受石等を独自の物を使っています。

また、ETA社のムーブメントはヒゲ棒・ヒゲ受けを一体化した簡略のパーツを 使用していますが、チュードルでは旧来のヒゲ棒・ヒゲ受け方式を敢えて採用し 搭載しています。 緩急針調整も、ETA社が採用している簡単なネジ式ではなく、 スイス高級腕時計に見られるトリオビス・ファイン・アジャストメントを一部に 採用し、微細な日差調整が容易に出来るように仕上げています。

チュードルのクロノグラフは『クロノタイム』と呼ばれ、 文字板カラーは白・黒・紺・赤・黄等の沢山の色のバリエーションがあり、 選択するのに悩むほど多くのアイテムが揃っています。 さすがにロレックス社が監修しているだけあり、造りも見事で、 一点の隙もない仕上げを施しています。

チュードルのダイバーズラインには『ハイドロノート』、『サブマリーナ』 があり、ロレックスのエクスプローラーIシリーズによく似たアイテムに 『レンジャー』シリーズがあります。 その他、ロレックスのデイトジャストに匹敵するチュードルに 『プリンセスデイト』がありなかなか充実した品揃えになっています。

数年前ハワイに行ったときにショッピングセンター内の時計売場にチュードルが 200個以上所狭しと一杯並んでいたことがありました。 日本ではなかなか見られない光景でした。

●続・時計の小話 第12話 ヒゲ外端曲線とヒゲ棒間のヒゲ遊びについて●

小生が、オーバーホールの修理依頼を受けた腕時計の歩度調整する時に、 一番神経と時間を使う箇所があります。 以前にも、書きましたが、ヒゲ受け-ヒゲ棒間のヒゲ遊びの隙間量の調整と、 緩急針を45度動かしても停止状態の時、ヒゲ受け-ヒゲ棒間の間に、 ヒゲゼンマイが丁度真ん中に来るようにヒゲ外端曲線を修正することです。

また振動回転中にヒゲゼンマイが同心円状に伸縮運動するように ヒゲ外端曲線を修正する事です。 アンティークの高級腕時計は、ブレゲ巻き上げヒゲを採用している事が 多いのですが、この場合は、ヒゲ受けは無くヒゲ棒2本で緩急調整出来る様に なっています。

過去の小生の経験から言いますと、かつてのインターナショナルの 巻き上げヒゲのヒゲ棒遊びの量が、極めて少なく理想的ヒゲ外端曲線を 描いておりました。 当時のインターナショナル社の技術者のヒゲ調整能力は、 世界最高度のものであったと、推察しております。

平ヒゲの場合、普及品のタイプは、ヒゲ棒-ヒゲ受けですが、 高級腕時計となると2本のヒゲ棒とヒゲ受けを採用していました。 どのタイプもヒゲを、掴み挟むのではなく、ヒゲ受けとヒゲ棒の間のヒゲ遊びを 出来うる限り少なくする事により、 精度が一段と良くなり、等時性、姿勢差誤差も大変良くなるものなのです。 (前提条件として全巻きでテンプ振り角が300度前後ないとダメなのですが)

ヒゲ棒-ヒゲ受のヒゲ遊びが大きい場合、テンプ振り角が短弧の時、 両方に接触する時間が短くなり、『遅れ』の状態を引き起こし、 特に縦姿勢の場合、大きく歩度が乱れる原因を作ります。 ヒゲ棒遊びが少なければ少ない程、ヒゲ受け、ヒゲ棒に接触するのが強くなり、 接触する時間も長めになり、歩度の安定をもたらします。

余程、稚劣な、時計職人が弄ったものでなければ、ヒゲゼンマイの内端曲線は 壊れていないので、分解するまでにテンプ運動を何回となく見る事によって、 ヒゲ外端曲線を修正したりしています。 一番良い方法は輪列歯車・輪列地板を全て取り外してテンプ受けのみを取り付けて四方からテンプを眺めますとヒゲゼンマイの正確な調整が可能になります。

弊店の時計通信講座生にも、高級技術としてヒゲ外端曲線の修正、ヒゲ棒遊びの 極小化に取り組んで貰っていますがなかなか上手くはならないものです。

●続・時計の小話   第13話  角野常三先生について●

我が国の時計修理技術においては、多くの有名な先生方がおられますが、 その中でも、巨星の如く光芒を放つ忘れてはならない先生がおられます。 その方は、角野常三先生と言い、昭和29年、第一回CMW試験に 末和海先生と共に受験し合格された、時計技術者です。

私がこの業界に身を置いた時、角野先生は、既に昭和42年に亡くなられておられ、 一度もお会いする機会は無かったのですが、この業界人になった時から、 角野先生の偉大な業績や噂を良く耳にしておりました。 角野先生は、福井・敦賀市の蝋燭問屋の長男としてお生まれになりましたが、 思う事があり時計職人として大成する事を志し、京都、大阪へと修行を重ね、 若くして大阪・荻の茶屋にて、更正堂時計店を開業されたのです。

角野先生は、己の時計技術を磨き上げるにも大変な努力をされたのですが、 多くの内弟子を抱えて、時計技術の教育指導にも熱心に当たられたのです。 (多いときには16名の内弟子を抱えておられたそうです。 とても真似が出来る事ではありません。)

昭和32年の生野工業高校時計計器科設立にも尽力をつくされ、 同校の技術指導講師として、多くの学生の教育に生涯をかけられたのです。 また、昭和35年には、日本調時師協会(日本時計師会前身)の初代会長になり、 CMWの育成、CMW試験の実施等に多大な貢献をされたのです。 (晩年には大阪にカドノ時計学校を創立されたのでした。)

昭和40年初頭からの労働省時計修理工技能検定が、施行されるやいなや、 技能検定中央委員として活躍され、今日の技能検定の隆盛の礎を築かれた 先生でもあります。 日々のお仕事の傍ら全国各地に出張講義に出かけられ、先生の直の講義を受けた 時計職人は、数千人の数に上ると言われ、その献身的な教育指導の足跡に、 心を打たれます。

おそらくこのような先生は二度と現れないと思うのであります。 偉大な角野常三先生に引けを取らない大津市の行方二郎先生も時計技術指導・ 時計技術者養成に人生の大半をかけられ多くの優れた時計技術者を 輩出されたのです。 ごく最近、行方先生と久しぶりにお電話でお話をしましたが一時期身体の変調を きたしておられましたが今ではお元気になられましてホッとしているところです。

●続・時計の小話 第14話  コラムホイ−ル方式7750ムーブメント●

スイス製メカ式クロノグラフのムーブメントと言えば、ETA(バルジュー)7750が 有名で、おそらくスイス・クロノグラフ腕時計の90%以上は、 このムーブメントを搭載されていることは、読者の方はご存じだと思います。

このムーブメントがこれほどまでに圧倒的なシェアを独占出来た理由には、 修理調整がし易いのと、コストパフォーマンスに優れていて、安定した信用できる機械で汎用性が高いからでしょうか。 7750を基本として、派生的にいろんなムーブメントが誕生しています。

Cal.7751は、トリプルカレンダー・ムーンフェイズ機能を搭載し、
Cal.7753は、横目3カウンターのデイト機能付きで、リューズ操作は 二段階方式です。 カレンダーの早送りは、11時のプッシュボタンで操作するようになっています。
Cal.7754は、縦目3カウンター仕様で、GMT機能がついております。
Cal.7760は、7750の自動巻機構を取り外した、手巻きデイデイト・クロノグラフ ムーブメントです。
Cal.7765は、2カウンターの手巻きデイト付きクロノグラフムーブメントです。

上記の様にCal.7750からいろんなクロノグラフムーブメントが派生的に誕生して、スイスの多くの有名時計メーカーが、採用しています。 7750は、コラム(ピラー)ホイール方式ではなく、カム方式を採用している為に、オーバーホールや、修理調整が、し易いという最大の利点があったのですが、 時計愛好家には、コラムホイール方式の様な、 独特の動きが見えない為に、少し不満の残る点があったのです。

最近、その欠点とは言えない事ですが、7750のカム方式をピラーホイール方式に、 新しく変更設計されたムーブメントをラ・ジュー・ペレ社(旧ジャケ社)が 開発しました。 この新ムーブメントを採用して、エベラール社がピラーホイ−ル方式7750 クロノグラフ腕時計を、最近発売し出しました。 (エベラール エクストラフォルト コラムホイール ビックデイト  682,500円)

この機械は、カム方式よりも動作が少し滑らかに動く為に、 静かな人気が出てくるものと思います。 写真で見た限りでは、コラムホイール方式7750の方がカム式7750よりも、 若干見栄えが良い感じがしないこともないようです。 (但しコスト面で割高になるのは致し方ないでしょうね)

●続・時計の小話   第15話   喜ばしい朗報●

一昨日、弊店にとって、とても嬉しいニュースが飛び込んできました。 弊店の『時計技術通信講座』2003年度の生徒一人である静岡県K君が 「信州・匠の2級時計修理士」に合格したというメールが彼から来たことです。 今まで5年間に24人の生徒を教えてきましたが、 その中で東京都のK君と静岡県のK君が群を抜いて器用なので、 将来性が期待できると思いその後、逐次教えてきました。

その甲斐あって、この度、愛弟子のK君が見事合格した事は、 私にとっても久しぶりに大変嬉しい出来事でした。 昨晩、彼と久しぶりに電話で話をしたのですが、 勤務後も夜遅くまで実技の訓練に没頭したとの事で、 その努力が実って、今回の資格取得と言う快挙をなし得たものと思います。 (彼は昔の時計技術専門書を10万円以上の大金をはたいてオークションで 落とした事を知り、彼の熱意が本物であると思いました。 さらに腕を磨いてもらって、将来は弊店の高級腕時計修理を 一部してもらいたいと思っております。)

彼と電話をしている内に、小生の若い時の事が、走馬燈のように 目まぐるしく頭の中に浮かんで来ました。 若い時は気力も体力も十分にあり、目標を設定したなら一直線に突き進めるという脇目もふらない熱い情熱があります。

時計学校に入校して2〜3年間、教えを請うという恵まれた選択肢もありますが、 K君のように、小生から基本を4回教わっただけで、後は自力で勉学に励み、 資格を取る事が出来るという道もあるという証明でもあります。

小生もCMW受験にあたり、加藤日出男先生から3〜4回に渡り熱心に旋盤技術を ご教授をして頂き、その基本技術の教えを忠実に遵守して、更に専門書で 理論武装をして、わずか1年間の集中した勉強のお陰で 、 CMW資格を取得出来ました。

世の中には時計学校に行けない逆境の時計職人の卵の人達も、沢山おられると 思いますがK君のように基本をマスターして独学で時計技術の腕を伸ばせる事が 可能だと知って貰いたいです。

●続・時計の小話   第16話   セイコーCal.8346A

埼玉県のS市H様の修理ご依頼の セイコーマチック-R 、Cal.8346A、 27石 、5振動 新品時メーカー精度等級C (日差-15〜+25秒)1967年諏訪セイコー製は、薄型の自動巻でロー・ビートですが、なかなかの良いムーブメントでこの度、よく見ることにより改めて感動いたしました。(5振動はゆったりテンプ振動しますので懐古調で温かい雰囲気を持った機械と言えます)

1965年製セイコー・マチック・ウィークデイター(Cal.8306)から派生的に誕生したのが Cal.8346A でした。このムーブメントは、小生は今まで何十回と数え切れない程、オーバーホール・修理調整してきた記憶があります。 セイコー社が作ったムーブメントなら、この位の仕上がりの時計は当然であるといつも考えていましたので、このキャリバーの時計を修理するにあたっては、極端な言い方かもしれませんが、なんらビックリする様な事は無かったのです。

しかし最近、オリエントが自信を持って世に送り出した、フラグシップ腕時計『ロイヤル・オリエント』に搭載されている、Cal.88700(静的精 度-4〜+6秒、28800振動)を良く観察してみると、どこかしら、Cal.8346Aと似ている雰囲気を持った機械であることがわかりました。(当然、8振動ですからテンプはせっかちな動きをしますが)

オリエント時計は、今ではセイコー・エプソングループに所属しているとも言える会社なので、オリエント時計の時計設計技術者が、かつての諏訪セイコーのムーブメントを参考にしたのではないか?と思われても仕方がないかも知れません。

ロイヤルオリエントが35万円前後する事を思えば、40年前のセイコーCal.8346A も再評価され、機械時計愛好家に近い将来人気が出てくるのではないのか?と伺いしれます。同時期に第二精工舎が製造した手巻Cal.45系が、既にアン ティークの手巻き名機として位置づけられている事を思えば、ロー・ビートの代表的な名機として諏訪セイコー社製Cal.83系が、必ずや評価が高まってい くものと推察しております。

スイスの各時計メーカーは、ここ数年マニュファクチュール化する事にどこも目の色を変えて一生懸命なのですが、国産のセイコーや、オリエントは言わ ずと知れた完全マニュファクチュールの時計会社なので、今後、どしどし新しいムーブメントを開発してくるのではないかと思われます。

●続・時計の小話   第17話  時計技術試験●

2003年度、弊店の時計技術通信講座卒業生、K君が、長野県の『信州・匠の2級時計修理士』の資格を取得した事は、快挙と言わざるをえません。

試験課題の要求精度は、日差+-10秒以内で、最大姿勢差が20秒というものでした。信州・匠の2級時計修理士試験を統括するT氏に今春お会いした 時に聞いた事ですが、日差の精度を実測して判定するのではなく、歩度検定器でゼンマイ全巻きから、コハゼの爪を4〜5個戻したほぼ全巻きの状態で精度を測 定するとの事で、その点に関しては疑問に思われ今後、精度は実測にて判定して頂けたら、と思っております。

昭和45年に、小生は国家検定2級時計修理技能士試験を、近江時計学校で受験致しました。その時、滋賀県の時計店の息子達と一緒に、近江時計学校に 在学していた、2年生終了間際の三十数名の生徒たちも一緒に受験しました。総数で50人ほどの人数が受験したのですが、合格したのは、10数名のみでした。

生野工業高校時計計器科の入学生は延べ1920名にものぼり、3年間著名な時計師の教えと薫陶を受け、多くの卒業生が、CMW試験に挑戦しましたが、 合格者は、29年間でわずか22名のみでした。 現在、日本に存在する時計学校は、『近江時計学校』、『ヒコみずの』、『東京ウオッチテクニカム』の3校がありますが、その学校の卒業生の方も修了 証に留まるだけではなく、技術試験資格取得に向かってさらに時計技術の腕前を上げて頂きたいと願っています。

技術資格試験に合格して、初めて社会的に技量 が一人前と認められ、将棋の世界で言うと4段になったものと思います。 昭和41年度に我が国で初めて一級時計修理工競技試験が行われた時、この試験が将来に渡って継続する事を念頭において、試験内容を誰もが受験しやす くする為に、若干易しくしてありました。当時の日差の要求精度は-10〜+20秒で、最大姿勢差も20秒以内でした。

日差の測定は実測にて写真判定されていた、と聞き及んでおります。 信州・匠の2級時計修理士試験が、40年前の一級時計修理工とほぼ同等の内容であったのではないかと思われます。(天真入れ替え作業、ヒゲ合わせ作 業、ヤスリ作業があったので若干、一級時計修理工競技試験の方が難しかったかもしれませんが)その事を思うとK君の努力は大変なものであったと思わざるを 得ません。

●続・時計の小話   第18話  中国製腕時計●

日本ブランドのケンテックス社が、手巻きのトゥールビヨン腕時計を怒濤の価格、650,000円(10本)と、パワーリザーブ・カレンダー付きのタイプ、750,000円(25本)の2機種を発売しました。

このムーブメントは、中国製シーガル社Cal.TY801を搭載しています。ケースのサイドには、スイス高級腕時計ブレゲでおなじみのコインエッジが精密に施され、文字板には、ギョッシュ彫りが綺麗に施されていて、低価格にも関わらず、高級感漂う顔になっています。

スイス時計メーカーで良心的な価格で有名なエポス社のトゥールビヨンでさえも399万円もしますので、このケンテックス・トゥールビヨンが直ぐに完売したのも頷けます。 トゥールビヨンと言えば、超高額コンプリケーションの一つで、スイスの代表的な高級腕時計メーカーが、1000万円を超える価格で発売しています。

日本でも東京を中心として高額所得者の方に、各ブランドのトゥールビヨンが年間数本づつ売れている、という事を弊店取引先の輸入業者から聞いた事がありま す。小生も大阪の取引先で、F社のトゥールビヨンを拝見させてもらいましたが、この時計が何故1000万円もするのか?不思議でたまりませんでした。

弊店でも、輸入商社(株)セベと取引をして、特価品として、中国製ムーブメントを搭載した、テクノス腕時計を販売しております。ビッグデイト、パ ワーリザーブ、ムーンフェイズ機能が付いた自動巻で19,000円、レギュレーター、24時針機能が付いた自動巻で19,000円という考えられない低価 格です。 当然この低価格ですから、精度の面、地板の仕上げ、ガンギ車の表面研磨、各ネジの仕上げ、ヒゲの外端曲線、ヒゲ棒アガキ調整等はまだまだ十分とは言 い難いのですが、今後5年10年と、中国の時計会社が技術力に磨きをかけて力をつければ、侮りがたい時計勢力になるのではないか?と危惧しております。 スイス各時計メーカーや、日本の時計メーカーは中国産時計はおそらく眼中に無く、全く敵愾心を持っているとは、思われませんが、エレクトロニクス産 業や金床産業が、日本の技術に追いつき、追い越せるほどの力を付けてきた現在を見るにあたり、決して安穏とはしておられないのではないか?と思っていま す。 この中国産トゥールビヨンを近い内に、弊店も一個購入して分解してどの様な仕上げや造りをしているのか?詳しく調べてみたい、と思っています。ここ まで、力をつけてきた中国時計メーカーなのですから、恐らく近い内に、メカ式の永久カレンダー、スプリットセコンドクロノグラフ、ニミッツリピーター、等 を低価格で開発してくるに違い無い、と思っています。日本を代表するセイコー社もうかうかしていられないのではないでしょうか?

●続・時計の小話   第19話  現行グランドセイコーの修理●

先日、現行品のグランドセイコーCal.9S55A 26石のオーバーホールを 初めてしました。 ((http://www.isozaki-tokei.com/syuri-seiko.htm

このCal.9S55Aの機械がGSに搭載され1998年発売されていらい、関心を持ち続けていましたので、胸を時めかしてこの機会に、十分吟味して 分解掃除調整を致しました。 GSの自動巻の機械は、Cal.61系、Cal.56系に続いて、 このCal.9S55Aが歴代3代目にあたります。 セイコー全盛時代の過去のGSの自動巻は諏訪精工舎(現セイコーエプソン) が全て製作したものですが、今回のこのムーブメントは セイコー・インスツル(旧第二精工舎)が製作したものです。

第二精工舎、と言えばGSの名機と言われるCal.44系と、Cal.45系の手巻きのGSを製造してきました。 今回、初めて自動巻のGSのムーブメントをセイコー・インスツルが担当し造った事になります。(婦人用の手巻きのGSも旧第二精工舎・セイコー電子工業が製作したものでした)自動巻機構はCal.61系と同じく効率の良いマジックレバー爪方式を 採用しておりました。

Cal.9S55Aの自動巻ローターを取り外す(3個の窪みに工具を差し込んで 緩めて外す方法です)には専用の工具が必要ですので、一般の時計店ではGSを修理をするのはなかなか難しいのではないかと思います。 メーカーは一切、時計店にこのGS用工具を供給しないので、この専用の工具を 別作するにも至難のワザが必要になると思います。

分解しながら、思った事は、さすがに、セイコー社が全力を挙げて造ったフラグシップのメカ式時計であると痛感した次第です。 とても現時点では、中国の時計メーカーが力を付けてきていると言えども、 全く足下にも及ばない美しい仕上がり、丹精を込めた造りになっていたことです。

ただ、私の感性から言いますと長年過去のGSに親しんできたからでしょうか、 諏訪精工舎が製造したGSの自動巻の方が部品数が極めて少なく 設計されていてパーツ類も大きめなので、アフターケアが容易であるとの感じを 持ちました。

現行のGSは、テンプも過去のGSよりもかなり小型化しており、 慣性モーメントの点から言っても精度の正確さ、安定度の点で 若干劣るのではないか?という気がしないでもありません。 (現行GSの携帯精度は日差-1〜+10秒とセイコーの仕様書に明記されています。)

また、ヒゲ棒アガキ調整レバーが過去のCal.45系の様なしっかりした造りではなく、少しの衝撃でレバーが動いて、 歩度が狂うのではないか?という懸念が無きにしもあらずです。 欲を言えば2秒単位くらいで微細精度調整できるトリオビス・ファイン・ アジャストメントのような緩急針か、テン輪にミーンタイムスクリュー、 マイクロステラ(ロレックスやJL社が採用)のようなものを 取り付けて欲しかったと思います。

ムーブエメント直径の1/3(28,4mm厚さ5,3mm)近くが、全く使われていない状態なので、今後その空間を利用して、派生的になんらかの機能が付いた 時計が出てくるのではないか?と推察していますがどうでしょうか?

久しぶりに興味と、興奮を持って修理作業が出来た現行GSの修理作業でした。 弊店も今まで、この9S55Aを内蔵したGSをそれなりに販売して参りましたので、 今後の修理作業が、大変楽しみになりました。

●続・時計の小話   第20話   小さなネジ●

先日、山形県のH様から修理依頼のアンティーク・キングセイコー手巻き (Cal,44 25石1963年第二精工舎製)のオーバーホールを致しました。 気分のすぐれない時や、時計修理を何となくしたくない時などは、小生はそういう時、何を置いても、セイコー社の修理をするようにしています。根っから、セイコー社の腕時計が好きなので、気分のすぐれない時に、セイコーのムーブメントを見ていると心がなんとなく落ち着き、 修理をしたくない気分も飛んでしまい、やる気が出てくるから、不思議なものです。

Hさんからは、約40年程前の初期の頃のキングセイコーで、お話によると Hさんのお祖父様とお父様が愛用されていた、との事でした。 約40年前の腕時計なので受け取った時、かなり全体の雰囲気が くたびれていましたが、風防を取替、ケースを磨きましたら見違えるほど、綺麗になり、ほっとしました。

セイコーですから当然機械の方もすこぶる元気になり精度も出るようになりました。 SSの方のキングセイコーは予定通り時間内に修理完了しましたが、 金メッキの方は、分解する時に三番車が上下にガタガタしており、 ホゾが折れているのではないか?と、思いました。 過去に初代GSの3番車の下ホゾ入れをしたことがあり、このKSの3番車も もはや入手出来ないものであり、少しやっかいな作業になる、 と思いながら分解しました。

分解し終わって日ノ裏側を見てみましたら、3番車の下ホゾの受け石板止めネジが、折れこんでいて、受け石板が外れている状態でした。 (当時は輪列受石をダイヤショックバネで留めているのではなく懐中時計のように オーバル型の板に受石が埋め込められていてネジで留めるやり方でした。) この受け石板を止める専用ネジも、今ではほとんど見られない、T字型のテーパーがついた非常に小さいネジなので、手持ちのネジでは 全く合わず、一番よく似たネジをダイスで少し削ってなんとか合わせました。

わずかな1mmにも満たない小さなネジ一個(ヒゲ持ちネジ程小さくはないのですが)が外れただけで、穴石とホゾの遊びが大きくなり、片方のホゾが穴石から外れて 歯車とカナの噛み合いが深くなり、止まった原因と思われます。

たまたまホゾが折れなかったのが、不幸中の幸いと、言えるかもしれません。 それにしてもほんの僅かな小さいネジ一個不良で時計は正常に作動しないとは 如何に時計が繊細な機械であるか解っていただけたでしょうか?

40年近くも時計使ってきますと、真鍮の歯と噛み合う歯車のスティールのカナが 摩耗している時がよく見受けられます。 なかなか、昔のものになると新品の輪列歯車等は入手出来ないので、 歯車の上下穴石を移動させて、摩耗していないカナと真鍮の歯を 噛み合わせるよう、修理調整する場合もあります。 この場合も少し面倒な修理作業になります。
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