マイスター公認高級時計師(CMW)がいる高度な技術のお店
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国際時計通信『水晶腕時計の興亡』
時計の小話
続・時計の小話
121話〜140話

●続・時計の小話 第101話(ETA社代替えムーブメント製造会社)●

スイス時計業界の死活問題とも言える、ETA2010年問題が間近に迫ろうと しています。

(ETA2010年問題とは、2011年からスウォッチグループのムーブメント 供給会社・ETA社がスウォッチグループ以外の時計会社にムーブメントの エボーシュ・パーツを供給しない、という事です。)

スイス時計業界の大変革をもたらすであろうETA2010年問題に,社運をかけて 大きく発展させようと意気こんでいる、ETA社代替えムーブメント製作会社に 2社『セリタ社』と『テクノタイム社』があります。 (セイコー・インスツル社もビッグビジネスチャンスにETA社Cal.2892A2代替え ムーブメントCal.4Lを既に開発しています。)

ロレックス社や、ジャガールクルト社の様な完全マニュファクチュール社では 全く影響がないのですが、ETA社からムーブメント・パーツを仕入れて自社製品を 生産している、スイスの圧倒的大多数の時計メーカーにとっては生き残りを かけて大きな選択をしなければなりません。

自社で新規にオリジナル・ムーブメントを開発するか(大量の資金が必要)、 あるいは新たに『セリタ社』『テクノタイム社』からムーブメントを仕入れて 生産するか、あるいはETA社から完成ムーブメントを仕入れて生産し、 販売価格を以前よりも高く設定せざるをえない道を選ぶのか、 選択肢の決断を迫られています。

巨大なETA社に立ち向かって、ここ4,5年大成長を遂げている、ETA社代替え ムーブメント製作会社セリタ社が注目されています。既に特許が切れた為に、ETA・Cal.2824には、セリタ・SW200を開発し、 ETA・Cal.2892A2には、セリタ・SW300を開発し、 ETA・Cal.2836には、セリタ・SW220、ETA・Cal.2834には、セリタ・SW240、 レディス用ETA社ムーブメントには、セリタ・SW100を既に開発して、 有名スイス時計メーカーに逐次納入しています。

その勢いはスイス機械式ムーブメントの30%を占める勢いだそうです。 今後更に伸びていくものと思われます。 (何故ならムーブ開発費用が余りかかっていないセリタ社のムーブは ETA社ムーブメントよりも安いであろうと思われるからです。 同価格程度ならETA社ムーブメントを選択するに決まっているからです)

2,3年前、スイス機械式腕時計が、爆発的に世界中で売れた時、 日本の輸入代理店Y社から人気のあるスイス時計O社の時計が弊店でもなかなか 入手しづらい時期がありました。 恐らく、ETA社からのエボーシュの仕入れが順調に運ばなかった為に生産が遅れ、 遅れになったのではないか、との情報をY社から貰っておりました。

最近では、O社の腕時計のムーブメントにはセリタ社のムーブメントが一部採用 される様になり、O社の腕時計も日本では容易く入手出来る様になりました。 ユーザーの方にとっては朗報ですが、ETA社ムーブメント内蔵でないO社の腕時計 を購入されるのを躊躇っておられる方がおられるかもしれません。 次回にはセリタ社についてお話をしたいと思っております。

●続・時計の小話 第102話(ETA社代替えムーブメント製造会社 その2)●

スイス有名時計メーカーのクロノグラフのムーブメントに採用されている、 ETA7750に代替出来るムーブメントとして『セリタ社』が既にSW.500を開発している事は、 時計業界に携わる人は承知の事実です。

ETA7750という優れた、安定した精度や操作機能を保持する機械に匹敵する 代替ムーブを開発したセリタ社の実力は相当なものと思わざるをえません。 セリタ社と言えば、読者の人はあまりご存じで無いのかもしれませんが、 創業60年近くを経た歴史のある時計エボーシュメーカーです。

ETA・2010年問題に絡んで、恐らく他のいろいろなスイス時計メーカーから ETA社代替ムーブメントを生産して欲しい、という要求が『セリタ社』にあり、 ムーブメント設計の特許問題も解決されている為に、 思い切ってETA社代替ムーブの生産に乗り出したものと思われます。

ほぼ完璧に近い領域までに類似品と言っては語弊があるかもしれませんが、 ETA社代替ムーブメントを開発したセリタ社は、アンチETA社グループの 各スイス時計メーカーから、温かい眼差しで迎え入れられるに違いありません。 それにしてもここまで完成されたETA社代替ムーブメントを、製作出来るセリタ社には、 自ら独自のオリジナルのムーブメントを新規に開発して欲しいと、思わざるをえません。

それが出来る実力が備わった時計製造メーカーだと思うからです。 今後、セリタ社のETA社代替ムーブメントの評価が大きく正確に認定されるのは、 これから5年から10年を経てからでしょうか。 オーバーホールを一、二回過ぎ去った後に真の意味での正しい評価が出てくるものだと思います。

ETA2010年問題に絡んで、スイスの有名ブランド・時計メーカーもマニュファクチュール化に競って乗り出し、 カルティエなども自社のムーブメントを次から次へと発表しています。 これからもこの傾向はますます強まり、1960年代以前の個性のあるムーブメントが沢山 世に輩出されるものと思われ、ますます期待が大きくはらんでいきそうです。 時計ユーザーの方々には選択肢が増えて良い傾向かも知れません。

●続・時計の小話 第103話( アンティークΩ婦人用腕時計のOH )●

富山県のT市のSご夫妻が弊店にご来店下さり、奥様のお母様の愛用されておられた オメガ婦人用手巻き腕時計のオーバーホールの修理ご依頼を受けました。

この腕時計はCal.484 17石(機械落径15.520mm 機械幅12.50mm 機械厚さ3.60mm 振動数19,800)の 1964年製造された今から45年前の腕時計でした。

当時の価格はおおよそ、5万円前後で販売されていたものと思われ、 当時としては、かなりの高級腕時計であったと推測されます。 (その頃の大卒初任給は3万円前後であった時代です。)

地板等は金メッキが綺麗に施され、まさしく美的感覚に優れたムーブメントで湿気、錆等に対しても 充分に保護されている設計でした。 既に、移動ヒゲ持ち装置が装備され、ヒゲ玉を回す事無く、片振り修正が迅速に容易に出来る様に設計されていました。

調速機構においては、緩急針に2ピースタイプを採用していて、2本のヒゲ棒の間にヒゲゼンマイを通し、 極細幅の両当たり調整を見事に成し遂げていました。 その頃のインターナショナルや、オメガは、2本のヒゲ棒を持ったヒゲ受けを採用し、 ヒゲゼンマイ外端曲線を完璧な程にまで調整して、見事な極細幅の両当たりにしていました。

その事により等時性に優れた高精度が保証されていました。 現在のメカ式腕時計では、とてもかなわないヒゲ調整をしていて、45年前の時計メーカーの技術者のレベルの高さが伺い知れます。 時計技能者の技術教育を徹底的にしていた賜物ではないかと思われます。

オメガ婦人用手巻きCal.484は、 1955年に最初にCal.480が開発・発売され、その当時はテンプはチラネジ方式を採用していました。 1957年に改良発売されたCal.482から、テンプは丸テンプ方式に変わり、 1969年発売されたCal.485まで改良発展し、その後クォーツの出現になり、消え去る運命を辿りました。

今後メカ式婦人用手巻き腕時計がどのメーカーから製作・発表されても、オメガCal.484に優るムーブメントは 出現しないのではないか、と断言しても差し支えない、と思います。 それ程までに小さいながらも頂上を極めたムーブメントでした。 その他にオメガ社には婦人用メカ式にCal.620 Cal.690 Cal.640 Cal.730の非常に優れたムーブメントが 過去に存在して光芒を放っていました。

●続・時計の小話 第104話(難しい時代の到来)●

先日、来店された国産大手時計メーカーの営業マンのお話によると、名古屋支店 が管轄している中部地区7県で取引先の時計小売店が約1200店あるそうです。 (そんなに時計店があるように思われるかも知れませんが1,800万人が中部地方にお られるわけですから15,000人に一軒の時計店しかない事になります。 40年程前は5,000人に1軒の時計店が成り立つと言われておりました。)

1200店の内、年間取引金額が0円の店が約200店舗もあるそうです。 また年間取引金額0円〜50,000円未満の店が200店舗、 年間取引金額50,000円〜200,000円未満の店が300店舗あり、 残りの500店舗が年間取引金額200,000円以上との事でした。

昨年の米国発信のサブプライム住宅ローン原因の恐慌により、世界金融不安が 発生し、世界同時不景気に突入した昨秋以来、国産時計メーカーの営業マンの お話では、全国で時計小売店の閉店・廃業・破産がすこぶる頻繁に 起きているそうです。

小生の店がある、白山市の商店街の老舗の時計店も昨年12月、 都合により閉店されました。 時計小売店に限らず、地方の商店街にある小売店舗は今後益々、苦境に 立たされ、閉店への瀬戸際に立たされていくのではないか、という危惧を 各業界の小売店主は皆が持っていると思います。

年間、20万円以上の取引がある時計小売店は、今後生き残れる可能性が 少しはあると思って国産時計メーカーは、新製品の情報等を発信し 連絡しているそうです。 しかし年間取引額20万円と言えば、月にすれば2万円弱になり、メーカーから 存続すると見られていても中部地方に限らず全国の時計小売店はほとんど 家族経営の零細店と言わざるをえませんし絶えず苦況に立たされている と言っても過言ではありません。

小生が時計通信教育講座を数年に渡りしてきたのも、時計技術を習得して、 時計職人として一本立ちしてもらい、小さいながらも店を構えて欲しい、 という希望があったからに他なりません。 若い人達が時計業界に入って来なければこの業界は衰退あるのみで活性化は 見込めないものになってしまうと思ったからです。

しかし、この様な時計メーカーから情報をもらうにつれ、 これからの未来ある若い人達が時計店を経営したい、という事は 至難な事となっている事実に思い知らされました。 小生は地方の街の時計店の息子として生まれましたが次男でしたので、将来 は自分の店を小さいながらも持ちたいという強い願望を若い頃から持っていて、 サラリーマン時代から開店資金を貯めてきました。

そして約10年かかって開店資金を作り33才の時に10坪の小さい店を持ちました。 それから約30年間が過ぎましたが紆余曲折の困難が幾度と無く訪れましたが、 歯を食いしばって店を継続させてきました。

頑張れば夢を実現できるという良い時代に幸いにも生きられたからかも 知れません。 それに引き替え現在の少なくない若人達は人材派遣業に登録し、派遣社員 又は期間工として働かざるを得ないという不安定な雇用条件の下に曝されています。

現代では非正規労働者の方々が年々増え続け30%を占める事実にも驚かされます。 (若い20代の青年達の50%が非正規労働者と聞いて唖然としてしまいました。 日本の今までの政府・行政は何をしているのか怒りさえ覚えます。 少子高齢化が叫ばれていますが人生設計に目処が立たない若い非正規労働者の 人達が結婚をし家庭を作り子供をもうけることなど不可能に近いと言えます)

派遣の自由化を標榜し雇用の調整弁として機能させてきた 「労働者派遣法改正・1996〜2004」を徹底的に見直し、若い人達が将来に夢が描ける 社会・派遣法に改善修正するべきではないかと思います。

新しく政権を担っている民主党の政治家の人や経団連の人々は景気回復・経済発展・会社成長を 第一目標に考えるも大いに結構なことですが労働者派遣法も一から見直し、雇用の継続を 最重要課題として、またそれが出来ないのなら欧米諸国が構築している痛みを分かち合える セーフティネット社会を早急に作らなければならないと思います。

人間にとって「時・時間」は何物にも変えられない貴重なものなのです。 人々が心の豊かな「時・時間」を夢と共に共有出来る社会が実現できるよう 政治家・政府・経団連・行政の人は汗を必死にかきながら深く突っ込んで 考えて行動して欲しいと願っています。

●続・時計の小話 第105話(白蝶貝文字盤について)●

先日、CSのテレビ番組を観ていましたら、東急池上線にある石川台という町に ワイケイ・プレジィジョン(Y.K.P)という会社がある事を紹介されていました。

その会社は賀来勝彦氏が代表で、従業員総数6名という小じんまりとした 小企業でしたが、時計業界では、あるパーツの面では、世界的に有名であると紹 介されていました。

従業員総数6名という会社が、激しいグローバル化された競争社会の中で生き延 びていくには、何かに特化していかなくては生き残れないと思います。ワイケイ ・プレジィジョンが何に特化しているのかは、腕時計の文字盤の素材に他社では真似 の出来ない加工技術を持っているからに他ありません。

南太平洋で、産出される高級白蝶貝を集め、その中から色合いの良いものをさらに選び出して、 文字盤として使用される様に0.1mmの厚さまで切断し薄く綺麗に磨きあげる技術をワイケイ ・プレジィジョンが持っているのです。

メインユーザーとして、ロレックス、オメガ、セイコークレドール等の高級機種 にワイケイ・プレジィジョンが製作した白蝶貝の文字盤が採用されているという 事です。すごい事だと思います。

オーバーホール時に白蝶貝文字盤から針、長短秒針等の針を抜く時には、今まで白蝶貝文字盤 をキズつけたり、亀裂・ヒビをさせてしまった事は今まで一度もありませんが、 ピアジェ等の宝飾腕時計メーカーは文字盤にヒビが入りやすいオニキス石や、孔 雀石を採用している場合があり、その時は剣を抜く時には最大限の注意を払って 作業をします。

私の知人の時計職人がかつてオニキス石の文字板から剣を抜く時、オニキス石を 割ってしまった事を聞き及んでいましたので、 そういう時計の修理依頼の時は細心の注意を払ってしています。

●続・時計の小話 第106話(ウブロ腕時計)●

日本女子サッカーチームの監督といえば、佐々木則夫氏であることは、誰もが周知の事だと思います。2012年の1月9日、スイスのチューリッヒで2011年度のFIFA 年間表彰式が挙行されました。嬉しいことに、FIFA女子最優秀監督賞に、日本の佐々木則夫氏 が圧倒的な得票率45.57%で、選ばれました。

ちなみに2位は、得票率13.8%のピア・スンドハーゲ氏でした。 他の国の監督を圧倒する支持で選ばれた理由は、勿論2011年6月のFIFA女子ワー ルドカップで優勝したからに他有りません。

決勝では対戦して一度も、勝利したことの無い強豪アメリカにプレッシャーをも のともせず、勝利を勝ち得た事が昨日の事の様に思い出されて、今だにその喜び に余韻に浸れる事が出来ます。 この日本女子サッカーチームの快挙のおかげで、東日本大震災で打ちひしがれた 日本国民の皆さんに対してどれだけの大きな勇気と希望と夢を与えたか、想像を絶するものでした。

あの時、涙を流しテレビに釘付けになった人は多くおられる と思います。 中国で行なわれた、ロンドンオリンピック・アジア予選でも4勝1分で1位で出場 権を獲得しました。佐々木監督のチームへの指導力、統率力に対して大きな評価 がされ、年間最優秀監督賞に選ばれたのも当然の帰結と思われます。

佐々木則夫氏は、それまで国産の腕時計を愛用されていたそうです。 ユーモアがあって、和を尊しとする佐々木氏に、国産の腕時計がお似合いだと思 いますがFIFAから豪華な副賞が授与されました。

その腕時計は世界のセレブ人達から最近目覚しい人気を勝ち得ている、スイス・ ウブロ腕時計で、『ウブロ・クラシック・ヒュージョン・ジルコニウムセラミッ ク』が佐々木氏に与えられました。佐々木氏はこの授与されたウブロをとても気 に入っているそうです。裏ブタには記念の刻印が刻まれていました。

また、2011年度世界年間女子最優秀選手には、日本の澤穂希氏が選ばれ、彼女に も『ウブロ・ビッグバン・オールホワイトダイヤモンド』が副賞として授与され ました。 小生もスイス・ウブロの控えめながら、落ち着きがあって存在感があり押し出し のあるウブロのデザインが好きです。タレントの、みのもんた氏もウブロ腕時計 を腕にはめてテレビ番組によく出ておられるのをお見受けします。またプロゴル ファーの矢野東氏もウブロ腕時計を愛用しているそうです。 今後、日本でも確固たる地位を築いていくに違いないスイス時計メーカーの一つでしょう。

●続・時計の小話  第107話(ラ・ジュー・ペレ社)●

セイコーと並び称される日本の時計メーカー・シチズン社が、2008年10月にアメ リカの時計メーカーのブローバー社を2億5000万ドルで買収した事は、当時とし ては、この業界に大きなインパクトを与えました。 ブローバー社は1960年に音叉腕時計・ブローバーアキュトロンを開発・発売した 事で、有名で世界中で4000万個を販売した当時としては世界有数の時計メーカー でした。

ブローバー社と技術提携してシチズン社は自社ブランド『ハイソニック』という 音叉腕時計を発売した経緯があり、密接な関係をブローバー社と保っていた為に 買収が巧く運んだのではないか?と思います。 ブローバー社は音叉時計に固執しすぎた為に水晶腕時計クォーツを開発する事に 遅れを取り、会社の業績が急速に悪化してシチズン社に買収されてしまったもの と推察ます。

そのシチズン社が2012年今年4月にプロサー社を50億円で買収したという報道が 新聞でされていました。プロサー社と言っても、読者の方には耳慣れない名前か もしれませんが、そのプロサー社の小会社に有名な会社が二つ含まれています。 一つはプロテクト社で、もう一つが有名なラ・ジュー・ペレ社(旧ジャッケ・SA)です。 ラ・ジュー・ペレ社は、1985年創業で名機ヴィーナス175復活させて、見事な復 刻版(Cal.LJP4440)を出しました。また完全な自社生産のスピリットセコンド・ クロノグラフムーブメント Cal.LJP861も開発に成功しています。

ラ・ジュー・ペレ社ムーブメントで、特に有名なのは、Cal.LJP7361の角型の機械で多くの時計メーカーが採用して、販売しています。弊店取り扱いのエポスに もこのムーブメントを搭載した、腕時計販売していましたが、入荷してすぐに売 り切れてしまった記憶があります。

他のムーブメントには手巻きの小型クロノグラフムーブメントCal.LJP5000、ア ・シールド社のアラーム・ムーブメントを発展させて製作したアラーム・ムーブメント Cal.LJP5800も生産しています。これらのムーブメントはスイス高級腕時計会社 『グラハム時計会社』『コンコルド時計会社』等多々に渡って供給しています。 またトゥールビョンも既に開発済みになっています。

シチズン社は、本当に言葉は悪いですが、安い買い物をしたと思っています。 シチズン社がスイスのムーブメント生産会社・マニュファクチュールを獲得した 訳は、高級機械腕時計の分野で、大きくスイス時計会社、国産のセイコー社に水をあけられているせいと推察します。 セイコーには高級機械式腕時計グランドセイコーが存在しているにも関わらず、 シチズン社の高級機械式腕時計ザ・シチズンは種類も少なく知名度も薄く販売数 量もGSと比較してかなり少ないものと思われ、将来的にラ・ジュー・ペレ社のムー ブメントを搭載した、シチズンブランド、ブローバブランドの機械式腕時計を発売していく 意図が見え隠れ致します。

その時期に来ればセイコー社の機械式腕時計は大きなダメージを受けるものと想 像出来ます。一番の危惧する点は、ソニーがバブル時期にアメリカ映画会社MGM (コロンビア・ピクチャーズエンターテイメント)を買収し、松下電器がアメリカ映画会社 MCA(ユニバーサル・ピクチャーズ)を数千億円という高額で買収したにも関わら ず、わずか数年で撤退せざるをえないところに追い込まれて買収が失敗に終わっ たことです。

当時『日本がアメリカの魂を買った』と揶揄され、批判された事が 思い出されます。 果たして東洋人の日本人がプライドの高いスイス人のムーブメントメーカーを巧 く経営し操れるか?その手腕がシチズン経営陣にあるのかどうかです。 非常に魅力的な買収なのでシチズン社が巧くラ・ジュー・ペレ社を自社の小会社に 組み込んで行き立派に成長させていって欲しいと願って止みません。

●続・時計の小話  第108話(シチズン社の最近の目を見張る動向)●

シチズンホールディングスの戸倉敏夫社長が、3年以内にスイスの高級腕時計ブランドの買収をする方針を記者の前で 明言されました。 スイス高級腕時計ブランドの買収は、富裕層が著しく増加している中国市場で スイスのロレックスに代表される有名高級ブランドに対抗して、 自社所有の高級機械式腕時計ブランドを持って拡販するために打って出る意思の表れと思われます。

ここ数年、中国市場でのスイス高級機械式腕時計の販売額の増加は右肩上がりのすさまじい勢いで伸びています。 よって中国人の嗜好に見合った腕時計の開発もスイス各時計メーカーは踏み込んできています。 シチズン社はこの魅力あるチャンスを傍観しているのに耐えられなくなった為でしょうか、 スイス高級腕時計ブランドを買収するという思い切った決断をしたものと推察します。 買収金額は数十億円〜数百億円を見込んでおられるそうです。

中国市場で人気のスイスブランド三本柱はロレックスとオメガ、ロンジンです。 日本ではロンジンはIWC、ブライトリング、タグホイヤーの後塵に拝していますが、 中国市場では、現在ロンジンは人気沸騰中との事です。 価格が良心的な適正価格の設定もあるでしょうが、中国で人気のある有名俳優を宣伝に使っているとの事で、 それが大きくイメージアップに繋がったのでしょうか。

前回に書きましたがシチズンはスイス・プロサー社を買収し子会社のムーブメントメーカー『ラ・ジュー・ペレ』を 傘下に収めたばかりなのに、また新しい手を打った事に驚かされます。 恐らく将来的に中国時計市場がアメリカに匹敵するほどの大きなマーケットになる、 と想像してライバルメーカーであるセイコーに遅れを取らないように先手を打ったのでしょう。

この姿勢が大きく評価されていくかは先を見てみないことには解らないでしょう。 将来的には中国国内でシチズン販売店舗を2400店にするとの事です。 旅行雑誌で得た情報ですが、ヨーロッパでの観光地やアメリカのリゾート地では ロレックス、オメガと共に取り扱いブランドが増加傾向にある腕時計はティソ、タグホイヤー、ロンジン、シチズン が積極果敢に増えていっているそうです。

スイス・プロサー社傘下の『アーノルド&サン』は日本価格で100万円以上する高額商品が多く占めている為に その中間価格の50万円前後の価格帯に魅力のある腕時計が揃っているスイスブランドをシチズン社が狙っていると推察されます。

買収したスイスブランドに『ラ・ジュー・ペレ』製のムーブメントを搭載する事も容易に考えられます。 それにしてもシチズン社は大いなる決断をしたと驚かされます。

●続・時計の小話  第109話(手巻腕時計の使い方)●

市場に出回ってから、40年以上脈々と人気が引き継がれてきて 現在でも現役バリバリの手巻きムーブメントがあります。 そのムーブメントはプゾー社製Cal.7001(現在ではETA7001と表記されています)で 多くのスイス腕時計にこのムーブメントが採用搭載されています。

弊店取り扱いのオメガ、エポス、ノモス、フレデリックコンスタント、ルイエラールにも採用されています。 ETA7001は安定した機械で精度が出るのが自慢で、 多くのスイス時計メーカーが自社ブランド腕時計にこの機械を入れて、販売してきました。

特にノモス社はこの機械に『トリオビス・ファイン・アジャストメント緩急針』を採用しているために、 秒単位の微細精度調整が容易に出来、クロノメーター級の精度が出ます。 このETA7001のゼンマイ巻上げする時に注意点が一つだけあります。

40年以前では時計ユーザーは市場に機械式しか出回っていない為に、 手巻き腕時計の操作方法を十分に認知していたために、ゼンマイを巻き過ぎて切らす、 という事がほとんどありませんでした。

そういえば、今まで何百回とOH・修理したであろう、セイコー手巻腕時計、 セイコークラウン、セイコーロードマーベル、セイコースカイライナー、セイコーゴールドフェザー、キングセイコー、 グランドセイコー等のセイコーのゼンマイ切れ交換修理は恐らく修理全体の数%も無かったに違いありません。 (名機のCAL45系は10振動でゼンマイトルクが強いため切れることが往々にしてありましたが)

恐らくユーザーの方は指でリューズを回す回転数をどれだけ回せば、ゼンマイが一杯まで巻けるか感覚的に判っていたからに 違いないからです。

もう一つの要因にセイコーのゼンマイの品質が非常に優れていたせいかも知れませんが。 ここ10数年のメカ式腕時計の人気の沸騰により、クォーツから手巻き腕時計を初めて手にされた人も多いものと思われます。 その人達に注意喚起してもらいたい事は、 リューズを何回転すれば、この時計のゼンマイが一杯に巻けるか、知って欲しいという事です。

最近では裏スケルトンタイプの手巻腕時計が多いので、ムーブメントの角穴車のネジが何回転すれば ゼンマイが一杯にまで巻けるか確認して頂きたいと思います。 普通一般には大凡、角穴車ネジが6回転前後でゼンマイが一杯に巻けます。 そこでゼンマイを巻くのを止めてそれ以上リューズを無理して巻上げしなければ、 ゼンマイが切れるという故障を避けられると思います。

勿論どんなに注意して巻上げしてもゼンマイ強度劣化によるゼンマイ切れの故障があります。 (手巻きは1〜2年に1回、定期的な0Hが必要不可欠です。自動巻きの場合は2〜3年に1回、定期的な0Hが必要不可欠です。)

自動巻きの名機R社も時折ゼンマイが切れた故障に出会いますがこの原因はユーザーの方の過失は殆ど無いと思います。 (勿論、定期的な0Hを怠ったり無理な過度の手巻の巻上げは禁物ですが)

数年前に新発売された手巻きのF社の丸穴車と角穴車の間に連結する伝え車の軸受けが販売して1回目の0H時にへたって 磨耗していたために日本正規輸入元にスイスメーカーにその点を改善するように伝えましたが、直ぐにスイス本社が対応し 丸パイプを入れるようしたとの素早い改善連絡を受けました。F社が一介の小さい時計店の店主の話しを聞く謙虚な姿勢に感心しました) (R社でも最近ではゼンマイ一巻目にグリースを注油しています。以前は注油されていなかった記憶が有ります。)

●続・時計の小話  第110話 面白いランキング公表●

先日、スウォッチグループジャパンのS氏営業マンが弊店に来店され、 とても興味が沸く情報をもたらしてくれましたので、読者の皆様にお伝えしたいと思います。

JETRO(独立行政法人日本貿易振興機構)のデーターによる世界の時計メーカーの売り上げ高ランキングが 公表されていたそうです。

1位はスウォッチグループ(5117億円)、2位はリシュモングループ(4420億円) 3位がロレックス(3480億円)、4位がLVMH(1323億円)、5位にシチズン社(1307億円) 6位フォッシル(1272億円)、7位にセイコー社(1023億円)、8位がパティックフィリップ(903億円) 9位がカシオ(817億円)、10位がオーデマピゲ(478億円)だそうです。

シチズン時計がセイコー時計を追い越している事実にビックリします。 また世界時計ブランド別売上高ランキングも公表されていました。

1位がロレックスで(3480億円)、2位がカルティエで(1914億円)、3位がオメガで(1696億円) 4位がパティックフィリップで(913億円)、5位がロンジンで(774億円)、6位がタグホイヤーで(765億円) 7位がティソ(696億円)、8位がスウォッチで(583億円)、9位がブレゲで(539億円)、 10がオーデマピゲで(478億円) であったそうです。

それにしてもロレックスのダントツの強さが目立つ数字です。

読者の皆様もこの数字を見て驚かれたことはおそらく5位のロンジンと7位にティソが10位以内に入っていることだと思います。

日本ではかつてロンジンと言えば、ロレックス、オメガ、インターナショナルと並び評されるスイス高級腕時計の 代名詞の一社でしたが現在では日本ではそう高く評価されていないブランドかと思います。 (少し大人しい地味なブランドイメージが日本であるのかも知れませんが) 世界では高く評価されその裏づけとしてこの販売金額に現れているものと思います。

ティソも日本ではどちらかと言えばマイナーな感じを受けますが、私が思うに高品質にも かかわらず価格設定が一番良心的に低く抑えている時計会社だと思っています。 数万円で非常に造りの良いスイス時計が手に入るブランドです。 それを証明するのが世界で7番目に販売金額を上げていることだと思います。

10社の内で世界で販売数量が多いのがスウォッチ、ティソでしょう。 世界中で多くのティソファンがおられるのが証明されています。

日本で時計専門雑誌に頻繁に多く取り上げられているB社、I社、Z社、J社が世界の販売ランキング10位以内に入っていないことに 読者の方は驚かられたと思います。日本で多額の宣伝販促費を費やしている為にイメージ作りが巧い会社だと思います。 それが逆に上代価格に転嫁されていないと良いのですが。

日本の時計専門雑誌社も今後はこのランキングを重要視して、偏ることなくロンジンやティソの記事も 多く取り上げるべきではないかと思ったりしています。

●続・時計の小話  第111話 末和海先生について●

先日(2012、11/8木曜日)、思いがけない方から電話がありました。

『私は末です。』と電話の第一声でそう言われたので、私はすぐにピンと来ました。

そのお方は、日本で行なわれた1954年CMW試験の第一回合格者の末和海先生からでした。 末先生は当時、若干25才という歳でCMW合格されました。

末先生の電話のお話によると、小牧昭一郎先生の紹介で私が書いている、 本『時計の小話』を読んで非常に面白かった、というお褒めのお言葉を頂戴致しました。 末先生は今年84歳になられたそうですが、声から察するにとてもお元気そうで、大変嬉しく思いました。

先生によると老齢に鞭打って、東京の日本時計研究会や大阪のなにわ時計研究会(池宮氏主催)に講師として東奔西走して 教鞭されているそうです。 またどうしても日本の時計技術向上の為にCMW試験を復活させたいと、熱く語られておられました。 君にもその機運が盛り上がった時には是非協力して尽力して欲しいと言われ、光栄の至りでありました。

末先生は昭和4年、大阪府堺市にお生れになり、大阪府立大学精密機械科を卒業され、 恩師の石田教授が主導されていた、石田精機研究所の助手としてご活躍されました。 その後、大阪の細工谷で時計店を開業され、昭和31年リーベルマン・ウェルシュリー商会日本支社ロレックスサービスに入社、 その後は高野精密、株リコー時計、 東証2部上場のジェコーの役員にまで上り詰められた人です。

時計技術者・時計設計師としてオリエント時計の小野茂先生と共に数少ない栄華を極められた人でもあります。 日本でCMW800名が排出したのですが、恐らく5指に入る高級時計技術者だったと思われます。 CMWの誰もが末和海先生には一目も二目も置いていた先生だったと思います。

末先生は、脱進機のスジカイ試験を考案・発表したり、時計精密旋盤のアキシャル・マイクロメーターを 考案されたりした実績があります。 理論を裏打ちされた斬新な発想の設計のリコーデイデイト自動巻腕時計・リコーワイドを開発されました。 またジェコーに入られて、音叉クロック、自動車専用クオーツクロック開発にあたられました。

日本時計師会(CMW会)の会長職を角野常三先生、小林敏夫先生、飯田茂先生、と共に順送りで役職につかれ、 日本時計師会発展の為に大いなる貢献をなされました。 時計技術者育成にも大いに敏腕をふるわれ、お弟子さんに山田靖CMW(現代の名工)等、多くの有能な人材を育て上げられました。

山田靖先生からも2年前、弊店にお電話を頂き、小生の時計の小話を楽しんで読んでいるとの激励のお言葉を頂戴致しました。 多くの著名な先輩諸氏の方から激励を頂いて嬉しい限りであります。

●続時計の小話・第112話(日本時計研究会に初参加して) ●

昨年の9月頃から、日本時計研究会の技術顧問・小牧昭一郎先生や名誉会員の末和海先生から 数回に渡り、日本時計研究会に是非参加して欲しい、という有り難い要望がありまして、今月10日の日に東京へ出かけて参りました。

出発する朝8時半頃は、白山市は小降りの雪模様でしたが、越後湯沢近辺に来ると1m50cm位の積雪があり、新潟県は石川県と違って未だに豪雪地帯 である、と痛感した次第です。(石川県は30年ほど前は大変な豪雪地帯でしたが温暖化の影響下、現在では冬でもさほど雪が降らなくなりつつあります)

越後湯沢で上越新幹線に乗り換え、15分ほどのトンネルを抜け出ると、全く別世界の晴天の気候でした。わずか15分で表日本と裏日本の気候の格段の 違いに驚くばかりで、川端康成の『雪国』の小説を思い出したりしておりました。

午後2時頃に上野に到着して、日本時計研究会の会長の桑名才次先生が経営しておられる修理工房の会社へ出向きました。桑名才次先生とは1972年のCMW認証式以来、約40年ぶりの再会になります。昨年末より、末先生による旗振り主導の下、日本時計師会CMW試験を再興するためにどのような段取りで 準備し、再開に結び付けて行くかという会合が午後三時から、桑名氏の会社で集まって討議する予定でした。

3時前になると、末和海先生が到着され、続いて古典時計協会の名誉会長の加藤実先生、山田喜久男先生、木下猛先生、名古屋の高橋新造先生、滋賀県の 東條氏、大阪の池宮氏、玉田氏、そして桑名先生、小生とが一同に会してCMW試験復興への手立てを探るために3時間弱、話し合いを致しました。(参加者全 員がCMW時計師でした。)

CMW試験は1980年に終了して、32年間という、長いブランクがあるために再開するには、いろんな多種多様の難問がでてくるものと、想像されま すが、なんとか皆が力を合わせてその難問の課題をクリアするように話合いしていこう、という一回目の会合終わりました。何とかできれば来年には実施したい という話になりました。

(昨年度から国家検定1級時計修理技能士試験の試験教材にクォーツ一辺倒からメカ式腕時計が採用された結果、合格率が10%程しかなかった事を聞か されただ驚くばかりでした。現況のメカ式腕時計修理状況がひどい状態に置かれていることが窺い知れました。やはり日本における修理技術レベルアップの為に CMW試験再登場は必要であるとの認識を強く持った次第です)

6時に終了後、近くの上野区民館に移動して日本時計研究会の1月定期総会に参加致しました。加藤理事の開会の辞があり、桑名会長の挨拶から始まり、 来賓の末和海先生の挨拶、小牧昭一郎先生の挨拶と続き、小生にその順が回ってきて『時の概念・一期一会』というテーマで短いお話をさせて頂きました。その 時、小牧昭一郎先生からは先生が執筆されている小論文を頂戴いたしました。小牧昭一郎先生にも約40年ぶりの懐かしい再会となりました。

(小牧先生は日本時計学界の2011年度青木賞『受賞の論文・ひげぜんまいの重心移動の理論と実際 内端カーブの効果の最適化』を受賞されるという 活躍をされています。そのつど小生にはいろいろご連絡を頂いていまして有り難く思っております。)

40名ほどの会員が参加されていましたが、その中に弊店の時計修理技術講座卒業生の星野君と加藤君がいて、二人に10年ぶりに会って昔話に華を咲かせました。二人とも日本時計研究会には殆ど休まず出席して勉強しているらしく、その真面目な熱心な姿勢に嬉しく思った次第です。

2時間半ほどで日本時計研究会1月総会が終わり、近くの中華飯店・蓮菜閣で懇親会があり、おいしい中華料理に舌鼓しながら桑名先生やら小牧先生らと いろんな時計に関する話をさせて頂きました。

明くる日は近くのホテルに泊まって墨田区東向島にあるセイコー・ミュージアムに行って参りました。そこの館長鈴木氏、及び女史が館内を丁寧に案内して頂き、恐縮至極でした。

帰り道に東京スカイツリーに行ってきて、展望デッキ、展望回廊まで登ってきて東京一円の見事な風景を観て来ました。小生は田舎に住んでいますので東京の圧倒される密集した景観にただただ驚くばかりでした。

昼過ぎには、末先生から訪問するように言われていましたので、山田喜久男先生の修理工房会社を尋ね、山田先生と1時間、少しばかり話をさせて頂きま した。お客さんが来店されましたので暇乞いしましたが又の再会を約束して後ろ髪を引かれる思いで帰路につきました。非常に有意義な二日間を過ごしました。

●続・時計の小話  第113話 『ブルーノ・ゾンレー・グラスヒュッテ』●

昨年末、12月よりドイツ製腕時計『ブルーノ・ゾンレー・グラスヒュッテ』を取り扱いを開始しました。 12月14日にブルーノ・ゾンレー・グラスヒュッテ日本総代理店の石岡商会株式会社の社長である ウィリアム・ストーンヒル氏が東京より弊店に来店されました。 (ちなみに石岡商会のネーミングは社長名ストーンヒルを日本名に変換した会社名だそうです。)

チェコ国境に隣接しているドイツの小地方都市グラスヒュッテは、人口が5千人ほどの小さな町ですが、 世界中の時計ファンにとって垂涎の的のブランド腕時計が沢山あります。 筆頭にはランゲ&ゾーネ、グラスヒュッテ・オリジナル、ノモス、ミューレ・グラスヒュッテ等の 有名な時計工房が小さい町に集中しています。

その仲間入りを果たすべく、2000年にブルーノ・ゾンレー氏がグラスヒュッテ地方に、 ブルーノ・ゾンレー・グラスヒュッテを創業されました。 ブルーノ・ゾンレー氏は1957年に時計技術者の見習いを始め、その後、時計技術を磨きあげてドイツマイスターの資格を取り 60歳を契機として自身の名前を冠にしたブルーノ・ゾンレー・グラスヒュッテ社を設立しました。

特に手巻きムーブメントが秀逸で、グラスヒュッテ伝統のアドルフ・ランゲが生んだ3/4プレートを採用し、 微細精度調整がいとも容易く出来るスワンネック緩急針を備え、その美しい形状がユーザーにも見えるという心憎い演出をしています。

地板にはグラスヒュッテストライブという筋目を入れ、美しい光沢を放っており、輪列車の石をゴールドシャトンで押さえ、 ブルースチールネジで留めるというグラスヒュッテ独特の仕様を施しています。 角穴車にもノモスにも採用されている、2重サンバースト仕上げを施しており、 渦巻き調の美しい模様が見られるというのもメカ式時計ファンにとってはたまらない魅力の一つです。

この手巻きムーブメントと搭載したブルーノ・ゾンレー腕時計は独逸有名時計雑誌『ウーレン』で2010年度最高時計賞を 授与されていて、ドイツでも高く評価されています。

自動巻きムーブメントはベースにはセリタ社を採用していますが、 パーツの68%が自社製造比率でマニュファクチュールに近い仕上げをしております。 スイスでペルラージュと呼ばれているスパリング装飾を地板に施しており、 ローターにはグラスヒュッテストライブ仕様をしていて手抜きの無い作業をしています。 それでいて価格は10万円台を維持しておりコストパフォーマンスに秀でています。

今後の動きが注目されるブランドになると思われます。 社長のウィリアム・ストーンヒル氏が来店された時、弊店の修理作業場や修理設備や時計旋盤、タガネに 強い関心を持っておられたので、色々お話をしてみると、 氏はアメリカ時計学会AWIのC.M.W有資格者である、との事で驚いた次第です。

アメリカにはCMWの下にCWという時計修理資格があり、またクロック専門の修理資格もあるとの事でした。 日本が大好きで、30年以上住んでおられコーヒーよりも日本茶が好きである、 という京都大原在住のベニシヤ・スタンリー・スミスさんの様な人でした。 今後弊店もブルーノ・ゾンレーの在庫を少しづつ増やしていきたい思っております。

●続・時計の小話  第114話 時と年稿●

時刻を知ったり、時間を測定したり、日時が解る便利な機械を、人間は"時計"という重宝な物を生み出してきました。 機械式時計は生み出されてから、何百年という時間が経過して現在では、 これ以上の進化を求めれないところまで開発されてきたと言えると思います。まだまだ開発される余地があると言う人がいるかも知れませんが、小生はもう限界点にまで到達していると思われます。

地球の時間の経過(地球の歴史)を測る手立てに、年縞(ねんこう)という堆積物があります。

2006年に福井県三方五湖の一つ、水月湖から世界に類を見ない確かな測定が出来る年縞堆積物が発見されました。 年縞の縞模様を一層ずつ数える事で、高精度の過去の年代測定が出来ます。

水月湖の湖底には1 年に1 縞の綺麗な縞模様の筋目の土の層が完全な状態で保存されており、 降り積もった土の層は湖底から地下方向に続いています。 水月湖の湖底45mの年縞で約7万年の地球の歴史がハッキリ解るそうです。 誤差は僅か10〜30年位だそうです。凄いことです。

水月湖年縞から52800年間の地震、津波、洪水、火山爆発、極度の寒冷等の天変地異、大規模な気候変動が解ります。 何故、水月湖の年縞から正確な地球の気候変動が解る原因として、水月湖以外の他の湖沼には、見られない特異性があるそうです。

水月湖は、若狭湾に近いにもかかわらず、海にも繋がらず、水月湖に流れ入る川も無いそうです。 また生き物が生きづらい無酸化状態が長期に渡って保たれてきたそうです。 また一年で水月湖の湖底が、0.7mmづつ下がっていったのが大きな要素だそうです。 いろんな好条件が偶然にも重なり合わないと出来なかったのです。

水月湖の年縞を研究しておられるニューカッスル大学の中川毅先生によると、 水月湖の年縞堆積物が世界のグローバルスタンダードとして、世界中の年縞研究者から認知されました。 水月湖の年縞から、推定された約1万年前に起きた韓国ウルルン島の噴火による火山灰も発見されました。 時計が人類の未来にどのような発展や変換をもたらすか想像だに出来ませんが、数千年後の人類が存続して生きていたと仮定して 現在のメカ式腕時計の精巧さや、正確さを知ったら現在の時計技術者がとてつもない機械を作ってきたと 未来人は驚嘆するに違いないと思います。

遥かな時の流れのロマンです。 ※オーストリア・ミュラートミングで現在行なわれている2013世界アルペン選手権ではオフィシャルタイマーは スイス・ロンジン社が担当しています。選手のゼッケン番号を示すコスチュームの上部にロンジンのロゴマークが 誇らしげに描かれていました。ロンジン社の業績は最近鰻上りで、このオフィシャルタイマー担当に結びついたのでしょう。

●続・時計の小話  第115話 2012年、最近の日本腕時計市場の推移●

日本全体の時計売上高の推移は、2003年度、舶来品、国産品合計で約6,000億円の規模があり 2006年度は約7,100億円まで4年間に渡り売り上げ高が順調に伸びました。

スイス高級腕時計100万円以上の高級品が、東京有名百貨店時計売り場や、東京の有名時計専門店で飛ぶように売れていき時計業界では、『時計バブル』と揶揄されるほどのものでした。 (高級ブランドとして存在感を高める為に小売価格を一方的に値上げをしたメーカーもありました。)

2007年以降、サブプライムローン問題やリーマンショック等により、 7,100億円まであった国内時計市場の規模が2009年には年間売り上げ高は4,400億円(40%ダウン)まで落ち込みました。 売り上げ高が順調に伸びていくだろうと推察していた高級時計取り扱いの専門店の経営者は、 将来の伸びも継続してあると思い、在庫を多く抱え込んでいたものと思いますが、ここまで落ち込むとは推量出来なかった為に 輸入元への支払い等で相当苦慮されていたと各社・取引先セールスマンから伝え聞きました。

2009年度で売り上げ高は底を打ち、それから日本時計市場は右肩上がりに反転し、昨年度2012年度までの 4年間で少しづつではありますが売り上げが上向きになりました。 (日本時計市場ではこの4年間苦戦を強いられていましたが、 一方のスイス時計産業の売り上げ高は、落ち込むどころか、ずっと拡大基調が継続して絶好調の様相を呈しています。)

2006年前後の日本時計市場の絶好時には、海外から(主に中国の方ですが)の富裕層が日本に流れ込み、 多くの高級腕時計を買い求められた結果、あのような7,100億円もの金額になったものと思われます。

2011年の統計が出ましたが、国内の腕時計の市場規模は、4,460億円でした、その内訳は、インポート(と言ってもほとんどスイス製ですが)ウォッチ売上高は、約3,400億円で 一方、国産品ウォッチ売り上げ高は約1,100億円という数字が出ています。

全盛時に比べ、売り上げ高が落ちたとは言え、スイス高級腕時計は日本市場で圧倒的な優位な立場にいます。 (小生がこの業界に入った頃は国産品が70%以上の売り上げシェアを占めていました) ここ2〜3年、100万円以上の高級腕時計のインポートウォッチが苦戦する中、中間価格帯(10万円前後〜20万円前後)のスイス腕時計は 順調に売り上げを伸ばしています。

その中にスウォッチグループのハミルトンやティソのブランドが含まれています。 このグッドタイミングにティソ社からPOWER-MATIC 80が発売されたのは スウォッチグループ戦略的なマネージメントがあったものと思われます。

ハミルトンの日本販売高を世界一に押し上げたE氏をティソセールスマネージャーに任命して、 指揮をとらせるようにしたのはスイスティソ本社が本気になって日本でティソを拡販する決意を持ったものと思われます。 今後の日本でのティソの動向には注目する値があると思われます。 今まで世界市場で実力があり認められてきたティソが、日本では苦戦していた事が不思議であったと思われる のは過去の語り草になるかもしれません。

●続・時計の小話  第116話 大阪のCMWの会合にて●

3月30日、大阪博労町の難波神社会議室で午後2時〜午後5時まで3時間に渡り関西地区のCMWの会合がありました。 参加CMWは末和海会長,冨田實氏、東條勝利氏、山内泰之氏、牧野敏夫氏、玉田寿夫氏、池宮俊二氏、 上村五男氏、大石直廣氏、藤田幸治氏、井上明廣氏、小生が集合しました。

2012年11/26に末和海先生(第一回CMW取得者、『標準時計技術読本』の翻訳者であり、 『脱進機修理の秘訣、ひげぜんまい取扱の秘訣、時計の歩度調整』の著者でもあります。 またアキシャル・マイクロメーターの考案者であり、脱進機のスジカイ試験の発案者でもあり、 過去に日本時計師会の会長も務められた、時計技術界の重鎮でおられます。)が 『わが国時計技術技能の将来を考える会』を興されまして、CMW試験再開の為に各地のCMWの意見を聞き、 これまで東京、大阪、名古屋を回って大変な尽力をされてきました。

末先生がそのような行動を取られました理由は日本時計修理業界に於けるメカ式腕時計の修理技術能力の著しい低下が原因です。 2011年度スイス腕時計の日本に輸入金額が3,400億円を超えています。その殆どは高級メカ式腕時計です。

日本に輸入されたスイスメカ式高級腕時計の修理の大多数は、輸入元オフィシャルサービスに任せっぱなしの酷い現状を 憂いての為でした。現在ではスイス高級腕時計・国産メカ式高級腕時計(GS,ザ・シチズン)を 販売はするが修理は一切出来ない時計店が大半を占めるようになりました。

30数年以上前には販売した時計は自店で修理するのが当然の当たり前の事でしたし、 それが店の信用にもなって店主は一生懸命技術の取得に頑張ったものでした。しかし今日ではどうなのでしょうか? グランドセイコーでさえ今やメーカーサービス送りになっている現状です。 国産時計メーカーも時計店の技術を見限って新製品の技術講習会を一切開かなくなりましたし、 高級腕時計のパーツも時計店に供給しなくなりました。ここで奮起しないわけにはいかないと思うのです。

さらに昨年度国家技能検定試験において試験教材にメカ式腕時計を採用した途端、極端に合格率が大きくダウンしたことも 大きな理由の一つでもあった訳です。

現在行なわれている時計修理資格試験は3つに分類されます。国家検定時計修理技能士試験(1,2,3級) SIIセイコーインスツル主催いわて機械時計技能評価試験(IWマイスター、1級、2級)、 信州匠の時計修理士試験(特級、A級、1,2,3級 の5等級)等の多種多様の資格が存在しており第三者が客観的に技術・技能を 評価しにくい煩雑な状況を呈しています。

このような状況を打破するためには時計技術資格では最古の歴史・伝統があり実績を積み上げてきて多くの『現代の名工』 ・名人クラスの時計職人を輩出してきたCMW試験を再開するべきだと思われたものです。

また技術を継承して優秀な後継者を各地に育て上げることも眼目であります。

そして末先生は各地を回り意見を集約して新日本時計師会(仮称)N.J.W.I発足の為の素案を各地の主だったCMWに提案されました。 2013年1月10日、2月20日、3月14日と3日間、3回に渡り、東京上野のK時計サービスを会場にして、 全国からCMWが集結して午後3時〜午後6時ごろまで延10時間以上に渡り、CMW試験再開の為に建設的な討論が成されました。

そのメンバーには末和海先生、宅間三千男氏、高橋新造氏、平石護氏、加藤實氏、木下猛氏、 桑名才次氏、、小生,山田喜久男氏、池宮俊二氏、玉田寿夫氏。東條勝利氏の12名(全員CMW、合格年代順)が 時間の許す範囲内で集合して意見を交わしあいました。

3回の会合で、下記の内容が素案として出されました。

[1] CMW試験を再興する為には、日本時計師会の役員組織を早急に決める必要があるとの結論に達し、 約30年前の日本時計師会の旧体制をすぐに構築出来る訳は無いので、 当初は動きやすい軽い組織にすべきとの結論に達し本部は歴史のある大阪に設置することが妥当ではないかという考えになりました。

トップの会長,それを補佐する副会長を2名、CMW試験委員長を1名、理事を5名程、他のCMW資格者は支援委員とする。 軌道に乗るまで、監事及び幹事は、選出しないとする。支部長は5人ほど任命する(北海道地区東北地区、関東地区、 中部北陸地区、近畿地区、中国四国九州沖縄地区)

[2] 3回目の会合で末和海先生を会長(CMW試験を権威付ける為にも時計業界で著名であり功労者である末先生をトップに据えるのが 誰もが異論の無い事と思われます。 CMW資格証明書に会長・末和海先生の名の入った認定証を受験生も欲するものと推察されます)にする事が満場一致で決定しました。
役員人事に対しては選任された末先生に一任するべきではないかと思われます。他のCMWは支援委員として、 会長によって指名された役員を協力し補佐をする。日本時計師会の諸活動は基本スタンスはボランティアとする。

[3] CMW試験が来年度、施行させることを時計技術者に周知徹底するために、日本時計師会のホームページを早急に立ち上げる。 CMWを目指す受験生に、事細かな情報を(試験講習会、試験日時、試験詳細内容等)をホームページを 通じて知らせることが会合で決められました。またCMW試験が日本で行なわれる最高峰の難度の高い時計高等技術試験である事を 広報する。

[4] 組織を立ち上げた場合、何かと必要経費が多々生じる状況場面が起こるものと思われます資金ショートしない為、 出金が容易に出来るようにする為にCMW有志から出資金(賛助金)を集める事とする。

[5] CMW受験生を応募したら、試験内容が難解過ぎて人がほとんど集まらなかったという悲惨な事が起きない為にも試験前に 講習会等を開いてやる気のある時計技術者が受験準備しやすい環境・雰囲気を作ってあげるべきと思われる。

マスメディアにも働きかけアプローチする。試験内容は35年前の程度と同等とし、あえてそれ以上の難易度を高めすぎた場合、 CMW試験を敬遠される可能性があると思われ、試験内容は充分に吟味するべきだと思われます。 当初、2、3年は試験会場は人材が揃っておられる東京・大阪のみとし、話を詰めていくという事になりました。

[6] 試験教材にクォーツクロノグラフムーブメントの提案もありましたが、CMW実技試験はメカ式 (一例、懐中時計ユニタスCal,6497天真別作等0H調整、クロノグラフ腕時計バルジューCal,7750) に特化するべきだという意見にまとまりました。1975年度よりCMW実技試験にクォーツを 試験教材採用したことによりCMW試験制度自体が弱体化していって消滅したことを鑑み、 安易に試験教材にクォーツは採用すべきではないとの結論に達しました。

[7] 将来的には日本時計師会は総務部(会計担当)、出版部(機関紙・『調時』発行)、研修・研究部、CMW試験委員会等を 順次必要に応じて作り上げていく。早急に作るのは総務部、CMW試験委員会、日本時計師会ホームページ作製部等が必要と思われます。

[8] CMW試験は過去の試験内容を出来るだけ踏襲することとする。
一次試験
1日目 学科試験 250問題 5時間(問題集作成者を募る)
2日目 旋盤作業(天真、巻真別作)6時間

二次試験
1日目〜3日間 (各8時間、計24時間)
一案
・懐中時計ユニタスCal,6497天真別作、アンクル真折れ等0H調整、5姿勢平均日差-2〜+10以内精度要求。         
・クロノグラフ腕時計バルジューCal,7750、0H調整かもしくはETA2824もしくはETA2892のOH調整かを選択する。 5姿勢平均日差-2〜+10以内精度要求

受験費用は試験教材を日本輸入元と交渉して安く入手して200,000円以内になるようにする。 受験費用はできるだけ抑える。(オーバーした場合は受験生に対して日本時計師会が補填すると言う意見もありました。)

CMW試験が来年に開催されることに目処がつきましたので、向学心に燃える時計技術者には 受験するように、今から更に上を目指して研鑽を励まれることを願っています。

●続・時計の小話 第117話 『時計屋の娘』●

11月22日、BS-TBSでPM7時から池端俊策・脚本の『時計屋の娘』というドラマ番
組が放映されていました。

文化庁芸術参加作品だけあって十分見応えのあるドラマに仕上げてあり、時計店の現場セットも十分吟味されていて、弊店にもある、いろんな時計修理器具・工
具等が撮影現場に完璧に設置されていて、驚かされました。ここまでやるのかと驚かされました。おそらく視聴者の方でもビックリされた方もおいでたと思います。

3、40年前には、そうとう腕の良い時計職人であったろうと思われる俳優・國村隼
氏が演じる秋山時計店が舞台になっていました。その時計店のセット風景には弊
店でもいまだに現役で働いているFUZI超音波時計洗浄器、タイムグラファーIC-70、タガネポンス台、パーツ整理箱等が作業場にセットされていて、このプロデューサー八木康夫氏の妥協をしない入れ込み様に徹底したプロ意識を感じました。(かなり腕の良い時計職人の方が協力しているのでしょう。)

秋山時計店、店主が演じる國村隼氏が日ノ裏押エを糸ノコで別作している作業等
もあり、興味つつ起きる演出でした。来年から実施されるCMW試験の部品製作に
は天真、巻真、裏押エ別作が予定されています。秋山時計店というと、懐かしく思い出される記憶があります、

滋賀県湖北のN市に同名の秋山時計店があり、私の父親と非常に親しい間柄の時計店・店主でありました、一人息子のお子さんがおられましたが、非常に頭の出来る子だったので、大阪大学に進学し、時計店の跡を継がなくなり、秋山さんがこぼして嘆いておられたことが昨日の事の様に思い出されます。

このドラマの中心に存在した時計は、ロンジンのアンティークの手巻き金無垢腕
時計(スモールセコンドCal.23Zか?)で、500万円という相場で売買されているという話で、余りにも高価格で吃驚しました。

弊店にもロンジンのアンティーク腕時計を何本か所有していますが、特に小生が
大切に保管しているのが、1953年ごろ製造されたCal.12.68ZS(中3針、手巻、シ
リアル9255514)で見事な造り映えで堅牢に作られていて今でも高精度の性能を
保有しております。

●続・時計の小話 第118話 最近の日本におけるティソ社の勢い●

精度と完成度を競う『インターナショナル・タイミングコンペティション』が2013年10/25、フランスのプンザソン・ミュージアムで挙行されました。

このクラッシックウォッチ部門でTISSOT(ティソ)のT-COMPLICATIONSQUELETTE
コレクションが第一位となる名誉を獲得しました。TISSOTは2011年にも別のコレクションにて第一位を獲得しており、このコンテストにおいて二度の優勝を果たしたことは、TISSOT社が歴史と伝統に裏打ちされたウォッチメイキングの高い技
術力を証明したこととなりました。

2013年度のコンペィションにはT-COMPLICATIONをベースに二つの特別調整モデルが参加しましたが、1位が878点(1000点満点)、2位が850点(1000点満点)という1位2位を独占するという快挙を成し遂げました。

TISSOT社は世界中で一番人気のある時計会社で、販売個数も世界一位を獲得してきましたが、日本では不思議と今までそんなに人気のある時計会社でありませんでした。しかし、ここ一年間に怒涛のように次から次へと矢継ぎ早にヒット商品を産み出しています。POWERMATIC80 ETA C07.111は駆動時間が80時間という性能を備えなおかつクロノメーター規格に合格した高精度腕時計でも10万円を切るという想像だにしえない価格設定をしており、人気が沸騰して絶えず品切れ状態が続いています。

円安に為替変動がきたにもかかわらず値上げをしないで頑張っているTISSOT社の良心的会社気風に尊敬の念すら沸き起こっています。(ムーブメントメイカーETA社と緊密な関係があるからでしょう)ここ4,5年、スイスメカ式腕時計の中級品の価格中心帯が10万円前後から20万円前後へと高騰したことを思えばTISSOT社の時計が世界中の時計愛好家から支持されているのも当然と言えるかもしれません。

今秋発売された『HERITAGE THE 160th ANNIVERSARY・ワールドタイマー』も物凄い人気が集中して、お客様から注文を受けても納品が三ヶ月待ちという状態が続いています。『-COMPLICATION SQUELETTE』も今までにない斬新なデザインで世界中から注文が殺到し生産が追いつかない状態が続いていて、多くのお客様に待って頂いている状況です。

最近の情報によるスイスクロノメーター協会認定の1000個以上クロノメーター合
格規格品を生産した時計会社は下記になります。

ロレックス社・・・約80万個
オメガ社・・・約52万個
ブライトリング社・・・約15万個
ミドー社・・・約6万個
ティソ社・・・約5万個
パネライ社・・・約2万8千個
ショパール社・・・約2万2千個
エニカ社・・・約1万5千個
ティトニー社・・・約1万5千個
インビクター社・・・約9千個
ボール社・・・約8500個
エルネストボレル社・・・約8500個
ユリスナルダン社・・・約8千個
ロジェデュブイ社・・・約3300個
コルム社・・・約3千個
タグホイヤー社・・・約2600個
ローマー社・・・約2千個
ラドー社・・・約1600個

となっています。ティソ社が5位にランクされた事に驚かされます。市場価格10万円前後の価格にもかかわらず、クロノメーター合格品を5万個も製造している事に驚嘆せざるをえません。

●続・時計の小話 第119話 初代グランドセイコー●

先日、金沢で大規模な骨董市が催しされました。

商売柄、アンティークウォッチに関心があるため、良い出物があれば、購入しようと思い、出かけてみました。300坪はあると思われる広い会場に、日本全国からたくさんの骨董商が参加していました。掛け軸、置物、茶椀、壷、仏画、仏像、中古宝飾品、アンティークウォッチ、家具等が数多く陳列されていて、見ていて楽しい時間を過ごしました。

骨董品と言えども、価格はどれも安くなく安易に衝動買い出来る価格ではないた
め、財布の紐はなかなか緩みませんでした。

その中で、非常に関心がおきたアンティーク腕時計が陳列されていました。名古屋から来られた『the moon』という骨董業者でセイコーが1960年8月に発売した、初代グランドセイコーが提供されていました。そのGSには歩度証明書(15日間に渡る、各姿勢差の歩度検定が記載されている手書きのもの、スイスBOクロノメーター優秀級基準に匹敵する精度)とクロノメーターに関する説明書の二通が添付されていました。

今まで、初代手巻きのグランドセイコーは何度も修理した経験はありますが、実
物の歩度検定書を見るのは初めてで、記載されている精度をじっくり眺めて見と
れていました。(1998年に復活した機械式GSにはしばらくの間、静的精度の各姿勢差の歩度証明書は添付されていましたが現行のGSには歩度証明書は添付されていません。少し残念な気がします。携帯精度-1〜+10と記載されているのみです)

初代手巻きグランドセイコー購入したくなったので、the moonの店主に頼んで中の機械を見せてもらいました。さすがに55年ほどまえの時計なので、ケースがGF(金張り)であった為に、金張りが剥がれ落ちて、錆が少しありました。それは
仕方ないので目を瞑って、値段を問い合わせてみると、税込みで¥700,000丁度
にすると言われました。

自分の予想した価格よりもはるかに高かったので、諦めざるをえませんでしたが、そこの骨董店主人と何故そんなに高いのか価格交渉をしてみたところ、時計本体だけなら\200,000で販売出来るが、時計ケースと歩度検定書とGS説明書が揃って残っているものは非常に珍しくて、時計ケースと歩度検定書とGS説明書だけで¥500,000の値打ちがあるものだと説明を受けました。

それを聞いて半分納得せざるをえないものでした。グランドセイコーが世に出て
丁度来年で55年になります。恐らくセイコーは来年にGSの記念碑的な限定バージョンを市場に出してくるものと思われます。時計マニアにはグランドセイコーファンの方が非常に多くおられるので期待して注目されていたらどうかと思います。

グランドセイコーの開発当初のコンセプトは『正確で、作りやすく、美しい』という3本柱を主眼において開発されたものですが、もう二つ付け加えるなら壊れにくく、修理がしやすい、という長所を持っていました。初代グランドセイコーは1959年に登場した、クラウンをベースに改良を重ねたものです。

トヨタ自動車が1955年に満を持して世に問うた、高級自動車クラウンが綿々と現
在にも続いているものを思えば、グランドセイコーもそれに匹敵する、日本を代
表する記念碑的な工業製品と言えると思います。

先週、石川県H市のHさんがオメガ・スピードマスターのOH修理依頼の為にご来
店されました。その方が義父の形見の時計を持ってこられ、『この時計の値打ち
はどの程度のものか』と聞かれました。

早速、関心があったので拝見させて頂くと、1969年、諏訪精工舎が発売したCal.6145A(25石)のGS自動巻カレンダー(10振動、スイス天文台コンクールで培っ
た高振動技術を世に問うたもの)で、ケースが18金側の高級腕時計でした。初代
手巻きのグランドセイコーは金張り仕様で、¥25,000(当時の大卒初任給の2倍)
しましたが、この金無垢の61GSは恐らく、当時で¥200,000前後した高級機種であったと思います。

おそらく300個位しか生産されなかったものと思われます。その事をご来店して頂いたご婦人にお伝えしますと、ビックリされて早速、携帯でご主人にその内容を伝えておられました。

価値ある時計なので機能を復活させる為にOH依頼をされました。その時計は昨日、修理OH完了しましたので、弊店のHPにアップしていますので関心のある方は見ていただけたらと思います。

●続・時計の小話 第120話 CMW試験の再開について●

2012年11月から末和海先生のCMW試験を再開したいという熱い発案から、一年半を過ぎ、ようやく準備が整いまして、先月5月にCMW一次試験が行われました。

東日本の受験生は東京墨田区東向島のセイコー・ミュージアムを試験会場として、3名の方が受験され5月9日に学科試験、5月10日にCMW実技試験(旋盤による、天真・巻真製作)が実施されました。

西日本の受験生は、試験会場は滋賀県大津市神宮町の近江神宮時計館宝物館の場所をお借りして、1名の方が5月12日、5月13日に学科・実技試験が滞りなく行われました。(くしくも近江時計学校出身者2名、ヒコミズノ時計学校出身者2名になりました)

CMW試験を再開するに辺り、毎月第二木曜日の午後より延べ15回のCMW有志の会合を開いて意見を交換し合い、どのような段取りをして実施に漕ぎ着けるか話し合い、ようやくにして再開する運びとなりました。

この一年半の間、日本時計師会の会長に就任された、末和海先生のご尽力は大変なもので、頭が下る思いがします。東京はもちろん、大阪、名古屋まで何回も足を運ばれ、現在も時計職人として活動しておられるCMW時計師の元を訪ねられ、意見の集約をされ、ここに無事に34年ぶりにCMW試験の再開、日本時計師会の再始動が始まりました。末先生のCMW試験再開への燃え滾る様な情熱が無ければ到底、ここまで到達はなしえなかったと思われます。

現在、CMW取得者は、全般に65〜70歳以上という高齢者に達してきており、今後
CMW試験を末永く、存続させるには、新規にCMWを取得されるであろう若い時計職人の方々が日本時計師会の会員になられて、日本時計師会、及びCMW試験が発展するよう、運営する一員になって、率先して引っ張って頂きたい、という希望を持っています。

その為にも、今後CMW試験が隆盛するよう、20才代、中堅の30才代の時計職人の方々に受験を薦めるものです。一歩引いて及び腰にならず積極果敢に最難関のCMW受験して欲しいと願っています。

元日本時計師会の飯田茂会長はCMW試験は難解なので一発で合格するという事を思わず2年〜3年かかりで合格すれば良いと仰っておられました。実際に小生の知人も3回目の挑戦で合格された方も何人もおられました。今後ドシドシ若い人にはCMW受験をお勧めします。CMW合格者が増えることが停滞気味である日本時計修理技術レベルのかさ上げに大いに貢献するものと思われます。30〜40年前の世界的に評価されていた日本の時計修理技術水準に戻すべく、若い時計職人の方々の挑戦を期待します。

受験者が多くの方々の申し込みがあればCMW試験トップ最優秀合格者に偉大
な功績のあった末先生の名誉を残すために『末 和海』賞を創設したいと願って
おります。以前にCMW試験トップ合格者に与えられた『井上 信夫』賞があった
ように若い受験者が目の色を変えて、大いなる目標に向かって邁進する事が出
来ると思われます。

〒924-0862 石川県白山市(旧松任市)安田町17-1 イソザキ時計宝石店
電話(FAX):076−276−7479  メール:isozaki@40net.jp