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●続・時計の小話 第21話リコー・ダイナミックワイド腕時計 ●現在、国産の機械式腕時計を発売しているのは、セイコーとオリエントの2社のみですが、過去に於いてはシチズン、リコーもメカ式の腕時計を製造・発売していました。 40年前のリコー時計は進取の精神に富んでいてハミルトンと提携してハミルトンリコー電子腕時計も発売していて知名度は現在と比較に出来ないほど有名な時計メーカーでした。 今から40年ほど前、リコー時計が末和海先生を中心として全力を挙げて開発した紳士用自動巻デイデイト腕時計に、『リコー・ダイナミックワイド』、『リコー・ワイドデラックス』(当時の価格で12,000円前後、大卒初任給が30,000円位の時代です)が、ありました。 現行のグランドセイコーメカ式腕時計を先日オーバーホールして、GSの輪列配列の対極をなす腕時計が、『リコー・ワイドデラックス』の時計ではないか?と記憶を遡っています。 リコー・ワイドデラックスは地板外径が29mmありましたが、イプシロン方式(テンプ、アンクル、ガンギ車、4番車、3番車、2番車、角穴車、丸穴 車がE字の形で配列しています)の輪列車・配列構造をしている為に、地板直径29mmを有効に、目一杯使っていました。その為にテンプの外径が10mm弱 という、大きなテンプを採用する事が出来、18000振動のロー・ビートながら、高精度が出た機械でした。 当時のオリエント高級腕時計のように自動巻ボールベアリングにルビー石を採用していてローターがスムーズな回転運動が出来るように設計されていました。(カレンダー機構が少し複雑で部品数が多くて組み立て調整に難儀された職人もいたものと思われます。) 普通、ドテピンは2本あるのですがリコー・ワイドデラックスは、ドテピン1本でアンクルが安定した作動をしていました。オメガ、セイコー等の小型婦人用にもこの形状をしたアンクルが採用されていました。 リコー時計は、現在クォーツ腕時計のみを製造・販売しており、どちらかというと量販店・スーパ等に向けに安価なクォーツのみを販売しておりますが、昔は柱時計や、腕時計に自社開発した良い時計を作り続けていました。 機械式腕時計を復活させるのは、並大抵の企業努力では叶わない事なのですが、オリエント時計がメカ式を見事に復活させた様に、歴史のあるリコー時計 もメカ式腕時計を復活させて欲しい、と願っています。秀でた機械式腕時計を世の中に送り出せない時計メーカーは今後存続していくのは大変であろうと推察し ています。 ●続・時計の小話 第22話 業績を残した時計産業人●日本の今日における時計産業の隆盛には、多くの先人の人達の一方ならぬ努力の賜物だと思っています。小生がこの業界に携わって35年間、鮮烈に記憶に残っている時計産業人の人々の事を思い出したいと思います。 やはり一番に名前を挙げなければならないのは、服部時計店を世界のセイコーへと導いた、三代目社長服部正次氏だと思います。今日のセイコー社の盤石 たる礎を築いた人ではないかと思います。小生は若いとき、一度だけ氏にお会いした事がありますが、慶応大学出身だけに長身の細身のダンディな人でした。 お客様(時計小売店)を非常に大切にされ、時計店の店主がシチズンよりもセイコー腕時計を積極的に拡販したのは、氏の時計店への熱い思いが店主に伝わったのではないか思います。 シチズン時計には山田栄一氏、リコー時計には市村清氏等の個性的な名物社長がおられ、この時計業界をセイコーと共に引っぱってこられました。 クロック業界では、セイコー・クロックと二分する程までに、大きく会社を育てあげた、リズム時計工業の谷碧氏がおられます。20〜30年程前は、リ ズム時計のセールスマンは商売熱心でワゴン車にクロックを100個以上目一杯積んで、1週間にいっぺんは時計店に訪問販売をしていました。それほど頻繁に 時計店に通わなければ、セイコー・クロックと太刀打ち出来なかったのではないかと思います。またその頃はクロックが店頭で本当によく売れたものでした。 現在では、セイコー・クロックもリズム時計も販売先がディスカウントストアや量販店に集中している為に、時計店への巡回販売活動がほとんど見られな くなり、一抹の寂しさを覚えます。弊店でもクロックはほとんど店頭では売れなくなり、贈答品用に一部売れるだけになりました。この現象は日本国中、どの時 計店にも言えることではないか?と思います。 時計卸業界では、ユニバーサルの日本総代理店であった村木時計の村木栄太郎氏が特に記憶に残っています。氏は月刊誌の『時計技術』を長年出版され、 日本全国に著名な時計技術者を同伴して、時計技術講習会を開かれました。氏の活躍でどれほど時計職人が腕を磨き上げたか、大いに時計技術のレベルアップに 貢献されました。 また、菅波錦平先生と共に時計技術通信講座を開かれ多くの受講生をCMW、1級、2級時計修理技能士へと、導かれました。 その他には、パテック・フィリップを日本で有名にされました一新時計の西村隆之氏、シチズン時計の卸元堀田時計店の堀田両平氏、ウォルサム、テクノスの日本総代理店、平和堂貿易の高木克二氏が特に有名でした。 35年ほど前は、日本でスイス腕時計として一番人気のあったのがラドーとテクノスでしたが、そのラドーの日本総代理店を旗揚げされた、酒田時計貿易の酒田武敏氏がおられました。 氏は、ラドーを日本で一番人気のあるスイス時計へと育成されましたが、ラドーの販売権利をスウォッチグループに譲った為に、販売の柱を失い、先年会社が解散した事は、惜しむべき事でした。(栄光時計の小谷氏、山田時計店の山田氏 は以前に書きましたので省略します。) ●続・時計の小話 第23話 フィルムカメラとメカ式時計●最近のニュースによりますと、フィルムカメラの国内販売台数が毎年落ち込んでいき、今では、出荷台数全体の3.5%まできたそうです。フィルムカメ ラの存続の危機にまで来たようです。それに比べ、デジタルカメラは性能の向上と共に、製品価格がとても安価なお買い得になっていき、年間844万個まで増 えてきたそうです。 時計業界も1970年から1980年代にかけて、メカ式からクォーツへの大転換が行われ、アフターサービスがクォーツにはほとんど必要が無いため、異業種の商店にもクォーツ腕時計が販売されるようになり、時計店が苦境に立たされていったのは、承知の事と思います。 フィルムカメラからデジタルカメラへの大幅な転換により、町のカメラ店も今後ますます苦境に立たされるのではないか?と思います。クォーツも想像だ にしなかった大幅なコストダウンが出来たようにデジタルカメラも今後、値崩れがしていくのではないかと危惧しています。家電量販店にカメラの顧客を将来ほ とんど取られてしまうのではないかと思っています。 超優良企業の富士写真フィルムも、カラーフィルムや印画紙等の写真感光材料の売り上げが落ち込み、大勢の人員を削減する、という事です。あのニコンですら、フィルムカメラ事業を大幅に縮小して、フィルム用コンパクトカメラの生産も全面的に中止するようです。 プロのカメラマンから圧倒的な支持を受けているニコン一眼レフカメラも主力の2機種を除いて生産を中止に追いやられてしまいました。歴史のあるカメ ラ会社である、コニカミノルタでは、写真フィルム事業から全面的に撤退して、デジタル一眼レフカメラ事業でさえ、ソニーに譲渡するそうです。 カメラ事業と言えば、レンズ研磨等の光学加工技術に優れていなければ勝ち残っていく事が出来なかったのですが、デジタルカメラになりますと、主要部品がCCD等の半導体生産技術に優れている家電メーカーが今後ますます優位に立っていくような気がします。 カメラ事業の根幹を成す光学品加工技術をぜひ未来永劫に渡って伝承する為にも、フィルムカメラ事業は残していってほしいと思わざるをえません。 1990年代からのメカ式時計の見事な復活を見るにあたり、世界をリードしてきた日本のカメラ会社もデジタルカメラ一辺倒ではなく、アナログのフィルムカ メラの存続をぜひ考えていって欲しいと思います。 クォーツ腕時計はメカ式とは比肩出来ないくらい正確無比な腕時計ですが、現在ではユーザーの方にそれのみでは充分な満足感を与えられず、メカ式の心温まる美しいムーブメントに魅了されたユーザーの方が徐々に増えてきているのが、今日の時計業界の姿です。 デジタルカメラは操作しやすく、鮮明度では敵なしの状態ですが、フィルムカメラで映し出される陰影のある深みのある写真には一歩及ばないのではない か?と私は思っています。昔懐かしい光景の、現像液に感光印画紙を入れて徐々に美しい映像が浮かび上がってくるあの心のドキドキとした時めきはカメラを一 度弄った人には忘れられない感動ではないでしょうか。フィルムカメラにもメカ式腕時計のような復活が将来あるのではないかと ●続・時計の小話 第24話 ハートビート・マニュファクチュールについて●弊店取扱いのフレデリックコンスタント社の 『ハートビート・マニュファクチュール』 の 問い合わせが毎日何件かあります。2002年1月から弊店はフレデリックコンスタントの正規取扱い店になりましたが、デザインも秀逸で、アンテイーク調の 飽きの来ないメカ式腕時計を出来うる限りコストを抑えて販売している時計会社ですので、その企業姿勢に共鳴した人々に時折購入して頂きました。 2004年末にハートビート・マニュファクチュール(Cal.FC910 自社生産)の時計をSSケースで世界限定各500本限定で税込価格378,000円で売り出しましたが、当時はそれほど問い合わせや、来店客でそれを見た いという人は多くは無かったのですが、昨年末Cal.FC910をベースにして、 『ハートビート・マニュファクチュール・ムーンフェイズデイト(Cal.FC915-1 自社生産)』をSSケースで世界限定各888本で税込価格 493,500円で発売しました。選択肢が増えた為に最近では異常とも言える人気が出てきて、全機種に渡り品切れ状態が起きつつあります。 小生から見て、ネジはブルー・スチール製を採用し、地板裏側はコート・ド・ジュネーブを装飾し表地板側にはペルラージュ仕上げをしています。一番特 徴的な事は、テンプ受けを文字板側に設計する事により、6時位置のテンプの動きや緩急針の仕組みが表側からハッキリ見える、という独創的な設計になってい ます。 この機種はメカ式腕時計のユーザーの楽しみを増す為に、手巻き機構を採用しており、リューズでゼンマイを巻き上げる時、4つのホイールが連動して動 くという仕組みを採用しています。角穴・丸穴車をあえて小さくする事により、丸穴車と角穴車の間に2個の伝え車を置き、手巻きで各4個の歯車が動いてゼン マイを巻き上げるという、面白みを出しています。 創業者のピーター・スタース氏の曾祖父が時計文字盤職人だった影響でしょうか?文字板に強いコダワリを持った製作をしています。一部の機種には ギョッシュ彫りを採用し、インデックスは立体的なアップライド・インデックスを採用している為に、文字盤に陰影が出来、高級感を漂わせる雰囲気の顔造りを しています。 こういう非常に凝った時計造りをしているにも関わらず、コストを低価格に抑えている為に、最近ユーザーの人々も十分認知される様になり、売れてきた のではないか?と思います。緩急針も秒単位で調整出来るトリオビス・ファイン・アジャストメント方式を採用しており、精度も申し分の無い範囲に収まってい ます。 日本で凄い人気のあるXスイス時計の、地板仕上げをしていないバルジュー7750搭載のクロノグラフが40〜50万円以上する事を思えば、如何にフ レデリックコンスタント社の『ハートビート・マニュファクチュール』が、良心的でお値打ち品であるか解っていただけるのではないでしょうか? ●続・時計の小話 第25話 超音波時計洗浄機 について●オーバーホールの依頼を受けた腕時計は、完全に全てを分解して一度、 重要なパーツは揮発油(ベンジン)の中でハケで手洗いして、 超音波洗浄機にかけるのが一般的です。 (ハケの手洗いを省略していきなり超音波洗浄機にかける修理工房もあります。 忙しい修理工房やサービスセンターにいる、日に多くのノルマを課せられた 時計職人には致し方ないかも知れませんが)50年程前は、洗浄機が無かったので時計職人は、全てハケによる手洗いを していました。 小生が幼少の頃、父はいつも腕時計の分解掃除の時、黙々と刷毛洗いをしていた 光景が浮かびます。 父は刷毛手洗い後、布で揮発油を吸い取り、非常に細かい真鍮の網が張り巡らせた 小さな桶状の器にパーツ類を白熱球の下に置いて乾燥させていました。 その為に非常に多くの時間が洗浄に取られて効率の悪い作業になりました。 その後、ヴェルヴォ社が回転式時計洗浄機を発売して、時計店に大歓迎されました。 その後、回転式洗浄機では十分に油汚れ等が落ちない為に、新たに超音波発信を 内蔵した、『ヴェルヴォソニック超音波時計洗浄機』DC-8Wが40年ほど前に 売り出されて、時計修理をする時計店には、必須の修理設備になりました。 当時で10万円前後した高級な機械でした。1秒間に15,000回以上の周波数をウルトラソニック(超音波)と言いますが、 このヴェルヴォソニック超音波時計洗浄機は、1秒間に400,000回以上発信し、 この超音波を洗浄液中に伝えると洗浄液中には『キャビテーション』と言われる 空洞現象を起こして極めて小さな真空ポケット泡が南国の夜空の星の如く 無数に発生致します。 この泡が1秒間に400,000回以上発生する為に、液体があたかも沸騰したかの様に 外部から見えます。 この多くの微細な泡が連続的に発生し、地板・歯車等に当たりその力は非常に 大きくなり、洗浄液を強力にかつ迅速に撹拌し、どんなに微細な所にも侵入して パーツについた汚れた付着物を破壊・分散してスピーディに精密に洗浄作用をします。 地板、歯車、穴石、受石等に付着した老化した油や、 シミ汚れなどを取り除いて洗浄液の中に溶かし混んでしまう事が出来るのです。 現在の最新型、『ヴェルヴォ卓上型超音波自動洗浄機ETC-V』は885,000円します。 この機械は3つの洗浄槽と乾燥槽とで成り立っています。 弊店の超音波洗浄機は、精工舎の子会社であった『富士電気工業』社製CL101型を 使用しています。 この洗浄機は、さすが精工舎が監修しただけあって5つの洗浄槽と1つの乾燥槽で 構成されています。 弊店では、第1、第2洗浄槽に違ったスイスベルジョン潤滑液を入れて使用しています。 これらの優秀な時計洗浄機を使用しても10年以上オーバーホールをしていない 腕時計の油の汚れは取り除く事が出来ない為、掃除木や爪楊枝を使って 油汚れを取り除く様にしています。 超音波洗浄機は、時計職人にとって欠くことの出来ない修理機械ですが、 これとて万能ではなく、最終的には人手を煩わせなくてはいけない場合が 往々にしてあります。 ●続・時計の小話 第26話 ゼンマイについて●脱進機調整(アンクル爪第一停止量、第二停止量、剣先アガキ、クワガタアガキ等)を完璧に仕上げてテンプの片重りを十分に取り、ヒゲゼンマイの内 端、外端を理想曲線に仕上げても、一番肝心な事にゼンマイの力が弱かったり、ゼンマイトルクが十分に満たされていない場合は、精度はとてもおぼつかないも のになってしまいます。 それほどまでにゼンマイの力が十分に満たされているかどうかが、時計の精度を出す上で最低限の条件と言えます。ジャガールクルトのオフィシャルサー ビスセンターではオーバーホール依頼をされた時計には、ゼンマイが切れている、切れていないに関わらず、全てゼンマイを交換する事になっているそうです。 また、R社では、オーバーホール依頼の腕時計に対して香箱車とゼンマイを全て交換する仕組みになっているという噂です。 切れないゼンマイと言われているニバフレックス白色ゼンマイと言えども、毎日の使用による巻き上げ等により、金属疲労が生じ、切れないとも限りませ ん。定期的なオーバホールを怠るとゼンマイ油が乾燥して変質したりして、解けるときの抵抗値が大きくなり、瞬時に爆発的な力をもって切れる場合が往々にし てあります。 最近の経験では、R社のゼンマイ、ETA Cal.7701、セイコーCal45系のゼンマイ等は、3〜4年ごとのオーバホールを怠ると切れやすいと言えなくも無いです。瞬時に爆発的な力でゼンマ イがほどける為に、香箱の歯に過度な力が加わり、歯こぼれ現象が起きたり、カナが損傷したりします。そうすると、ムーブメント全体に大きな負荷がかかるの で、定期的なオーバホールは絶対必要と言えます。 昔の懐中時計の鋼鉄製のゼンマイの場合、長年の使用によりへタル場合があり、ゼンマイトルクが弱まり、ゼンマイ全巻きの状態でも、テンプ振り角が200度前後しか振らない場合があり、その場合は、テンプの振り角短弧で歩度の大きな乱れが生じます。 その場合ニバフレックスゼンマイに交換すれば良いのですが、なかなか寸法を合わせるのが容易ではありません。(トルクの強いゼンマイを入れたりしま すとテンプが振り当たり現象を起こし歩度がかなり進んでしまいます。)また鋼鉄製のゼンマイが切れてしまった場合、今日ではなかなか入手が出来ないので、 ゼンマイの切れた部分両先端に錐で穴を開け、ピスを別作してカシメて繋げる方法を小生は以前良くやった記憶があります。 自動巻のオーバーホールの場合、ゼンマイを香箱から必ず取り出し、古い油を完全に取り除いてからゼンマイ巻き入れ器で香箱の中に入れます。(解けたゼンマイを一度、手で香箱車の中に入れる作業をしてみるとゼンマイのトルクの大きさが感覚で手にわかって良い経験になります) 弊店では自動巻ゼンマイ油はセイコー社製S2を使用しています。また、手巻きのゼンマイ油にはメービス8200を使用しています。どのゼンマイ油がベストかは職人の長年の経験に頼るしかないかも知れません。 ●続・時計の小話 第27話 新品質基準●腕時計の品質・精度基準を公式に認定するのにスイス・クロノメーター検査協(C.O.S.C)が特に有名です。ロレックス、オメガ等のスイス高級腕時計のクロノメーターを認定しているのは、C.O.S.Cです。 他には、スイス・ジュネーブ州が伝統的時計製造方法の基準を定めた『ジュネーブ・シール』というものもあります。パテック・フィリップ、バセロン・コンスタンタン等の腕時計はジュネーブ・シールを取得しています。 ジャガールクルト社では独自に『マスター1000時間テスト』を行い、合格品にはその証明としてケース裏蓋に刻印が刻まれています。日本では、セイコー社が『メカ式グランドセイコー』のみに歩度証明書を添付して、厳格な検査をして合格品のみを市場に出しています。 かつてのスイス公認時計歩度検定局(B.O)が認定したクロノメーターよりも、さらに厳しく品質精度を追求した試験検査に天文台クロノメーターとい う世界最高度の精度検査試験がありました。天文台クロノメーターで有名なものに、ニューシャテル天文台クロノメーターとジュネーブ天文台クロノメーター、 フランス・ブザンソン天文台クロノメーターがありました。 天文台クロノメーターを取得した腕時計は過去に於いて高値で販売されていきました。(日本では唯一、手巻きグランドセイコーCal、45が天文台クロノメーターとして過去に販売されました) 2004年9月27日、スイス・フルリエ市の主導により、新・品質精度基準『カリテ・フルリエ』が発足しました。フルリエには、19世紀には数多く の時計工房が存在したほどの時計の街として有名ですが、ここに工場を持つ、ショパール、パルミジャーニ・フルーリエ、ボヴェ社等が参加して、新しい品質基 準局がスタートしたわけです。 カリテ・フルリエ(英文ではフルーリエ・クォリティ)には、4つの条件が明記されています。まず、C.O.S.C認定のクロノメータームーブメント である事(日差-4〜+6秒)。クロノフィアーブル試験(耐磁試験、耐衝撃試験、防水機能試験)を通過したものである事。そして目視検査があり、地板や受 けに仕上げと装飾を施しているかどうか?を見る事。最後にフルリテストが行われ、実際に人が腕にはめた時と同様の条件を設定して、フルリテスト機械によっ て測定するという厳しい検査が行われます。 最後の誤差の合格基準は日差0〜+5秒以内という厳格な品質検査になっています。カリテ・フルリエの認定を受ける腕時計の個数は限られていて、年間生産本数は2000本未満になるという事です。その結果おのずと高価格になってしまうのは致し方ないのかも知れません。 ●続・時計の小話 第28話 ユニバーサル・ジュネーブ再登場●アンティーク・ウォッチファンにとって、根強い人気のあるユニバーサル・ジュネーブが2006年2月より、日本に再登場した事はとても嬉しいビック ニュースです。ユニーバーサル社は1894年にエミーユ・デコームとジョルジュ・ペレによって、設立されたスイス名門時計会社の一つに数えられています。 1918年に時計工房をジュネーブに移転し、その後数々の歴史に燦然と残る傑作腕時計を世に送り出し続けました。 特にクロノグラフ時計メーカーとして、つとに有名で『トリコンパックス』はトリプルカレンダー機能付きのクロノグラフとして、絶大な人気を博してき ました。また、トリプルカレンダーとムーンフェイズ機能をい合わせ持った『コンパックス』も時計通にはとても人気のある腕時計でした。 ユニバーサル・ジュネーブ社は、当時からマニュファクチュールとして有名で1954年には、同社初のオートマ腕時計『ポールルーター』を発売し、 1955年には、世界最初に『マイクロローター』の薄型自動巻腕時計を開発しました。今日、多くの超有名時計会社がこの方式を真似ています。その歴史を紐 解いてみますと、揺るぎの無い確固たる技術力に裏付けされた実力のある玄人好みの時計会社と言えると思います。 この度、ヴィンセント・ラペール氏がユニバーサル・ジュネーブ社のCEOに就任して、新生ユニバーサル・ジュネーブ社として再出発しました。新たな シリーズは『オケアノス』と命名され、3針カレンダー付きオートマ、クロノグラフ、ムーンフェイズ付きのムーンタイマー,GMT表示付きのトラベラーとい う4つのアイテムから構成されています。オートマ以外は、デュポア・デプラ社のムーブメントを採用するなど、拘りを持った造りをしております。 小生は若い時からユニバーサル腕時計を2個愛用してきましたので、この度の本格的日本再登場をとても懐かしく、嬉しく思っています。将来ユニバーサ ル社はかってのように完全なマニュファクチュールの時計メーカーとして大きく変貌していくのではないか?と大いに期待しています。 (セイコークォーツクラッシュに遭遇し多くのスイス有名時計メーカーが倒産に追いやられていったにも関わらずユニバーサル・ジュネーブ社は一度も挫 けることなく今日まで存続してきましたが傑作メカ式腕時計を生産してきた工作機械、工具、設備等は破棄されてしまったものと思われその点が残念至極ではあ ります) 今回のオケアノス新シリーズはどれを見てもデザインが秀逸で、おそらく日本の時計ファンにも大いに歓迎され人気がでていくものと推察しております。 中高年の時計ファンの人々には、ユニバーサル・ジュネーブは、とても親しみのある時計ブランドですが、若い人々にはその名前はあまり浸透していないのでは ないか?と思われ、今後の広告宣伝活動・販売戦略が大いに重要な要素を占めるに違いありません。 ●続・時計の小話 第29話 レーシングウォッチ●レーシングウォッチと言えば、若人の血肉踊らせる腕時計が多々あります。アメリカ:デイトナ24時間耐久レースにメインスポンサーとしてロレックス社が名をあげ、デイトナ・クロノグラフ腕時計を今日まで発売している事はとても有名です。 ロレックスデイトナは正規品では殆ど販売している店はなく並行品では絶えずプレミアム価格になっていて異常とも言える人気時計になっています。(正規品を予約すれば数年以上の待ちは当たり前になっています)この傾向は後10年以上は続くものと思われます。 映画「スティング」で見事な詐欺師役を演じた名優ポールニューマンも、1977年にデイトナレースに出場した時に、腕にロレックスデイトナを着けて いた事は今では語り草になっています。(ポールニューマンモデルと言われているロレックスデイトナはアンティーク市場でけた外れの人気があり、価格も常に 高騰しています)。 リーズナブルな価格で世界中の時計ファンから人気を集めているティソ社も世界最高峰2輪ロードレース(モトGP)の公式計時を担当しており、その記 念モデルが「ティソ・モトGP」クロノ・クォーツとして、人気を集めています。25歳でワールドチャンピオンになった通称「皇帝」ミハイル・シューマッハ はオメガ社と手を組んでオメガ・スピードタイマー・オートマチック「ミハイル・シューマッハ特別限定モデル」を売り出しています。コラムホィールの本格的 クロノグラフCAL3301を搭載してファンから人気を得ております。 「高速の貴公子」と世界中のF1ファンから尊称されていたアイルトンセナはタグホイヤーと共同開発して、セナモデル第一弾を1994年に発売しまし た。しかし、その時セナはレース中の事故で不慮の死を遂げてしまった為、そのセナモデルは追悼の意味合いがこもり、セナファンから爆発的な人気を得た腕時 計になりました。 過去に於いてレーシングウォッチにタグホイヤー社は深く関わっており、時速300キロを越すスピードで千分の一秒を争うレースの計時に、オフィシャ ルタイマーとして参画してきました。インディ500でもタグホイヤー社は一万分の一秒で計時をし、インディ500記念モデルを発売したりしました。 千分の一秒を争うF1レースでは、時速300キロ以上のスピードが出ており、1秒違えば83mもの差が付き、その中に数台がひしめき合ってトップを 争うという想像を絶する過酷なレースと言えます。そのF1レーサーから信用を勝ち得た時計メーカーは、とても名誉な事だと言っても過言ではないでしょう。 ●続・時計の小話 第30話 うれしい電話●弊店の2004年度、時計技術通信講座卒業生のH君より電話連絡が入りまして彼が時計サービスセンターに就職する事が出来たとの事でした。彼は関西 の有名私大卒のIT技術に長けた人でその道のプロと言えるほどの能力を持っている青年なので時計修理技術修得の応募には趣味の範囲であろうと思っていたの ですが、その連絡には吃驚したと同時に嬉しくもありました。 彼は繊細で、礼儀正しくて良家育ちの優秀な青年であるので努力次第では相当伸びる逸材だと確信しています。きっと先輩の時計師の方達から可愛がられ て技術の伝承を授けられると思っています。それにしても思い切った人生の職業選択をしたと思う反面、能力のある青年がこの業界に足を入れてきたことが大い にこの業界にとってはプラスになり財産になると思った次第です。 職人の世界はいずれもそうなのですが、時計技術も負けず劣らず奥域が大変深くて一度足を踏み入れたなら余程覚悟を持って勉強・研鑽に励まなくては到底一人前の技術者には成れないのでH君には今後一生懸命に頑張って貰いたいと思っております。 5年間、24名の生徒を教えてきたわけですが、やっと苦労が報われて、良い人材がこの業界に入ってきたことが嬉しくてたまりません。挫けることなく頂点を目指して技術習得に励んで欲しいと思っています。(神戸市の秀才のH君もアンティーク・ウォッチ店を開業しています) 同じ時計技術通信講座卒業生の優秀なK君は昨年、「信州・匠の2級時計修理士」に合格したので今年は、更に踏ん張って1級を受験するとのメールがあ りました。2003年度、卒業生のK君も、まさしく逸材でこの業界で一日も早く充分飯が食える状態になって欲しいと願っています。 今まで教えてきた24名の生徒の中にも、もう一歩頑張ればこの業界に将来、身を置くことが出来るのではないかと思われる生徒が数人いましたので今後も鋭意精進して欲しいと願って止みません。 人に技術を教える事は大変な事で講座日の明くる日の疲労は頂点に達し、仕事が全く手につきません。その事を思いますと多くの弟子を育ててこられました角野常三先生、行方二郎先生、加藤日出男先生、飯田茂先生、菅波錦平先生、小野茂先生のご苦労が忍ばれます。 30〜40年程前の有名な時計師の諸先生は骨身と命を削って後進の育成・指導にあたられたことがこの頃つくづく思い知らされます。お側にも寄れない崇高な先生が沢山おられた事がこの業界をしっかり支えてきたのだと思います。 ●続・時計の小話 第31話(天真ホゾの洗浄) ●メカ式腕時計では、新品時の機能と精度を維持するには、定期的なメンテナンスが必要な事は言うまでもありません。定期的なオーバーホールを腕の確かな時計職人に委ねれば、メカ式腕時計の寿命は、数十年の長きに渡り生きるものと思います。 数年近く使用して、故障が起きてから慌てふためいて時計修理を出すよりも、3〜4年ごとの定期的にオーバーホールを出す方が、断然良いに決まってい ます。この頃では、ユーザーの方の認識度も高まり、故障が起きてから修理依頼されるよりも定期的なオーバーホールの依頼がグンと増えました。これは、とて も良い傾向だと、思っています。 最近、気になった事があります。大手のR社、J社等の日本のオフィシャルサービスセンターにオーバーホールを依頼しますと、テンプ受けからテンプを外さずに超音波洗浄をしている、との噂を耳にしました。(勿論、テンプ上下の穴石、受け石は、外してあるそうですが) テンプ受けから、テンプを外さないでオーバーホールをした場合、テンプ単体が取り出せない為、天真の上下ホゾをブラシで手洗いを省略する事になりま す。天真は、一時間に18000〜36000振動をしていますので、超音波洗浄だけでは、ホゾに付着した古い油が完全に除去出来ないものと思います。 弊店では、超音波洗浄をかける前に天真上下ホゾをブラシで手洗いし、なおかつ、ソージ木に天真ホゾを数回突き刺して汚れを取り除いてから、超音波洗浄をしています。 一度、テンプ受けからテンプを取り外すと、組み立てる時にヒゲゼンマイを必ず再調整しなければなりません。おそらく、その手間をサービスセンターで は省略する為にそういう作業段取りを取っているものと思われます。しかしながら、そういう作業をしていますと、時計職人がヒゲゼンマイを弄って調整する能 力がますます、喪失されていくのではないか?と懸念を覚えざるをえません。 時計職人の重要な要素の中に旋盤を自由自在に操り、天真、巻真等パーツを別作する能力がある事ですし、また細かい作業を長時間に渡り忍耐強く持続す る能力がある事です。また、一番肝要な事にヒゲゼンマイを両手にピンセットを持って自分の意志通りにピンセットを動かして、ヒゲゼンマイの外端、内端を理 想曲線に修正する能力があるかどうかが、最重要視されます。 サービスセンターの様なやり方ですと、時計職人のヒゲゼンマイ修正能力は、なかなか向上しないのではないか?と思われます。最近、マニュファク チュール化にめざましい躍進を遂げているC社が、巻き上げヒゲ搭載の自社ムーブメントを開発出来たのも、ヘッドハンティングにより、ブレゲヒゲゼンマイを 完璧に仕上げる時計職人を獲得出来たからだと、巷間言われています。 その事からも解るように、時計職人の大眼目は、ヒゲゼンマイを自由にピンセットで操れるかどうか?にかかっている、と断言しても言い過ぎではないと思っています。 ●続・時計の小話 第32話(グラスヒュッテ・オリジナル社) ●ドイツで産声をあげた時計メーカーに、ランゲ・アンド・ゾーネ、グラスヒュッテ・オリジナル、ノモス、ハンハルト、クロノスイス、ジン等の個性的な 時計メーカーがいろいろあります。ノモスとハンハルトは弊店では取り扱っているのですが、小生の店でも将来取り扱ってみたい、と思っている時計メーカーが グラスヒュッテ・オリジナルです。 ランゲ・アンド・ゾーネと共にグラスヒュッテ・オリジナルは、東西の横綱の地位に占めるドイツ時計メーカーと断言しても差し支えない、と思います。 社員数300人弱のマニュファクチュールの時計メーカーがこれほどまでに優れた時計を作り出せるのもドイツ時計産業の伝統の重みを感じざるを得ません。 ランゲ・アンド・ゾーネは、日本価格でどれも250万円以上する高級腕時計ですので、どなたでも簡単に購入出来る、という時計ではありません。しか し、グラスヒュッテ・オリジナルは、SSケースで70万〜90万円台で購入出来る腕時計があるので、3〜5年がかりの購入プランを立てて少し辛抱すれば、 入手出来る価格の時計だと思います。 グラスヒュッテ・オリジナルのCal.90を搭載したパノマティック・デイトは、SSケースで100万円を切る997,500円で販売されていま す。一流の時計職人が丹精を込めて作り上げた、この美しい機械の時計が100万円以下で発売されている事には驚きを隠せません。こういう価格設定が出来た のも、グラスヒュッテ・オリジナル社が世界でもっとも良心的な時計会社と言える、スウォッチ・グループに属しているから出来たに違いないと思います。 このCal.90の特徴は、ローターを地板中心に置かずに偏心させた事により、テンプの動きがローターに隠れる事なく、いつもユーザーに眺められる という、うれしい持ち味になっています。ローターはハーフスケルトンタイプになっていて、ローター外端部には、比重の重い、K21金を使用して自動巻き上 げ効率を高めています。 地板にはグラスヒュッテ伝統の筋目加工とベルラージュがしてあり美しい光芒を放っています。勿論青ネジを採用してあり、何処から見ても美しいと感嘆せざるを得ません。 また、一番特徴なのがダブル・スワンネックという緩急調整装置を持っている事です。左側のスワンネックのネジでは、ヒゲ持ちが微細調整出来、右側の スワンネック・ネジではヒゲ受けを動かす事により、緩急調整が出来るという時計職人にとってはありがたい調整装置になっている事です。 現在では、ほとんどのムーブメントは、可動ヒゲ持ち装置を装備していますが、可動ヒゲ持ち装置のついていないアンティーク腕時計の場合、片振り調整 をする時はヒゲ玉の割れ目にドライバー状の工具を差し込んで、目分量で調整をしては何回も繰り返して片振り調整を修正していました。 可動ヒゲ持ち装置の場合、そういうわずらわしさが無くなったのですが、それでもある程度は目分量で測からざるを得なかったのですが、グラスヒュッテ・オリジナル社のダブル・スワンネックでは、完璧に片振り調整が出来る、という装置になっています。 テンワには、比重の重いK18金を採用していて、チラネジ式テンプでありながら慣性モーメントを高めて、歩度の安定をはかっているという高度な技術 を駆使しています。こういう細部に渡りドイツ人気質らしいコダワリを持った時計が日本で100万円以下で購入出来る事は大きな魅力である、と思っていま す。 グラスヒュッテ・オリジナル社の代表的なキャリバーに、手巻きのCal.42 Cal.65があり、自動巻にCal.39がありますが、これらもCal.90に勝るとも劣らない美しい仕上げで製作されています。将来、世界中でグラス ヒュッテ・オリジナル腕時計はロレックスと共に大きな人気を博して行くに違いないと思っております。 ●続・時計の小話 第33話(好調なスイス・メカ式腕時計の輸入)●統計によると、2005年度の日本への完成腕時計の輸入個数は4217万個(対前年比0.3%増)で、金額では1931億円(対前年比9.6%増)で、金額では過去最高を記録したそうです。 その中でスイス腕時計は200万個(対前年比4.2%増)で、そのうちメカ式腕時計は、わずか40万6千個(クォーツを含む全輸入数の1%相当)であるにも関わらず、金額では851億円になったそうです。 メカ式腕時計の単品の輸入原価は、この数字から判断すると約21万円になり、スイス高級メカ式腕時計を日本の時計愛好家が好んで購入している事が伺 い知れます。首都圏ではミニバブルと言われ、土地価格が高騰しており、また日本経済の最近の著しい景気回復により株価も順当に右肩上がりになってきている 為に、一部の富裕層がその恩恵を被っている為でしょうか、東京のM百貨店・本店では、100万円以上もする高級腕時計が、月に何十本も売れるという、活況 を呈しています。小生が住んでいる地方ではとても想像しがたい事ではあります。 巷間メカ式腕時計の人気もそろそろ下火になる、と言われて来ていますが、この数字から判断しますと、まだまだ日本ではメカ式腕時計の人気は落ち込まないのではないか?と思っています。 その人気の下支えしているのは、スイス及びドイツ時計メーカーが魅力のあるメカ式腕時計を、毎年バーゼルフェア、SIHHで発表し、新発売している からに他ないと思います。スイス及びドイツ時計メーカーのメカ式腕時計に対する意気込みや思い入れは相当なものがあると感じざるを得ません。 弊店取扱いブランドのノモス、フォルティス、エポス、オリス、、ハミルトン、ティソ等も今後人気の出るであろう商品を新開発してきております。他で は、特に関心が起きたのでは、グラスヒュッテオリジナル社が自社開発のCal.100を発表して、セネタ・カレンダーウィークとセネタ・コンプリートカレ ンダーの2種類の腕時計を発表した事です。 グラスヒュッテオリジナルの文字板はどれも全く派手さはなく地味な造りになっていますが、それが余計に真の高級感を漂わせる飽きの来ない雰囲気を持った顔になっています。 フレデリック・コンスタント社が新開発の自動巻きムーブメントCal.FC-930を出し、ハートビート・マニュファクチュール オートマチック腕時計に搭載し、発売する事になった事も嬉しいニュースです。 モーリス・ラクロア社が自社開発のコラムホイール方式の手巻きクロノグラフムーブメントCal.ML101を開発してきた事は、モーリス・ラクロア 社も将来的にはETA社に頼ることなくムーブメントを完全自社生産を目指していく為の第一歩の踏みだしではないか?と想像しております。 国内メーカーでは、セイコー・クレドールが日本初の複雑腕時計をデビューさせた事でしょうか。このムーブメントは手巻きのスプリングドライブにソヌ リ機構を搭載し、毎正時に自動的に時数をカウントするソヌリモード。12、3、6、9に三回鐘を打つ、オリジナルモード、現時刻を知らせるアワーリピー ター機能も搭載している事です。 澄んだ音色を出す為に梵鐘製造で有名な土地柄の富山県高岡市にある、専門工場で作られた、お鈴(りん)が内蔵されているそうです。小売り価格はナント1,575万円もするそうで、おいそれとは買える時計ではないようです。 ●続・時計の小話 第34話(セイコー・ニューシャテル・天文台クロノメーター)●先月、東京のT様からメールがあり、 メールの内容からCal.45系の手巻きのグランドセイコーと思い、修理依頼品を送って頂けるように返事をしましたが、ご夫婦お揃いになって弊店に 車にて、ご来店頂きました。最近、遠方からの修理依頼品の持ち込みが多いのですが、ご夫婦で東京から来られたのには少しびっくり致しました。 この時計を受け取ってびっくりした事は、 『時計の小話 第23話』 に 書いているように、セイコー社が過去現在を通して初めてスイスニューシャテル・天文台クロノメーター合格品を市販した、時計であった事でした。この時計 は、セイコー社内精度等級、最高度の4Aであり、新品静止状態数値・日差-2〜+2という、極めて高精度の腕時計でした。 この時計は、第二精工舎の技術陣が開発したものです。おそらく組み立て・調整等は、野村、井比の両氏を中心に名工が精度調整されたものです。1970年前後はセイコーのメカ式腕時計に関しては技 術は頂点を極めた頃の時代でありました。 セイコーCal.45系(36000振動)は、手巻きのセイコー・ムーブメントの中では、極めて高精度の出る優れた機械なのですが,このスイス ニューシャテル・天文台クロノメーター合格品が、いかほどまでに優れた調整したムーブメントであるか、胸をときめかせてオーバーホールに臨みました。 分解するまでに過去の時計職人が如何様な修理をしているのか?精密に精査をしましたが、あまりにも稚劣な修理作業をしていたので腹が立つやら、情け ない思いにかられました。おそらく、過去において何度かこの時計の修理をした職人は、この時計のいわれを全く知らないで修理をしたものに違いないとおもわ ざるを得ませんでした。地板や各ネジにキズが多くつけられていて、ヒゲゼンマイも素人が弄ったように外端が変形しておりました。ヒゲ受けのヒゲ当たりも片 当たりになっていました。 東京にセイコー・サービスセンターがあるにもかかわらず、弊店を選んで修理依頼されたものですから、職人冥利に尽きるものです。意気込んで修理した結果、新品当時の許容精度以内に収める事が出来、ご期待に添えられそうで一安心致しました。 最近、セイコーインスツル(前身・第二精工舎)が43,200振動の超ハイビートのCal.ND58を完成させたそうです。スイスの高級腕時計パ テック・フィリップの様にガンギ車をシリコン製にして、無注油にするのではなくて、ガンギ車の表面にポーラス状(多孔)の加工をして、保油力を高めたそう です。当然、強いトルクのゼンマイを採用している為に、R社がしている様に、輪列車が摩耗しにくい様に硬質メッキを施したり歯車の厚みを増しているそうで す。 非常に魅力のある時計だと思われますが、予定価格が800万前後するそうなので、セイコーインスツルの会社姿勢に小生としては疑問を持たざるを得ま せん。かつての第二精工舎時代、名機のCal.45を搭載した、キングセイコーがお手頃な買いやすい価格で販売されていた事を現・経営陣は考慮すべきだと 思います。 ●続・時計の小話 第35話(時計学校と技術試験)●先日、全国紙のY新聞に時計技術学校 『東京ウォッチ・テクニカム』 の2007年度生の生徒を募集する広告がなされていました。学校説明会が7月5日、26日、29日、8月26日、9月4日と行われ願書締め切りが9月11日という事です。将来、時計技術で身を立てたいと思われる方は、問い合わせてみては如何でしょうか? 東京ウォッチ・テクニカムは、スイスの時計学校WOSTEPのパートナーシップ認定校であり、2年間で3000時間のカリキュラムを実施する本格的 な時計学校と言えるでしょう。初年度は応募者が沢山いて、入学競争率が大変難しいと聞き及んでいましたが、来年度はY新聞まで募集広告をするところをみる と、生徒集めになかなか苦労されているのではないか?と思われます。やはり、最大のネックは2年間でかなりの金額を必要とする事ではないかと思われます。 今日、機械式腕時計がこれほどまでに普及してきた現在、メカ式時計修理技術者の技量を客観的にユーザーの方に解る為に、長野県で、『信州匠の時計修 理士』の1級、2級、3級試験が一昨年より行われました。今年度から、セイコー・インスツル(前身・第二精工舎、子会社の盛岡セイコー工業 MSI)でも、新しく『いわて機械時計士技能評価』試験制度を創設されて、本年9月より同社で試験を行う事を発表されました。 時計技術の国家技能検定が、現在クォーツ腕時計に試験課題を限定されている中、あえて機械式腕時計を試験課題にして、技能試験を行うという事は、今後メーカーも本気になって機械式腕時計の時計修理技術者を育成していきたい、と思っているからに他ないと思います。 今回の、『いわて機械時計士技能評価試験』制度は、IWマイスター、1級、2級の3つの等級にわけ、学科及び実技試験を行い合否を判定するそうで す。盛岡セイコー工業 MSIの社員以外の方にも門戸を開放して受験できるそうなので、これはうれしい事ですが、西日本の方にとっては交通アクセスが不便ですので余程の決意がな いと受験できないのではないかと思われ、その点残念ではあります。 この試験を受験したいと思われた若い時計技術者諸君は、盛岡セイコー工業内、いわて機械時計士技能評価運営委員会(岩手県岩手郡雫石町板橋61-1 TEL:019-692-2694)に問い合わせてみるといいと思います。 小生も、5年後にはCMWの有志を集めてCMW(公認高級時計師)試験を必ず復活させたい、と思っています。その事が今までご恩を受けた諸先生への謝礼返しであると思っています。その為になんらかの行動を今後起こしていく覚悟でおります。 ●続・時計の小話 第36話 オールド時計を分解する時の点検事項●アンティーク腕時計や、30〜40年以上前の古い腕時計をオーバーホールでお預かりした時計を分解する時に、ゼンマイを半巻き程度リューズで巻き上 げて、テンプ振り角が180度前後あれば作業工程は順調に進んで悩む事もさほどありませんが、ゼンマイを巻いても全くテンプが動かない場合は分解する時 に、いろんな点に注意し、点検しながらバラさなければなりません。 1.外部からの点検事項として、ケースに大きなキズがあるかないか? 2.裏蓋を外して埃やゴミが入っていないかどうか? 3.ケースからムーブメントを取り出す。 4.テンプ受けを外して、天真の上下ホゾが曲がっていないか?確認し、 5.アンクルを外す前にゼンマイを完全にほどいて、以下の点検をします。 6.歯車のザラ回しの点検 7.裏歯車系の点検では日の裏車・小鉄車・筒カナ等の噛み合い状態を見ます。 8.角穴車を外して、香箱真のアガキとガタの状態を見ます。 9.地板の点検ではホゾ穴の穴石が亀裂していたり、欠けていたりしていないかを 上記のように、アンティーク腕時計や動かない古い腕時計の分解掃除をする時は、点検事項が一杯あります。難物時計や古い時計の修理には時間と神経を使うので、疲れる作業だと思わざるをえません。 ●続・時計の小話 第37話 姿勢差の調整方法●日差の歩度調整方法としては、一般的に緩急針(F/S)を動かす事により調整するのが普通ですが、その他に、いろんな方法があります。 ヒゲ受け、ヒゲ棒の間のヒゲゼンマイのアガキの量を微調整したり、大幅に日差が狂う場合はヒゲゼンマイ自体の長さを調整したりする事もあります。ま たチラネジ付きテンプの場合は、チラ座を入れて重量を変えて調整する方法もあります。微細調整方法としては、ミーンタイムスクリューやマイクロステラ等で 調整する事が普通であります。 古いアンティークの時計のオーバーホールをする場合、姿勢差が顕著に出た場合は、ヒゲゼンマイを外してテンワを片重り器で見てテンワの片重りがある かないか?を見なければなりません。ヒゲゼンマイを外端、内端を理想曲線に近づけて、ヒゲの縦フレ、横フレを修正して、これで姿勢差が出ないだろうと、確 信してもいざ機械に全てを組み込んで、歩度検定器で姿勢差を計ってみると往々して大きな姿勢差が出る場合がアンティークにはあります。 その場合は、ゼンマイをわずか角穴車で1〜2回転ほど巻いて、テンプの垂直姿勢の振り角を160度〜180度(短弧)にします。そして、リューズ下 (PD)、リューズ上(PU)、リューズ左(PL)、リューズ右(PR)の4姿勢の歩度を測量して、最大進みの姿勢差がどの位置にあるか?を捜します。 PDで、最大姿勢差があった場合では、竜頭下の位置にある時の静止した状態のテンプの下側リムをほんのわずかに錐で削って調整します。姿勢差を見つ ける為にテンプの垂直姿勢の振り角を160度〜180度にした理由は、テンプの片重りが振り角220度を境として、逆に出てくるからで、歩度の差が顕著に あらわれるテンプ低振り角で見つける作業をする方が良いと思われるからです。 片重りが垂直姿勢の下側にある時には、テンプ振り角220度以下の場合は進み、テンプ振り角220度(長弧)以上の場合は逆に遅れるという結果になります。 ここ2〜30年程前に生産された有名ブランドのテンワの片重りはメーカーの段階で殆ど完璧に取り除いていますので、それでも大きく姿勢差が出た場合 はヒゲゼンマイの調整が上手くいっていないためと思われます。ヒゲゼンマイの収縮運動が出来うる限り同心円上に収縮するようにすれば姿勢差は少なくなるも のと思います。 ●続・時計の小話 第38話 『ペルレ』・ダブルローター●先日、スイス高級腕時計 『ペルレ』・ダブルローター方式の自動巻腕時計 のオーバホールを致しました。 この自動巻の巻き上げ効率に優れた方式は、1995年のバーゼル・フェアでペルレ社が開発・発表したものです。ムーブメントを両面2枚のローターで挟む、この機構は『ディプペロス』と呼ばれ、大きな話題を提供しました。 天才時計師、アブラハム・ルイ・ペルレはスイスのル・ロックルで1729年に生まれました。1770年には、世界で最初に自動巻懐中時計を製作し、 230年以上にも渡って伝統と歴史を積み上げてきた、スイスの名門時計会社と言えると思います。創業は1777年まで遡りますから由緒有る時計会社と言え ます。 彼の血脈には有能な人材が多数誕生しており、スプリットセコンド・クロノグラフを発明したのは、彼の孫で、ルイ・フレデリック・ペルレという時計師でした。 昨年から経営体制を一新したペルレ社は、矢継ぎ早に魅力のある腕時計を発表し続けています。5ミニッツ・リピーターPG(294万円)、ジャンピン グアワー・パラジュームケース採用リミテッドエディション(新ムーブメントCal.P191搭載147万円)、スケルトンクロノグラフGMT (\987,000)、オートマチック・フライングトゥールビヨン(588万円)、パワーリザーブ(\399,000)、ビッグデイト・デュアルタイム (\367,500)、ダブルローター(\378,000)、ビッグデイト・クロノグラフ(\430,500)、アラーム・デイデイト (\672,000)等々、多彩なバリエーションを発表して、最近では、大変勢いのある時計メーカーの一つに数えられています。 ペルレを有名にした、ダブルローター方式とは、今回OHをして始めて良く理解できたのですが、今回OHした物は文字板がケース上部にネジ留めしてあり、上部のローターは足2本がついてある文字板状のものに取り付けて回転出来るようになっています。 その下側にムーブメントがあり、裏側のローターと上部のローターが、歯車一個で連結してあり、非常に効率良く回転運動をするようになっています。さ すがに特許を取っただけあって、自動巻機構としては非常に優れた方式だと、思います。自動巻としては複雑な機構にもかかわらず、価格を抑えている為に、 ユーザーの方々にとっては手の届く範囲なのが救われます。裏蓋側見た地板の仕上げも全く手抜きしていないで、綺麗で溜息が出るほどです。 ●続・時計の小話 第39話 井上信夫先生について●広大な敷地内に明治時代の有名な建築物や明治の文豪の屋敷を集めた 明治村にある、その多くのアンティーク時計を修復修理されたのが、日本で時計技術者として、一番有名な井上信夫先生です。先生は昭和45年から昭和 49年にかけて明治村の依頼により、展示されている明治時代の時計の修復修理をされて、全ての時計を正常に動く様に直されたのです。 その時の井上先生は、70歳代にも関わらず全身全霊を持って、その名誉ある仕事を完成されたのです。その業績はとても頭が下がる思いです。誰もがと ても真似が出来るものではありません。読者の方で名古屋方面へ旅行をされたなら、ぜひ、明治村に立ち寄って、先生の偉業を見ていただきたいと思っていま す。 小生も何度か明治村に足を運んでいますが、推察するに非常に困難な修理作業の連続であったと思わざるを得ません。おそらく、多種多様の部品別作、歯車入れホゾ、入歯、脱進機の大幅な修理等の難作業が多くあったと、思います。 井上先生は、米国時計学会日本支部の初代理事長に就任され、日本でのCMW試験の委員長として、一橋大学の山口隆二先生と共に日本時計技術のレベル アップに大いに貢献された、大恩人でもあります。小生は昭和47年に一度しかお会いしていませんが、背筋を伸ばされて毅然とした姿勢・態度には、おそれ多 くてとても近くには行けない存在の先生でした。 先生は明治33年に新潟県三条市でお生まれになり、(株)服部時計店(セイコー)に入社され、時計修理部門に配属されるや否や、技量・能力を大いに 認められ、若干30歳で修理部長になり、部下数十名の時計技術者の育成等に力を発揮されたのです。その後先生は、名古屋の(株)愛知時計電機に移られ、時 計研究課技師、時計検査課長、工場長まで登り極められた方でありました。 井上先生の夢は、スイス・ユリスナルダン製マリンクロノメーターに匹敵する、国産のマリンクロノメーターを製造するのが夢でしたが、資金の面で苦労され、その計画が一歩手前で頓挫した事は、日本時計産業史にとっては非常に残念な事であった、と言えます。 井上先生の逸話として先生は何処に行かれようと、小旅行されようとポケットにはピンセット、ドライバー、キズ見を常時、持って出かけられたそうです。先生の一生涯は本当に真の意味での時計師だったと思います。 ●続・時計の小話 第40話 時計台について●日本最古の時計台と言えば、札幌農学校演武場にあった時計台がつとに有名ですが、札幌に行かれた人は誰もが驚かされるのは、ビルの谷間に札幌時計台があるので、少しはガッカリされるのではないでしょうか? それに比べ、兵庫県豊岡市出石町(いずし)にある、辰鼓櫓(しんころう)は明治初期の時代を彷彿とさせる雰囲気のある町並みの中に建ててあるので、情緒ある風情を持っています。この辰鼓櫓も札幌時計台と同時期の1871年(明治4年)に建てられてもので、時を知らせるのに太鼓を叩く櫓でありました。 東京では、同じく明治4年9月から正午を知らせるのに、号砲を使用しておりました。当事の人々は正午の号砲を『ドン』と呼んでとても親しんでおりました。夏目漱石の『坊ちゃん』の中にも号砲(ドン)の事が出てきます。この正午の号砲は昭和4年(1929年)まで、60年という長きに渡って人々に正午の時刻を知らせ続けたそうです。それ以降は大型のサイレンにとって代わられました。 遡ること江戸時代の初期には、江戸の町民に時刻を知らせるには、朝と夕方のいわゆる明け六ツ、暮れ六ツ、の二回のみ太鼓を叩いて時を知らせていました。二代将軍秀忠の時代になると、市中に時の鐘が設置され、明け六ツ、暮れ六ツ以外にも、各時刻毎に太鼓を打ち鐘を鳴らす様になったと、言われています。 近江・彦根城にも、時打ち坊主がいて、交代で叩いていた鐘楼が今日まで現存しています。その他には埼玉県川越市に、現在でも残っている『時鳴鐘』が有名で、この鐘楼は高さ16mあり、明治の大火で消失しましたが、復元されて現在では観光名所の一つになっています。 時は金成りと言う如く、一秒一刻を争う現代人にとって昔の人の時間に対する観念はとても暢気で悠長で、今から思えば羨ましい限りかもしれません。茶道では、腕時計を外してお茶を嗜むのが礼儀とされていますが、休日の時ぐらいは腕時計を外して、時の観念の呪縛から逃れるのも、一服の清涼になるかもしれません。 |
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