マイスター公認高級時計師(CMW)がいる高度な技術のお店
イソザキ時計宝石店 ■トップページ ■当店の紹介 ■お支払方法 ■お問い合わせ ■サイトマップ
当店の紹介
・初めての方へ
・当店の歩き方
・店主紹介(地図あります)
・特定商取引に関する表記義務事項
・プライバシーポリシー
・CMWとは
・時計の小話
・HP担当者
・BLOG
お客様の声
・修理のご感想
・商品のご感想
・メルマガのご感想
時計修理
・時計修理実績
・時計修理料金表
・時計修理依頼
・時計修理設備
・時計修理工具
・時計パーツ
・今月のサービス品
腕時計
・アエロウォッチ
・エテルナ
・エポス
・オリス
・ジャッケエトアール
・セクター
・ゼノウォッチ
・ダボサ
・ティソ
・ノモス
・ハミルトン
・ハンハルト
・フォルティス
・ブルーノゾンレー
・フレデリックコンスタント
・ボーグリ
・ミューレグラスヒュッテ
・モバード
・ユニバーサル
・ユンハンス
・ラコ
・ラポート
・ルイエラール
・レビュートーメン
・ロンジン


クォーツ
・JETSET
・カルバンクライン
・キャサリンハムネット・レディス
・キャサリンハムネット・メンズ
・セイコールキア
・アンタイトル
時計グッズ
・ワインディングマシーン
・コレクションボックス
・時計革バンド別作
・伸縮バンド
文字板交換
・セイコー文字板
・シチズン文字板
時計ケース交換
・セイコーケース交換
・シチズンケース交換

腕時計関連
・機械式時計ご使用方法と注意点

・Q&A
・脱進機構造
・イソザキ博物館
・昭和時計広告
・時計技術通信講座
・時計技術叢書
・遠藤勉氏蒐集品
・有名人着用時計

掛時計
・ミュージアムクロック
・からくり掛時計
・電波掛時計
・業務用掛時計
・鳩時計
・ウォールクロック
・ホールクロック
・置時計
・キャラクター時計
ジュエリー
・喜平等
・メガネ
リンク
・時計関連
・白山市情報
・石川県観光案内
国際時計通信『水晶腕時計の興亡』
時計の小話
続・時計の小話
121話〜140話

●時計の小話 第221話(腕時計ケースについて)●

腕時計のケースには、いろんなたくさんの種類があります。
非防水の腕時計は、ガラスぶち、風防(プラスチック)、ケース本体、裏ブタ、リューズから成り立っています。
防水ケース側は、メーカーによっていろんな方法やら種類があります。
一番多く採用されている方法では、ガラスぶち、ガラス接触パッキング、ガラス、ダ円リング、見返しリング、ケース本体、スリット中枠、裏ブタパッキング、裏ブタ、リューズから成り立っています。
パッキングはシリコングリースを塗布してケースに密着させて、防水性能を高める方法を採ります。

防水角型腕時計の場合は、ガラスぶち、風防、パッキング、中枠、ダ円リング、裏ブタの構造になっています(一般的に角形ケース・トノー型ケースは丸形ケースよりも防水性能は落ちます)。
防水性能に秀れたワンピース・ケース(セイコーロードマチック、オメガ、過去のインタナショナルに多く採用)の場合、裏ブタが無い為に、巻真が2本に別れるジョイント方式になっています。
汽車の連結部分の様に、凹部と凸部に巻真が別れていて、噛み合いを確認しながら押さえ込むと、一本の巻真になり、ケースにセットされます。

時計メーカーによってはガラス側に2本のパッキングを採用している所もあり、古くなってきますと、そのパッキングの入手が大変難しくなったりして閉口する時があります。
かつてのキングセイコーや、グランドセイコーには、ガラス側のパッキングが台形の二段式になっていて既に生産終了で入手出来ない為、パッキングが亀裂・経年劣化して交換の必要がある場合、板状のパッキングと筒状の丸パッキングを組み合わせて代用したりします。

防水ケースはこれらの構成するパーツのどれ一つでも異常があった場合、防水性能が維持できなくて、使用中に湿気・汗・水等が入り込み、ムーブメントを錆させて痛めつける原因になったりします。
天下無双のローレックス・オイスターケースといえども、メンテナンスを定期的に行わないと、裏ブタとケース本体の裏側に汗・湿気等が染み込んで、ステンレスケースが錆びついて、著しく防水性能を低下させる原因になったりしますので、定期的なメンテナンスは絶対必要なのです。

防水側不良の原因には、幾つか挙げられます。
ガラスぶち部分では、「ガラスぶちのゆるみ、ガラス及び風防のヒビ・割れ、Oリングパッキング&楕円リングのヘタリ・変形・劣化等」が考えられます。
ケース本体部分では、「巻真交換後の長さが長い為の隙間、パイプ(チューブ)の抜け落ち・ネジ部のバカ、リューズシリコンオイルの塗布不良」等が考えられます。
裏ブタ部分では、「ネジブタ締めの緩みや不良、パッキングの経年劣化、シリコングリースの塗布不良」等があります。
水に腕時計をつける機会の多い人は定期的に防水点検を必ず受けるべきだと思います。
水が入ってから慌てて時計店に持ち込んでも、万事休す、の場合が往々にして見受けられます。

●時計の小話 第222話  厄介な作業●

先日久しぶりに、IWCフリーガーUTC自動巻腕時計(24時間のUTC表示・カレンダー付き・センターセコンド・Cal.37526・21石・28,800A/h・6気圧防水・ベース:ムーブメントETA2892−2)のオーバーホールをしました。
いつもこの腕時計のOHするたびに思う事があります。
1点のみ文字板側に非常に組み立てにくい作業があるのです。
2階立て日送り車、小さな中間車、筒車、中間車押さえ板を同時に3軸に入れる作業が非常にやっかいな作業なのです。(2階立て日送り車の2枚の歯の間に筒車の歯を入れながら軸に入れなければならないからです。)

いつもこの作業を行う時、ヒゲ修正用のピンセットを両手に持って、両手に日送り車と筒車を持ち、その間に中間車と中間押さえ板を持って同時に軸にはめ込むのは、至難の業が必要です。
特に中間押さえ板が、筒車の下の方の位置にいってしまう為に歯車が上手く噛み合わず、その調整に本当に苦労します。
ローレックスのGMT機構や、オメガのGMT機構と違って、IWCのGMT機構のフリーガーUTCは本当にやっかいな修理作業です。
小生は時折するので助かりますが、IWCのサービスセンターに勤めておられる、フリーガーUTCを専門に修理する技術者の苦労が偲ばれます。(毎日して慣れてしまえば容易な作業かもしれませんが、でもやはり嫌な作業でしょう。)

最近のモーリス・ラクロアの様に、ETA2892A2のムーブメントにいろんな付加価値が付いた、複雑時計を生み出しているスイス時計メーカーがありますが、これから4〜5年先にそれらがオーバーホールを迎える時期になると、日本の輸入代理店の修理技術者は大変な苦労をするのではないかと、思ったりします。(彼らには手引き書・マニュアルがあるから楽かも知れませんが、それでも大変な修理作業になると思います。)

やっかいな作業と言えば、クロノグラフの秒クロノグラフ針を取り外す時にも、大変な神経を使います。
リセットボタンを押した時に、強い力で瞬時に零規正する為に、秒クロノグラフ車に秒針を強く押し込んであります。
どんなに注意を払っても、秒クロノグラフ針が針本体と秒クロノグラフ車に埋め込まれるパイプとに別れてしまう時が時折あるのです。
針とパイプのカシメ部が取れて二つに別れた時、ポンス台を使ってカシメし直す場合が起きます。
秒針のパイプも非常に小さい為、タガネで強くカシメるといとも簡単に変形してしまう為、細心の注意を払わざるを得ないのです。
時計修理作業は、毎日、本当に神経が疲労する作業の連続です。

●時計の小話 第223話(ピンセットについて)●

毎日時計修理作業をする前に、必ずする事がたくさんあります。
細かいチリ・ホコリ等は精密機械の腕時計修理には禁物ですので、作業机を必ず綺麗に掃除します。
倍率の違うキズミを小生は3個常に使用していますので、キズミの汚れ等をキレイに取り除きます。
そしてドライバーの先端の、両側のコーナーが笑っていないか、10本のドライバー全てをチェックします(ネジ頭の大きさ太さによって10本のドライバーを使い分けます)。
ドライバ−の両端が欠けたり曲がっていたりしたドライバーを使ってネジを緩めたり締めたりしますとネジをキズつける事になるからです。
最近、両面スケルトンや青色焼入れネジを使っている時計修理が多い為に、昔よりもより以上の神経を使わざるをえません(スケルトンの場合、超音波洗浄機にかけないで刷毛手洗いのみの洗浄になる時もあります)。

私の作業机の上には、常時8本のピンセットが置いてあります。
毎朝作業をする前に、ピンセットの先端を二重キズミで見て、先端が上手く噛み合っているか、曲がったりはしていないか等を見て、万が一先端がずれていた場合や曲がっていた時はアルカンサス砥石で完全に修正します。
修理作業中に来客があり中断したりした時は、往々にして細かい部品を挟みそこねてバネ等を飛ばす失敗があるのです(微細なバネ等を飛ばしたりしますと、見つけるのに下手したら30分以上もかかったりして大変な目にあいます。愚妻は器用ではないのですが、飛ばした部品を見つけるのが上手く、いつもその時は助けてもらっています)。

小生の愛用ピンセットは、ヒゲゼンマイ用ピンセット2本、針修正用ピンセット1本、組立用ピンセット3本、バネ専用ピンセット1本、ROLEX天輪掴み専用ピンセット(4コーナーを面取りした傷が付かない工夫した物)1本、このピンセットはマイクロステラを使って秒単位の精度調整をする時に天輪を掴む為のピンセットです。

何故こんなに3本もの組立用ピンセットが必要かと言えば、受け石バネ用、各歯車やアンクル組み立て用、香箱や香箱真を持つ為に、そして紳士用、婦人用と『強さ』、『細さ』、『先端の形』、が違いがあるピンセットを使い分けて使用する必要があるからです。
その8本の内4本は、小生が30年以上使用に耐えてきた強者(つわもの)のピンセットです。
ピンセットを持った時の感覚が、30年間使用している為に、指の感覚と同一の様な慣れ親しんだ繊細なピンセットで、私の手の一部とも言える工具です。

小生は若いとき、軽い近眼だった為にその事が今では幸いし、この年になっても近業作業が無理なくおこなえます。
若い頃、正視眼の人は40代になりますと自然と老眼になり時計修理等の近業作業が大変辛くなるものです。
私の父は小生の年頃になったときには近用眼鏡をかけてその上にキズミを付けていましたから、修理作業は大変だったろうなーと思い出しては回想しています。

●時計の小話 第224話(技能競技大会について)●

全時連(全日本時計宝飾眼鏡商業協同組合連合会の略)主催の『第16回時計技能競技:全国大会』が10/17日、滋賀県大津市の近江勧学館(神宮町1-1)で行われました(大津市で行われたと言うことは大津にある近江時計眼鏡宝飾専門学校が長年に渡りすぐれた時計技術指導を行ってきて、この業界に沢山の人材を輩出してきた事への裏付けです。)
16日に開会式、17日に競技試験が実施され、18日に表彰・閉会式が滞り無く行われました。

競技試験は第一部門と第二部門に別れていて、第一部門(7時間)はメカ式自動巻及びクォーツの修理調整、第二部門(3字間30分)はクォーツのみの修理調整の試験です。
あらかじめ不具合ヶ所が作ってあり精度要求に従い修理・調整する実践的な試験です。
遠くは東北や九州からも大津市に集まり、第一部門は24人、第二部門には14人の受験生がいました。
年齢構成は20才代〜40才代の人々が挑戦しました。

メカ式の試験教材は海外生産モデルのセイコー自動巻デイデイト(Cal.7S26)で、クォーツの試験教材はセイコー(Cal.7T32)のタイプでした。
学科試験・部品(天真・巻真)製作の旋盤作業・天真入替・ヒゲゼンマイ合わせ等がある総合的な技能試験ではなく、若い人の腕試しには丁度良い試験だと思います。

第一部門はE氏(シチズン時計)が優勝し、2位はS氏(大阪セイコーサービスセンター)、優秀賞はS氏(盛岡セイコー工業・高級メカ工房部)。
第二部門はH氏(船引精密)が優勝し、2位はB氏(近江時計眼鏡宝飾専門学校生徒)、優秀賞はY氏(セイコーサービスセンター・グランドセイコーSS)でした。

こういう競技大会は時計メーカー、サービスセンター、時計専門学校生徒の若い受験生が多いのですが、もっと時計店の修理担当の若い人々も積極的に受けるべきではないかと思いました。
受験する意志を持ちますと一生懸命短期間に集中的に勉強するために飛躍的に腕が上がるものなのです。

●時計の小話 第225話  時計修理技能士試験の最近の動向●

機械式腕時計のブームにより、時計修理技能士の絶対的な不足が懸念されている今日、時計修理技能士試験受験者が、ここ2、3年増加傾向にあるのは大変喜ばしい事です。

昭和40年には1万人を超す受験生がおり、昭和41年には6千人を超す受験生が日本全国の各都道府県にいましたが、1970年代初期のクォーツ時代の到来により、時計修理技能士試験受験者は減少の一途を辿るのでした。
1990年前後からのスイス時計メーカーのメカ式腕時計に復活を賭ける意気込みと共に、日本市場にもメカ式腕時計の良さがユーザーに再認識されはじめ、どの小売り時計店でもメカ式がそこそこ売れはじめてきた訳です。

ここに至って、その頃販売されたメカ式腕時計の修理依頼時期が来る様になると、今まで修理を自店ではしていないでサービスセンターのみに頼っていた、小売り大型時計店の経営者達が慌てだし、従業員にせめて自店で販売した腕時計の修理アフターサービスをする様に気がつき始めたのです。

2000年に全国で僅か299人の時計修理技能士試験受験者がいたのですが、2001年には311人と増え、今年は全国で458人が1級(98人)2級(171人)3級(189人)を受験される予定です。
全国の時計専門店は、この厳しい時代の中生き延びてゆくには、修理技術を自店で賄う事の重要性をやっと気が付き始めたのです。

私どもの店の様に、零細な家族経営の店では、大資本の大店の品揃え・立地条件に同じ土俵で競争出来るハズもなく、この30年間、修理技術を蓄積してきた努力により、今日までなんとか閉店せず生き延びて来られたものと推察しております。
この業界に身を置く若い人達が、営業・事務・修理現場の範疇を越えて熱意を持って時計技術を習得するために気がつき、目覚めて欲しいと思っております。

かつてスイス時計業界と並び賞された日本のメカ式時計技術を復興させる為にも、既存の時計メーカーの人々のみに頼らず、消費者と直接向き合う小売り時計店の人達が時計修理技術を習得する事が日本時計技術全体の底上げ・レベルアップつながるものと確信しております。
やる気のある若い時計修理技能士資格獲得者が増えれば、おのずとCMW試験が再度、復活する気運が高まるものと思っています。
その時は小生も微力ながらお手伝いをする覚悟でおります。

●時計の小話 第226話  エポスについて●

弊店では昨年の6月よりエポスを取り扱いし出しました。 それまで時計の雑誌等でメカ式をリーズナブルな価格で良心的に販売価格を設定している スイス時計会社であると認識していました。 手巻き時計で2万円代から有り、自動巻腕時計では3万円からあるという 最近では考えられない価格に驚いておりました。 取り扱い当初はぽつぽつという感じで売れてきましたが今年になって時計雑誌で よく特集が取り上げている為か話題性もあり、輸入元の広告するタイミングも良く ここ2〜3ヶ月非常に良く売れてきだしました。 特に懐中時計の作りは驚嘆するほど綺麗でこの価格でよくこれまで作り上げることが 出来るものと感心しています。

買われたユーザーの方の評判も極めて良く売った方も嬉しい悲鳴を上げております。 両面スケルトン3305SL、3262SLやムーンフェイズのある3214SLは引き合いが一杯あり 納品がいつも遅れているのが現状です。 同じETAのムーブメントを採用しているにも拘わらず他のスイス時計メーカーが 余りにも高い小売価格に消費者の方々も気が付き始めたのかも知れません。 エポスがいかに買い得なメカ式腕時計であるか日本でよく理解されてきたためでしょうか? ココにいたって大きなブランドに成長する予感があります。 人気の3281SL、3260SLの手巻き腕時計は裏スケで懐中時計の機械が内蔵されていて 青ネジを所々採用して余りにも綺麗な造り映えに感心する程です。 精度も良く買われた人から賞賛のメールを頂いていて販売して良かったと つくづく思っております。

スイス時計メーカーがいろんな手を打ってきているので日本の既存の時計メーカーは 大変な状況になってきているのではないかと危惧しております。 (国産メーカーが力を入れている電波時計は正確さでは他を圧倒する精度ですが、 人が作った手作りの温かみが無いのが弱い点ではないかと思っています。) 歳末商戦に向けて11月14日に金沢でセイコーの展示即売会がありましたが 1時間ばかりいて来場者は私ども二人という寂しさでした。

かって2〜30年程前のセイコーの展示会と言えば人だかりの大盛況で 押すな押すな人で一杯でしたが時代も変われば変わるものとつくづく思います。 中部地方を統括する名古屋O支店長がきており、いろいろ雑談したり、 アドバイスをしたりしました。 特にメカ式GSのスケルトンや、GMTを年間仕入額(GS仕入れのみ)1000万円をとても達成出来ない、 地方の零細時計店にも卸して頂くよう申し入れをしました。 営業会議に諮ると言っておられたので、さて、どんな返事がくるのか、今から楽しみです。

●時計の小話 第227話  懐かしいご縁●

今月は、思いがけない人から電話がかかってきたり、メールが来たりしました。 11月12日には、精工舎に、この人あり、と言われた程、有名な時計設計技師 依田和博先生からメールがあり、小生が書いている、時計の小話を購読しているとの事でした。

依田先生とは、小生が25、6才の時に、お会いした記憶があります。 昭和47、8年頃、CMW全国会合が第二精工舎亀戸工場であり、恩師の加藤日出男先生と 東京に出掛け依田先生の講義を受けた事を、今でも鮮明に憶えております。 依田先生が、執筆された、『高級テンプ式腕時計の歩度調整』は私の座右の本で、 絶えず繰り返し読んだものです。 依田先生は現在、ひこ・ミズノ時計学校で学科の教鞭を執っておられます。

インターネットの時代になり、いろんな人々との邂逅があり、嬉しい思いをしております。 今年も、セイコー・トゥールビヨンを開発された、東谷宗郎先生からも、メールを頂戴し、 何回かメールを交換した光栄に授かりました。

また11月21日PM5:00頃、突然電話が掛かってきて、お話しましたら、 なんと、アメリカのネブラスカ州オマハ市在住の、遠藤勉氏からの電話でした。 彼とは、多少ご縁があり、昭和46年CMW試験で、同時に合格した間柄で、 年齢も似た年頃でした。 (彼は新潟出身で試験場は東京、私は滋賀県出身で大阪と違っていましたが) 遠藤氏は井上賞受賞というトップ合格で、小生が2位合格という関係でした。 昭和47年春に、開催されたCMW合格認証式(なにわ会館)で、初めてお会いしました。 トップ合格から、3位まではアメリカのベンラス時計会社に留学出来るという、 規定があった為,彼と一緒に米国へ行ける、と期待していたものでした。 (私が、新婚時代だった為、飯田会長の反対に会い結局はアメリカに行けなかったのが、 残念でしたが・・・。)

遠藤勉氏は、その後日本に帰国せず、アメリカで永住権を取り、海外で 活躍されてきている事を噂で聞き及んでおりましたが 31年ぶりに、突然の電話が掛かってきて、彼の肉声を聞いて、 非常に懐かしい思いに駆られました。 余りにも、懐かしさの為に、時間が経つのを忘れて40分以上も、お話をしてしまいました。 遠藤勉氏のお父様の隆氏も、CMW取得者で、日本では、珍しいCMW父子鷹です。 (遠藤隆氏は村木時計通信教育で優秀な成績で卒業され菅波錦平先生から 特別賞を受けられた技能卓越な技術者でした。) CMW父子鷹と言えば、千葉県に田村四郎・早苗、両氏もおられます。

●時計の小話 第228話  時の浪漫●

栄華を極めたルイ14世(在位1643-1715)から、16世(在位 1774-1792) の 住まいであったフランス・ベルサイユ宮殿は、豪華絢爛な部屋が700室もあるそうです。 その数にもビックリさせられますが、 ベルサイユ宮殿に設置されている当時からの蒐集された貴重な置時計・掛時計の数が 300個にのぼるそうです。 その300個を修理・補修するベルサイユ宮殿には、お抱えの時計修理職人が 現在2名おられて毎日、修理作業や補修点検をしているそうです。 (300個の時計の重鎮・ゼンマイを巻き上げるだけでも大変な作業と思います。) 中でもカラクリ時計の一番なのが、正時になると文字板の上に左右二人の騎士が表れ、 次に中央の扉が開いて太陽王ルイ14世が表れ、それと共に、上の方から王冠が出てきて、 ルイ14世の頭に戴冠するというものです。

唯一無比のからくり時計を保有する事は、当時は地位・権力・富の象徴として 扱われてきたのでしょう。 ベルサイユ宮殿には当時の技術の粋を集めて天文置時計も制作され、それは 文字板に西暦年数・月・曜日・日・ムーンフェイズ・子午線を表示してあり、 現在の今でも正確に動いているという代物です。 当時の時計技術の先進国はおそらくフランスが一番であっただろうと推測されます。 カトリック教徒への弾圧により、フランスの優秀な時計職人がスイスに亡命せざるを得ない 状態に追い込まれるまでフランスには、当時世界最高レベルの時計技術者がいた、 と推測するのは容易な事です。

不幸にもマリーアントワネットが、人類史上最高峰の時計師アブラハム・ルイ・ブレゲに 発注した、超複雑懐中時計はマリーアントワネットが完成するのを見ずにして 亡くなられたという事実は、悲しい哀愁を呼ぶものです。

東北大学のN元学長が、青春時代(心の旅路)を回想して、 ロンドンのある有名大学を再訪しそこにも現代でも通用する、 精度の高いアンティーク天文置時計が存在する事を紹介されて いましたが、近代西欧の時計技術のレベルの高さに、驚嘆します。

日本から発端したクォーツ腕時計の歴史はたかだか30年余りの時しかありませんが 機械式時計の歴史は何百年と遡れる永久の時間でそこにユーザーの方々が 時の浪漫を感じるのでしょうか? 機械式時計は誤差がでるという欠点を覆い尽くすほどの魅力 (極少のムーブの中に込められた人間の知恵と汗の結晶)を内蔵しているからなのでしょう。

●時計の小話 第229話  子供用機械式腕時計●

10月に、東京のA市からO様が当店に修理依頼の為にご来店頂きました。 その時計は、修理実績にも載っていますが、約30年程前に、シチズン時計が、生産した 子供向け用の『リズムタイム』というネーミングの手巻きの腕時計でした。 (Oさんが子供の頃お父様に買っていただいたという思い出の時計でした。)

当時、シチズン社は子供向け用に、『キンダータイム』と『リズムタイム』を 並行して販売しておりました。 当時の価格で\2,500前後という値段でお子様が、ちょっと背伸びをすれば 小遣いで買えるという良心的な低い価格で設定してありました。 クラブツースレバー・脱進機を搭載した7〜17石の機械で、 シチズン名機の『ホーマー』をベースとしていた為に、 価格が低く抑えられていたにも、かかわらず、 精度は当時で+−40秒前後に調整されて市場に出回っておりました。

当時のキンダータイムやリズムタイムと競合する子供用廉価腕時計には、 セイコー社が提供している『トモニー』、 アメリカのタイメックス社の『ピンレバーウォッチ』 スイス時計メーカーの『ロスコフウォッチ』等がありました。 (ジョルジュ・フレデリック・ロスコフが100年以上も前に作り出した時計) タイメックスのピンレバーウォッチもスイスのロスコフウォッチも 日差2〜3分の誤差が出るのが当たり前の許容精度でした。

それに比べ、国産の、トモニーやリズムタイム等は、かなり精度が絞れるメカ式を 内蔵していました。 O様からは、二回目のご来店の上での修理依頼でしたので、 この廉価版シチズン腕時計をなんとかクロノメーター規格の精度にしてあげたいと 思っていましたのでヒマな休みの日に時間を作って、ヒゲゼンマイ等を精密調整 (ヒゲゼンマイ外端曲線の修正、ヒゲ受け・ヒゲ棒のアタリ微調整、 平ヒゲの偏心する収縮運動の目一杯の修正、 テンワと平行になるようにヒゲ縦ぶれ修正、アンクル爪の第二停止量の修正)等を 行いました所、日差+5前後に精度が絞れる事が出来ました。

時計技術界の巨匠、H・イェンドリッキー氏が、下記のように言っておられます。 『どんな廉価な腕時計でもクラブ・ツースレバー脱進機を搭載していれば、 手抜きせずにヒゲ調整等すれば高級腕時計の精度を容易に与える事が出来る』と、 言っておられる事を、まさに体験した修理作業でした。

●時計の小話 第230話  新ムーブメント開発競争●

自動車業界には、リコール問題が必ず付きまといます。 数年前のM自動車のブレーキにかかわるリコール隠蔽騒動や、 最近では、H自動車のオートバイが高速運転中にハンドルが外れるという、 命に関わる大きなリコール騒動がありました。 人の命に関わる大きな問題なので、医療ミスと同等に大きくマスコミに取り上げられ また、担当行政機関が、厳しく監督改善命令を出す、という事が起きます。

時計業界に身を移しますと、10年来の機械時計の爆発的な復活により、 時計メーカーの資金面での、余裕が潤沢に蓄積され、 ここ2、3年スイス有力時計メーカーが矢継早に新ムーブメントを開発し売り出しています。 一昨年はショパール、ランゲ&ゾーネが画期的なムーブメントを発表し、 時計業界及び時計蒐集家の注目を集めましたが、 今年になると、有力時計メーカーの百花繚乱的な様相を呈しています。

中でも、ジャガールクルトの 『Cal.923』 (双方向巻き上げ自動巻、28800A/h、32石、40時間駆動、 時・分・秒/24年のタイムゾーン表示、AM&PM表示、パーツ総数281)

『Cal.877』 (巻き上げ持続8日間、28800A/h、25石、ツインバレル方式、 パワーリザーブインジケーター、ビッグデイト表示、デイ&ナイト表示、パーツ総数217)

ロジェ・デュブイの 『Cal.RD54』 (手巻き、21600A/h、19石、時・分表示)
『Cal.RD14』 (片方向巻き上げ自動巻、28800A/h、31石、54時間駆動、厚さ3.43mmの薄型)

プログレスウォッチのクロノグラフキャリバー 『Cal.154』 (28800A/h、37石、コラムホイール方式、二階建てでクロノグラフモジュールを 載せるのでは無く、設計当初からクロノグラフ機構を組み込んだ方式)

ユリスナルダンの 『Cal.UN−66』 (双方向巻き上げ自動巻、28800A/h、109石、42時間駆動、 ビッグテイト式日付表示、24時間アラームセッティングインジケーター カウントダウンインジケーター、アラームオン&オフインジケーター)

オーデマピゲの 『Cal.3120』 (双方向巻き上げ自動巻、21600A/h、40石、60時間駆動、デイト表示、 デイトジャスト方式、ジャイロマックス付きテンプ、 微調整機能付きヒゲ持ち、パーツ総数287、厚さ4.28mmの薄型)等に集約されます。

果たして今後、いろんなメーカーから新開発されたムーブメントが出てくるでしょうが、 何十年に渡り、順調に、動き続けるかどうかです。 時計業界にはかつて、リコール騒動というものが、ほとんど存在しませんでした。 人間の生命に関わる大きな問題で無い為に、万が一設計ミスで不良箇所による、 停止・故障という事があったとしても、公にはならず、静かに市場から消えていった ムーブメントは数限りなくあると思います。 新ムーブメントを搭載した、上記の腕時計の価格は相当小売価格が高く設定してある為、 誰もが容易に購入出来る腕時計ではありませんが、もしこの読者の方で、 近々購入する予定のある方は十分深慮して、買って頂けたら、と思います。

あの、高技術を持ったローレックス社が新機種の複雑時計を安易に開発生産しない姿勢に、 小生はロレックス社の良心的な社風を感じ入らざるをえません。 (弊社にはこんな複雑な時計を作れるとだという技術をユーザーに目を見張らせて 保持し迎合する姿勢よりも,安心して長く使える時計を販売するロレックス社の社風が 私は好きなのです。)

時計の機械は複雑になればなるほど部品数も多くなり、故障原因も多種多様化し、 メンテナンス期間も短くなり、それなりに維持費に料金が高くつく点を考えれば 色んな問題を内包しているのではないかと思っています。

●時計の小話 第231話   スター選手の腕時計●

読者の皆さんにとって今年はどんなお年だったでしょうか?
私にとって、一番うれしかったことは、昨年まで、巨人軍4番打者の松井秀喜選手がヤンキースに入団し、5月のスランプを見事に克服して、シーズン終盤に大活躍したことが、心に残った嬉しい出来事でした。

小生は松井秀喜選手が金沢・星陵高校時代からの大ファンでした。天賦の才能に恵まれているにも拘わらず、人一倍努力を続ける、ということを山下・星陵野球部監督もその当時からおっしゃっておられました。松井秀喜さんは、伊集院静氏のインタビューにも答えておられましたが、人の悪口を一切言わないという彼の人生哲学にも私は深い共鳴を覚えました。

幼い子達に、夢と希望を与えつづける、野球への真摯なまでとも言えるひたむきな姿勢に多くの人々が、彼に対して喝采を差し上げたものと思っております。ヤンキースのトーリー監督も「彼は誇り高き、男の中の男だ」言っておられましたが、
その言葉が私の中に深く刻んであります。(彼に一番相応しい言葉だと思っています。)

職業柄どうしても松井選手がどんな腕時計をしているのか?という興味があり、ついつい彼の左腕に目がいきます。渡米する前は、彼の左腕にはトノー型のバシュロン・コンスタンタンらしきものがありました。最近の彼の腕には、パネライのラジオミールが見え隠れしていました。さすがに、超スタープレイヤーは、ファッションにも敏感なものだと思っております。(きっと松井選手もメカ式腕時計が好きなのでしょうね)

Mrジャイアンツ・長島茂雄氏はセイコー・クレドールのイメージキャラクターを過去にされておりクレドールの日本での高級イメージの浸透・拡販に多大な影響を及ぼしたものと思います。長島巨人軍永久名誉監督は、おそらく今でもクレドールを何本か所有して愛用されているに違いありません。(服部セイコー時代、セイコーの展示会には長島茂雄監督がゲストとして呼ばれてもおりました。)今年、阪神を奇跡的な優勝に導いた星野仙一監督はウブロを長年愛用されてきたそうです。阪神優勝を記念して限定モデルのウブロが発売されたそうです。(スイス人もなかなかやりますね)熱烈な阪神ファンの方はおそらくこの希少価値のあるウブロ限定モデルを買われたに違い無いでしょう。

ローレックスGMT所有者と言えば、日活の大スター、石原裕次郎氏を思い出しますが高橋英樹氏もプラチナ・ロレックスを愛用されていると聞きます。日本テニス界を長年ひっぱてきた、伊達公子選手も国際的な大会で活躍するたびに自分自身へのご褒美としてロレックスを買われていたとのことです。大相撲の力士の人達は金無垢のロレックスを愛用されている人が多いと聞いておりますしNFLのヘッドコーチの人達の左腕にも金無垢のロレックスが燦然と輝いてるのを衛星放送を見ているとよく見受けられます。格闘技ともいえる激しいスポーツには多分、ロレックスが似合うのでしょうか。かつて木村拓哉氏がローレックス・エクスプローラー1をはめているので若人を中心に日本中で爆発的な人気が起こったのが、昨日の出来事の様に思い出されます。

私は若いときから、薄型の時計が好きなのでユニヴァーサルの時計を2個愛用してきましたが最近ノモスのオリオン(白)を自分用におろしました。新しい腕時計を身につけるということは、心がウキウキして青春時代の時のような新鮮な気持ちになれるものです。腕時計って不思議なパワーがあるものですね。読者の皆さんにも、思い入れの深い、肌身離さず愛用されている腕時計がきっと何本かあるのでしょうね。

●時計の小話 第232話  記念の腕時計●

贈り物をなされる時、読者の方は、まず第一に何を贈ったらいいか?といろいろ悩まれ何を浮かぶでしょうか?会社の創業何十周年記念とか、結婚25年記念とか、大きな節目の時には、腕時計を贈られる方がとても多いと思います。弊店のHPを立ち上げてから、色々な方々から、お父さんや、お祖父さんから何かの記念に貰った腕時計の修理依頼が舞い込む事を考えれば、そういう個人の記念碑的な思い出の籠もった腕時計が沢山とあることでしょう。また、お父様が退職記念に会社から、また勤続30年記念として頂かれたりした腕時計や、勤続何十周年記念として腕時計を会社から頂かれた報償・記念の腕時計の修理依頼も時折きます。おのおの、人達が持っておられる腕時計には、個人の歴史が籠もった腕時計がさぞ多い事でしょう。

先日、12月28日のNHK衛星放送を見ていましたら、『永遠のヒーロー 石原裕次郎』という、番組が放送されていました。その中で、石原まき子夫人が、非常に大切に肌身離さず大事にされている腕時計が2本紹介されていました。

一昨年の秋に、小樽市にある『石原裕次郎 記念会館』を訪れた時に、裕ちゃんが普段から愛用していた腕時計が、10本以上ショーケースに陳列されていました。まき子夫人が東京の自宅に今も大切に保存されている腕時計は、これらの小樽にある時計ではなく、まき子夫人が裕ちゃんに最初のプレゼントとして、贈られた品でした。それは『OMEGA 角形手巻き腕時計(センターセコンド方式ではなく、インダイヤルセコンド方式)』でした。もう一個は裕ちゃんが、まき子夫人に初めてプレゼントされた『オーデマ・ピゲ 手巻き腕時計』でした。この時計は裕ちゃんが初めてヨーロッパ旅行をしてきた時のおみやげだと、まき子夫人は語っておられました。人それぞれに、他人には想像を絶する大切にされている腕時計があるものだとこの番組を見てしみじみ思いました。

石川県に某ベンチャー企業があります。この会社は、0.5mm角の超小型チップを開発した、技術集団の企業です。(この超小型チップは、紙に埋め込めるのが可能なので、パスポートや紙幣の偽造防止などにも将来採用される見込みがある次世代技術として、脚光を浴びています。)

マレーシアの当時のマハティール首相が、国家プロジェクトとしてこのチップを採用する事を決め、昨年4月全くのお忍びで石川県の会社に訪問されたそうです。その時、マハティール首相から、高級腕時計『L』・『P』が記念品として贈られたそうです。

心の籠もった何十年にも渡り残る贈り物には、腕時計が一番相応しいものかもしれません。

●時計の小話 第233話  埋もれたロレックスの名機●

現行のロレックスの自動巻腕時計のムーブメントの最高傑作は、男性用でCal.3135(31石)、女性用でCal.2135(29石)である事に対して、誰も異存を挟む人はいないと思います。

最近の傾向として、女性の方でも、大振りのロレックスを求められる方が増え、ボーイズタイプのロレックスが以前にも増して、女性から問い合わせ等が増えています。若い男の人でも、腕の細い人には、メンズのロレックスよりもボーイズタイプのロレックスを求められる人が増えてきています。ボーイズタイプのロレックスには、女性用のムーブメントCal.2135が内蔵しているのが多いのですが一部の機種に限って、違うムーブメントが入っています。

REF.77080(SSモデル定価\338,000)のボーイズタイプのロレックスのムーブメントは、Cal.3135を小型化した、ブレゲ巻き上げヒゲ採用の優秀なムーブメント、Cal.2230(31石)を搭載しています。Cal.2135も優れたムーブメントには間違い無いのですが、平ヒゲゼンマイを採用しており、調整等は易しいタイプですが、Cal.2230は、ブレゲ巻き上げヒゲゼンマイを採用してあり、高度調整力が必要で、時計修理技術者の能力に応じて素晴らしい精度・等時性を発揮するとても良い機械です。

他のスイス超高級腕時計、パテック・フィリップ、オーデマ・ピゲ、等がブレゲ巻き上げヒゲから平ヒゲゼンマイへ移行しつつある中、ショパール、ランゲ・&・ゾーネ、等はあえて、調整が難しいブレゲ巻き上げヒゲの機械を採用しつつある事に、敬意を表しざるをえません。(その中でもロレックス社は創業以来から今日まで調速機に巻き上げヒゲに固執し続けた希有な時計メーカーです)

ロレックスのCal.2230のムーブメントを採用した腕時計が、30万円台で購入出来る、という事はとても、お値打ちな価格であると、私は思っています。腕時計を購入される時、時計のデザインを重用視しないで、中のムーブメントを最重要視する女性の方や、腕の細い男性の方には、購入の選択肢として、ロレックスREF.77080(SSモデル定価\338,000)をぜひ選んでほしい、腕時計の一つです。

●時計の小話 第234話  ドイツのマイスター制度●

日本には、職人の技量を客観的に測る制度に、労働省認定の三級、二級、一級技能士試験があります。昔から緻密な工作機械、飛行機、車、等を生産してきたドイツには、職人の身分を示すのに伝統的な『マイスター制度』が現存しています。800年前のドイツのニュルンベルグのギルド(同業者の組合組織)、ツンフト(手工業者の組合組織)から生じたものと言われております。

その頃の、大工、左官、石工、家具、仕立、時計職人になろう!と思った青年は徒弟として、親方職人(マイスター)に弟子入りし、数年に渡り見習い修行をし、職人として認められる様に努力したものです。その制度は、今日のドイツにも継承され、多くの腕利き親方職人を育てあげています。(世界有数の工業国家として世界に認められた事実には、こういう社会の底辺から職人がしっかり屋台骨を支えているからなのでしょう。)

ドイツで国家資格の『マイスター試験』を取るには、高卒後、最短で6年が必要と言われています。高校卒業後、各地方の職業専門学校に入学し、実務と知識を習得し、まず第一段階として職人試験に合格しなければなりません。職人試験に合格後、さらに上のマイスタ−を取得する為には、親方職人の元で、実務経験をさらに積み上げる方法と、放浪職人(ヴァルツ呼ばれている)になって各地方・各国家を放浪して、三年と一日間、実務の経験・勉強をしながら、旅をしつづけるという、苦難に満ちた過酷な運命・試練に自らを委ねなければならない、という方法があります。

自らを奮い立たせる気力・体力・精神力を持続させ、成就した青年のみが、国家試験の『マイスター試験』を受ける事が出来、合格後、栄えあるマイスターと名乗る事が出来るのです。現在、この過酷な放浪職人をしている青年が150名に上るという事をNHK衛星テレビで見て、彼らの職人に対する熱情を推し量る事が出来、とても感動を覚えました。(1880年代が全盛期で独逸各地で帽子をかぶり杖を持った放浪職人が一杯見受けられたそうです。その彼らをドイツ国民は尊敬し温かい眼差しで応援していたそうで、その気持ちは今でも脈々とドイツ国民に受けつながられているそうです。)

放浪職人の青年達はヨーロッパ中の7、8カ国を徒歩で、歩き回り、多い人になると3年間で、8000kmを歩き回るらしいです。服装も黒ずくめで、ベストには8個のボタンがありその意味は『一日に8時間労働する』という意味だという事です。また上服(ブレザー)には、6個のボタンがあり、その意味は『一週間に6日間労働する』という意味だという事です。放浪職人は、実務記録帳(ヴァンダーブーツと言われています)携帯し、三年間の放浪中、どこの親方職人(マイスター)の元で、仕事をしてきたか、あるいは、親方職人からその仕事ぶりの評価を実務記録帳に書いてもらうという義務があるのです。三年間の放浪後、その実績が認められ、マイスター試験の受験資格が与えられ、合格すれば『マイスター』の認定書が国家から授けられるという仕組みが、現在のドイツでも歴然と残っている事に感銘を受けました。

私の若い頃にも、腕の立つ若い時計職人が、2,3年毎に著名な時計親方職人のいる時計店を渡り歩いている姿を多く見かけました。彼らは、親方時計職人から色んな、技を修得し、さらに上を求めてまた、違う親方時計職人の店で働くという、研鑽を積み上げていったものです。そういう私も、福島県の菅波錦平先生、大津の行方二郎先生、大阪の加藤日出男先生、神戸市の小原精三先生の元で教えを請い、修行をしてきたのがこのテレビ番組の放浪職人を見て、懐かしく思い出されました。

●時計の小話 第235話  ネジについて●

30年〜40年以上も使用され続けてきた、腕時計のオーバーホールをする時には、簡単な作業でも細心の注意を、払わざるを得ない時があります。特に、極薄の自動巻腕時計の時のネジを締める時に、起こる場合が多いです。(極薄の自動巻腕時計・手巻腕時計の場合はネジが薄く・小さく・軽くなるためです。)

それは、丸穴ネジや側留めネジ、文字板留めネジ、等を緩める時や、締める時に、ネジ頭が折れてしまい、オネジ部分がメネジ部分に、埋め込まれてしまう場合がある時です。折れ込んだ、オネジ部分を抜き取る作業は、簡単な様で大変な目に遭います。何回もオーバーホールをしてきた時計ですと過去の於いてネジを何回も緩めたり締めたりしているためにネジ部が金属疲労で劣化していてちょっとの力具合で折れてしまうのです。(一つのネジを抜き取るのに2時間以上の必要な時も往々にしてあります。)

分解途中で折れ込んだ場合は、マシですが、洗浄後、組立注油作業中に折れ込んだ場合は非常にやっかいな手のかかる作業になります。ピンセットの先端で回しながらオネジ部分が抜ければたやすい事なのですが、オネジ部分がメネジ部分の上にでていない場合は、ピンセットで回しながら抜き取る訳にもいかず、メネジ部分に油を差したり、折れ込んだ部分に熱風を与えたりして、抜き取る作業をしますが、それでも、オネジが抜き取れない場合、ポンスで、叩きだす以外、方法がありません。

無理矢理ポンスで叩き出した場合には、メネジ部分のネジ溝が壊れる為に、タップでメネジ部分のネジ溝を作って、前回よりも、やや口径の大きいオネジを使って、ネジ留めします。その作業によって、その部分がどうしても汚れてしまう為に、また分解して洗浄注油をしなおすハメに陥り、大変な時間の消費を食らってしまいます。

スイス時計の日本サービスセンターやセイコー・サービスセンターが30〜40年前の修理依頼があっても断る原因の一つに部品が無い為に、やむを得ず断る場合もあるでしょうが、オーバーホール作業中に、ネジ折れが頻繁に起こりうる可能性がある為に、作業段取りに手間がかかり、断っているのが実状ではないのかな?と思っています。

今まで、何十種類もの、腕時計のオーバーホールをしてきましたが、唯一安心して、ネジを緩めたり、締めたり出来る時計メーカーは私にとってはロレックス社のみでした。特に、C社の丸穴ネジ・角穴ネジは折れやすく、いつも「折れるのではないか?」とビクビクしながら、作業をしたものでした。

新品購入後、最初のオーバーホールが一般的に一番大切である、と言われているのは、「ネジ部」「カナ部」に起因する事なのです。鋼鉄製のオネジと、地板に使用されている真鍮合金製のメネジ部を、締める時や緩める時に、必ず、ネジ部どうしの大きな摩擦により、真鍮の微細なクズ粉、鋼鉄部の微細なクズ粉が生じて、それらが、時計の心臓部や歯車のカナ、穴石等に付着したりして、大きな故障の原因になる場合があるのです。(勿論、カナ部と歯車の歯との噛み合いによってもクズ粉は生じます。)

よって、新品購入時からの最初のオーバーホールの時は、3年〜4年を目安にして、オーバーホールを依頼された方が良いと思います。最初のオーバーホールは超音波洗浄にかける前に必ず十分な刷毛洗いが必要なのはこのクズ粉をきれいに取る為なのです。

●時計の小話 第236話  日本とスイスの時計産業の位置関係●

2003年度の統計資料によりますと、
日本製(セイコー・シチズン・オリエント等)の 腕時計の生産(海外生産を含む)は、
腕時計の完成品売上個数では、7921万個、 金額では、1136億円で、
1個の単価が1,434円になるそうです。

ムーブメントの生産個数は、6億8721万個、金額にして、844億円で、
1個のムーブメント単価が約123円になります。
(余りにも金額が低いので愕然としてしまいます。)
日本の2003年度の機種別腕時計の生産概要(海外生産を含む)、は
水晶アナログ腕時計の生産個数は、7億3922万個になり、
金額では、1734億円 になり1個の水晶腕時計の単価が、わすか234円になります。

最近、人気がとみに薄れてきた、
水晶デジタル腕時計の生産個数は、2399万個になり、
金額ベースでは、161億円になり、デジタル腕時計の1個の単価は675円になります。
機械式腕時計は、おそらく中国で大多数を生産しているものと思われますが、
321万個を生産しており、金額では、86億円になり、1個の単価は、
それでも2,700円にしかなりません。
僅かな数量の高級機械式腕時計のほとんどは、
日本で生産されているものに 違いありません。

世界の腕時計の、総生産量は(完成品・ムーブメントを含む)、約13億個で、
日本は約7億個、香港は約3億個、スイスが約1億個、
その他諸国 (中国、ロシア、アメリカ、東南アジア)が約2億個になります。
スイスの腕時計の生産概要は資料によりますと、
機械式腕時計が、2900万個で、 金額では、4982億円もの高額な金額になり、
1個の単価が、17,180円になります。
日本の機械式腕時計の単価に比べて6.3倍もの価格になります。

スイス・水晶アナログ腕時計の生産個数は、2500万個で、金額では、3954億円になり、
1個の単価は、15,816円になります。
日本の水晶アナログ腕時計の単価に比べて67.5倍もの高価格になります。
スイスでは機械式腕時計とクォーツ腕時計が
拮抗していることがこの数字から 窺いしれます。
日本と同じ様にスイスでも水晶デジタル腕時計の生産個数は、
減少の一途を たどっており、わずか40万個しか生産されておりません。
1個の単価も、9,987円になります。
(でも、どの機種でも日本製よりもスイス製の価格が高いのには
商品に高付加価値がついているからでしょう。)

この上記の情報から読みとれる事は、スイス時計王国が、
見事に復活したことを、 如実に表している事を示すと思います。
そして、高級機械式腕時計の生産に力を入れ、それと見合う様に、
販売数量・金額も、 他国を圧して伸びてきている事を、表しています。
スイスの、腕時計の輸出先は、やはり、アメリカ合衆国が第1位で、1400億円、
第2位が、あにはからんや香港で、1300億円。
第3位が、意外にも日本で、935億円。第4位イタリアで、690億円。
第5位がフランスで、570億円。 第6位が、ドイツで535億円。
第7位がイギリスで、477億円になります。
世界の腕時計の金額ベースに占める割合は、スイスがダントツで1位で、
おそらく 70%前後を占めている事を考えれば、高級腕時計は、
スイス製、という事が 世界中の人々に、
再度、強く認識されてきた事を強く思わざるを得ません。

クォーツ腕時計が、出現した1970年当初、セイコー製が精度の面で、
圧倒的な優位に立ってスイス時計産業を大打撃を与えたものでしたが、
今では、消費者のニーズを的確に捉えた、
スイス時計産業の洞察力に軍配があがり、
さぞかしスイス時計産業に従事している人々は、
勝利の美酒に酔いしれているものと、私は推察しております。

●時計の小話 第237話 アンティーク・ジラールペルゴの修理について●

先日、例年よりも大雪の為、道路に残雪が残るなか、
身なりの良い恰幅のある紳士が 弊店にこられました。
小生も滋賀県出身なので、お話をしていたら、
関西なまりの言葉だったので 『大阪の方ですか?』と問いましたら、
『K市から来ました』と、 おっしゃられました。
ご来店の意向を聞きました所、
『親戚の方の遺品を形見分けとして頂いたので
今日持参した6個のアンティーク腕時計の修理をしてほしい。』との事でした。
石川県は温泉地や観光の名所も沢山ある為そのお帰りの途中ですか?
と問いました所、
『イソザキ時計宝石店に修理を持ってくるだけの目的で、来たのです』
と 言われまして、大変恐縮してしまった次第です。

4年前に弊店のホームページを立ち上げてから、
本当に遠方と言える所から、
大切にしておられる腕時計を持って弊店に訪ねてこられる人が多くなり、
大変うれしく思う反面、修理依頼が増えて、
少し疲労が蓄積している 今日この頃ではあります。

K市のH氏が持参された、修理依頼品の中に、
目を見張る時計が2〜3点あり、 ここで紹介したいと思います。

・ジラールペルゴー男性用手巻き角形腕時計・文字板紺色・SSケース ケースNo.9386GA 709 17石  Cal.091-374 この時計は手巻きで、おそらく35年以上の前のものでしたが、 ムーブメントの造りもしっかりしていて OH後、溌剌とした青年に生き返った様に、調子が良く見事に蘇生しました。 とても大切に使われてきたのでしょうか、外見も綺麗で機械もまた美しく 見ているだけで惚れ惚れする手巻きムーブメントです。

・ジラールペルゴーGYROMATIC腕時計SSケース39石 ケースNo.3109930   39石 78241891は外観はかなり草臥れていましたが この時計の機械も、かつてのGPの実力を十二分に発揮していて、 設計に寸分の狂いもない完璧な薄型の自動巻でした。 こういう時計のオーバーホールをして、完全に停止していた腕時計が再度、 命を与えられテンプが動きだし、正確に時を刻み出すのを見るにつけ、 時計修復師として、この職業になった事を大げさな言い方ですが、 有り難いなと思う瞬間です。 ※上記(2つ)の時計は、修理完了していますので、HP上の『修理実績』で 見る事が出来ますから、ぜひ見ていただきたいと思います。

・ジラールペルゴー女性用手巻き角形腕時計SSケース Cal.6189  994  ケースNo.8037 0108 17石 も、おそらく45年以上前の代物ですが、ゼンマイが切れていましたが、 なんとかパーツを入手して、修理完了したいと思っております。 (余程のGPファンだったのでしょうね。当時としてはGPを3個 所有しているなんて大変珍しいと思います。 何せ日本ではその頃、オメガ、インターナショナル、ロンジンが 幅を利かせていた時代ですから。)

最近のジラール・ペルゴー社の活躍も素晴らしく、
フェラーリとタイアップした、
デザインの優れた自前のクロノグラフ・ムーブメントを新規開発して、 素晴らしいデザインの垢抜けした腕時計のシリーズを発売しています。 新規に搭載されたクロノグラフはCal.3080で文字盤側にコラム・ホイールを採用し 特殊な構造をしております。 クロノグラフモジュールを自動巻機構と、一体化した本格派で文字盤側に セットした特殊構造のムーブメントの為、直径22.3mm、厚さ6.28mmという 小型化に成功しています。

(※ジラールペルゴ関しましては、時計の小話『第27話』でも 取り上げておりますので参照して下さい。 http://www.isozaki-tokei.com/backnumber2.htm)

後の3個の修理依頼品は
・オメガ女性用手巻き丸形腕時計GPケース Cal. 620 ムーブNo19120348 17石 これも地板を赤金メッキ仕上げをした、素晴らしい美しいムーブメントです。 Cal.620は1961年に完成して、それ以来あらゆる技術革新を取り入れ 改良に改良されてきたオメガの薄型女性用手巻き腕時計ムーブメントの 名機中の名機です。(ムーブメントの直径18mm、厚さ2.5mm 19800振動)

・チュードル婦人用自動巻き丸形腕時計SSケース Cal.ETA-2555  21石  ケースNo.7576/0 673171

・DEN−RO婦人用手巻き角形変形腕時計K18ケース Cal.フォンテンメンロン社60   17石 ケースNo.0.750 18K  (おそらく推測の域ですが、50年以上も前に、スイスにDEN−ROという商社があり その会社名をブランドにして、日本が輸入した腕時計だと思います。) 修理完了しましたら、これら3点もHP上で紹介する予定でおります。 日本人は時計が好きな民族だと過去に於いて言われてきましたが 本当にそうだなとつくづく思います

●時計の小話 第238話   時計洗浄について●

腕時計のオーバーホールをする場合、
必ず店・修理工房が設置しなければならない 道具があります。
時計旋盤・タイムグラファー・タガネなども勿論そうなのですが、
大切なのに 超音波洗浄機がOHする場合の必須の機器になります。

昭和30年代の頃は、時計職人は全て刷毛(ハケ)による手洗いを 円形ガラス瓶の中で第一洗浄をし、 仕上げに綺麗な新品の揮発油が入った第二円形ガラス瓶で、洗浄したものです。 昭和40年代に入りますと、独逸ヴェルヴォ社が腕時計専用の回転式洗浄機を開発し、売り出しました。 当然、私の父親も時計店を経営していた職人でしたので、 直ぐさまこの回転式洗浄機を購入して、OH作業をしておりました。 (但し、全自動式でないために、手動で次の槽に移転しなければならない煩わしさが あり作業効率が悪かった記憶があります)

しばらくすると、同じヴェルヴォ社が、超音波を第二回転洗浄槽に取り入れた、 洗浄能力の高い機器を発売し、資金的に余裕のある時計店は ほとんどこれを買われたものでした。 弊店では、セイコー系の子会社から発売されてた6個の洗浄槽からなる、 富士オートクリーナー超音波洗浄機を使用しております。 (これが、またまたしっかり設計されていたのでしょう、長寿命で吃驚しています)

20数年前までは、今では限定的にしか使用されない、発癌性物質トリクレンという 洗浄液を使っていましたが今では、健康上の安全面・及び自然環境への配慮から、 トリクレン洗浄液は一切使用していません。 (昔は掛け時計・置き時計のOHの場合、洗い桶の中にトリクレンを入れて 大きな刷毛で洗浄していましたから今から思うとゾーとしてしまいます。)

弊店ではトリクレンもかわりに、 第一回転洗浄槽の中には、揮発油とベルジョン潤滑液(5493-1)とを混ぜ 第二回転洗浄槽の中には、揮発油とベルジョン潤滑液(5493-2)とを混ぜて 使用しています。 第三、四、五回転洗浄槽の中には、上質の揮発油を使用しています。

最新のヴェルヴォ社超音波洗浄機は、洗浄槽が三槽からなり、今では、88万円もの 高額機器になっております。 最後の槽はどの洗浄機器も乾燥槽になっており、設定温度が約55度前後に なっているのが普通です。 (以前の機器では乾燥槽の温度調節ができない為にプラスチック素材のパーツが 溶解するという羽目に陥ったりしてガックリした経験が何度かありました。)

どの洗浄機もバスケットの中に、分解したパーツを地板・歯車・受石・穴石・バネ等に分けて入れ回転洗浄をします。 そして、バスケットに残っている洗浄液を回転して振り切り、次の洗浄槽へ移り、 最後に熱風乾燥させる槽に入れて、洗浄作業が終わります。

注意すべき点は、非常に小さい押さえバネや、各種のバネ類はバスケットの中に 入れた場合、バスケットの網目から外れ出て、紛失してしまう可能性があるため、 受石・押さえ・テンションバネ等はガラス瓶の中に入れて、 手洗い洗浄しかしない方がよい場合もあります。

超音波洗浄機の場合は、熱線による温風乾燥ですが、 ハケによる手洗いの場合は、セルベット布による吸い取り乾燥や、 ブロアーによる風振り切り乾燥及び自然乾燥などがあります。 (エピラム液の場合は自然乾燥が一番だと思います。) 他には、ツゲのおがくず(ソーダスト)の中で転がし混ぜて乾燥する方法も ありますが今ではこの方法は廃れてしまいました。

●時計の小話 第239話   トランジスタ時計●

今年のお年玉付き年賀はがきの、1等の景品は、『ハワイ旅行』でしたし、 液晶テレビや、ノートPC等色々、魅力的な商品が一杯ありました。

お年玉付き年賀はがきは、1949年(昭和24年)12月に第1回が発売されて、 もうすでに50年以上の歴史を刻んできた、日本の年初の挨拶の慣習になっています。

昭和24年度の最初のお年玉付き年賀はがきの景品は、 特等が『ミシン』、1等が『純毛洋服地』、2等が『学童グローブ』でした。 2回目の昭和25年度のお年玉付き年賀はがきの景品は、 特等が『タンスまたは写真機』、1等が『自転車』、2等が『腕時計』が 採用されました。 昭和35年度には、特等が『ステレオ』、1等が『洋風掛け布団2枚組』、 2等が『トランジスタ腕時計』が景品として、採用されました。 昭和43年度には、特等がなくなり、1等が『8ミリ撮影機・映写機セット』、 2等が『トランジスタ・ラジオクロック』が景品でした。 昭和51年度は、1等が『折り畳み式自転車』で2等が『腕時計』でした。

それ以来、28年間、時計関係の景品はついていません。 今から30年以上前の時代には、腕時計や、置き時計・掛け時計は思い切って 買う決意がないと、なかなか手に入れられにくい商品だったのでしょう。

昭和46年小生が結婚したときに、父親から、お祝いとして、 『セイコーTTXトランジスタ掛け時計』を貰った記憶があります。 (当時の価格で6.000円位だったと思います。給与5万円の時代です) (他にセイコーにはロングセラーのセイコーソノーラー・トランジスタ掛け時計が ありました) 単1電池一個で、一年以上動き続ける当時としては、 極めて正確な時計で、1月に2〜3分ぐらいしか狂わなかった記憶があります。

そのTTXトランジスタ掛時計は、調速機に、テンプとヒゲゼンマイを採用しており、 テンワが二枚あり、テンワのアームに2個永久磁石が張り付けていて、 そのテンワの間にコイルが設置してあり、コイルを通過するテンプ回転運動を するたびにトランジスタが電流の流れを制御する仕組みになっていました。 半分は機械式と言える機構で、一部に、トランス、トランジスタ、コイル等の 電子パーツが使用されていました。

当時、普通のゼンマイ式1ケ月巻掛時計の場合、中の機械は文字盤に隠れて ユーザーの方には見られなかったのですが、 この、『セイコーTTXトランジスタ掛け時計』はムーブ一式が透明のカプセルの中に 入っていたために、機械の動きが裏から見れる事により、 お客様に大変人気が出た記憶があります。 (現在のスケルトン腕時計がユーザーの方々に人気があるのも解るような気がします)

他方、シチズンには、『シン・クロック交流電気掛け時計』や シチズントランジスタ時計『ローター』がありましたし コパル社には、『キャスロン』という、爆発的に売れた数字表示の 電気置き時計がありました。 光星舎にも、『テンプ式トランジスタ掛け時計』がありました。 (駆動原理はセイコートランジス掛時計と同じ原理で動く掛時計でした。) リコー時計には、『本打ち式(デインデイト)』掛時計もつくられていました。

音叉の振動体を利用した、電子掛時計に、シチズン『エリトロン』と、 ジェコー『芙蓉』『葵』等がありました。 クロックのムーブメントにも色んな変遷がありました。

●時計の小話 第240話   エボーシュ・メーカーについて●

私が、この業界に入った35年前には、ETA社のムーブメントを搭載した、 腕時計の修理依頼が来るとハッキリ言ってあまり嬉しくはありませんでした。 当時、ムーブメントを製造するエボーシュ社の中には、 ETA社よりも個人的には、好きな機械を作る会社が他にもたくさんあったからでした。

『ア・シ−ルド社』は当時、ユリス・ナルダン、チュードル、ラドーにも 採用される程、優れた自動巻機械を作成していましたし、 『フォンテンメロン社』の婦人用手巻きムーブメント(Cal.60)は、 国産のS社がおそらく手本にしたのではないか?と思われる程、酷似しておりました。 ノモスや限定版フレデリック・コンスタント、エポスに採用されている、 『プゾー社』の名機Cal.7001は、当時からスタンダードな、手巻き機械として有名で、 通算生産個数が100万個を越える程の、ヒットした手巻き機械でした。

ETA社に吸収された、『ユニタス社』も、懐中時計のムーブメントCal.6498を 長年製造してきて最近ではエポス社や、エベラール社等に採用され、 リバイバルなヒット・ムーブメントになっております。 スウォッチグループに所属しているETA社は、 『ア・シ−ルド社』、『フォンテンメロン社』、『プゾー社』、『ユニタス社』というスイスを代表するムーブメントメーカーを吸収した以外にも クロノグラフ・メーカーとして著名だった『ヴィーナス社』や『バルジュー社』も 傘下に収め、その優れた技術力を全て吸収して、ETA社の現在は35年前とは 比較出来ない程の技術力の優れた、巨大エボーシュメーカーに成長しました。

現在、日本で販売されているスイス時計の、おそらく8割以上はETA社の ムーブメントを搭載した腕時計だと思います。 他に、ETAに吸収されたエボーシュメーカーは 『ヌーベル・ファブリック社』、『デルビ社』、『シェザール社』、 『レニュー・ダロニュー社』、『フルリエ社』『ベニュス・ベルノワーズ社』、 『フェルサ社』、『ア・ミシェル社』、等があります。

スウォッチグループの強みは、世界最大規模のムーブメントメーカーETA社を 抱えているのみならず、ヒゲゼンマイ専用メーカー、『ニヴァロックス社』を、 過去に買収して、子会社にしている事だと思います。

世界の冠たるR社や、J社も、P社も 『ニヴァロックス社』のヒゲゼンマイを採用している為に、 言葉は悪いかもしれませんが、急所を掴まされている、と言っても 過言では無いと思います。

そういう意味から言って、世界の中で100%完璧なマニュファクチュールは 日本のセイコー社、一社だと断言しても、間違いないでしょう。
セイコー社はヒゲゼンマイも自作している希有なメーカーで、セイコーインスツルメンツの系列会社SIIマイクロパーツ社でヒゲゼンマイを生産しています。
1950年に開発されたヒゲゼンマイ専用の弾性の非常に高い特殊合金(SPRON100)は 炭素・ニッケル・クローム・モリブデン・鉄の合金から成っています。)

ですから、国産の日本を代表するセイコー社には、誰彼を遠慮する事なく自前で、 全てが製造出来る技術を持ったメーカーですので、 もっともっと魅力のある機械式腕時計を開発していって欲しいと願っております。
〒924-0862 石川県白山市(旧松任市)安田町17-1 イソザキ時計宝石店
電話(FAX):076−276−7479  メール:isozaki@40net.jp